四天王時代を振り返る 1



俗に「四天王時代」と呼ばれている期間の全日本プロレスについて、二回に分けて徹底検証してみたいと思います。


まず、曖昧に「時代」と呼ばれていますが、その始まりと終わりは何時なのかについて考えてみます。

始まり1 「92年10月21日、三沢vs川田の三冠戦」
当時は夢の対決と言われた、超世代軍の頂上対決です。当然このカードの三冠戦は初めてで、期待に違わぬ名勝負となりました。
鶴田はこの次のシリーズの世界最強タッグ92から肝臓疾患のために長期欠場に入りましたので、まさに時代が鶴田−三沢から三沢−川田へと移り変わった試合なわけです。
この試合がそれまでの鶴田・ハンセン・ゴディvs超世代軍の構図と決定的に違っていた点は、ファンの声援が真っ二つに分かれていたという点です。

始まり2 「93年4月21日、川田が超世代軍から卒業」
これはそれほど説明することではないのですが、川田が田上と聖鬼軍を結成して、三沢と対決していくことになります。

始まり3 「93年12月3日、小橋が最強タッグ優勝」
三沢・小橋組が世界最強タッグリーグに優勝しました。最終試合では、小橋が川田から初フォールを奪いました。
この勝利によって小橋の格がワンランクアップし、初めて「四天王」という概念が生まれました。

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ここから四天王プロレスの全盛期が始まります。
この頃の黄金カードというと、「三沢vs川田」と「三沢・小橋vs川田・田上」が挙げられます。
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終わり1 「96年7月24日、小橋が三冠を奪取」
小橋が田上から三冠王座を奪取します。これによって、四天王の全員が三冠王座を巻いたことになり、四天王の中に微妙に存在した強さの序列「三沢 > 川田 > 田上 = 小橋」が崩れていくことになります。

終わり2 「96年11月28日、藤原喜明とドン荒川が参戦」
四天王時代の大きな特徴の一つに、“徹底した鎖国主義”というのがありました。それが崩れたという点では、大きな出来事であります。

終わり3 「97年9月6日、秋山が三冠に初挑戦」
秋山の台頭により、四天王から5強へと時代が傾いていきます。

終わり4 「98年3月27日、小橋が川田に初勝利」
チャンピオンカーニバルの公式戦で、小橋が川田から初勝利を果たします。これで四天王の全員が誰からもシングルで勝利を奪ったことになり、前述した微妙な強さの順列が、よりハッキリと崩壊したこととなります。
なお、97年チャンピオンカーニバルの三つ巴優勝決定戦での川田の三沢からの初勝利を考えなければ、ここは「98年5月1日、川田が三沢から初勝利」に置き換えられます。

終焉 「00年6月9日、この日を最後に分裂」
この日を最後に三沢らが大量離脱。川田と他の三人が袂を分かったことにより、四天王プロレスは完全なる終焉を迎えます。


このように見ると、「小橋の成長」というのが四天王時代に終わりをもたらしたように思います。
4人の日本人が突出して強く、その4人が2手に分かれて激しい抗争を繰り広げる」
というのが私がイメージしている四天王時代です。
これがハッキリ崩れたのは、小橋がGETを結成したときです。小橋のGET結成は、小橋が三沢の格下ではなく三沢と対等に戦える立場になるべく発起したというのが動機だと思われます(秋山が三沢の正パートナーになるまでに成長したというのもありますが)。

もちろん、小橋が成長したことそのものが悪いわけではありませんし、「三沢vs小橋」という超黄金カードを生むことにもなりました。
しかし、超世代軍(後にアンタッチャブル)・聖鬼軍・GET(後にバーニング)と日本人リーダーの派閥が3つになってしまっとことは、全日本プロレスの話題の焦点をピンぼけさせる負の効果があったことは事実です。



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