彼らの出会いが必然ではないと、誰が断言できるだろうか。 |
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夢を、見ていた。 それは虚実ではなく過去の記憶。決して忘却を許されぬ言葉を、繰り返し反芻する。 無理矢理に課せられた役目であっても、彼女にとっては選択の余地が無い、拒むことは考えられぬ使命なのだから。 「――では貴方達は彼の失踪にすら、気付いていなかったのですか」 部屋の中は重苦しい空気で満たされていた。静かに響く玲瓏たる声音はいっそ朗らかな調子だったが、零れるたび周囲の温度を下げていく。 陽気な風の長は黙り込み、言動が過激な火の長も口ごもり、冷静な水の長さえ動揺を隠せず、穏和な地の長すら落ち着きがない。部屋には他にも竜族の実力者達が集まっていたが、皆が一様に似たり寄ったりの状態だった。 彼は何者なのだろうか。 こそりと扉の影に潜んでいた少女は、嫌な予感に背筋が寒くなる。 室内を凍りつかせているのは、他ならぬ自分がうっかり殺しかけた若者だ。あの直後に始まった神殿最奥部での会議には、青年の招集によって一族の実力者が勢揃いしている。 彼に攻撃を仕掛けた後、神殿の別室に放り込まれてから数時間。何が話し合われているのか、会議は一向に終わりそうに無い。もしや自分の誤爆が原因で、イーダ辺りが怒られていたらどうしようと奥まで忍んできたのだが。主に相手のおかげとはいえ、被害者の無い失敗など、話題にも上っていない様子だ。 青年は置かれている長い卓から離れ、ひとりだけ祭壇のある一段高い場所から竜達を見下ろしている。冷笑を浮かべながら祭壇にもたれかかる姿は、一幅の絵の如く似合ってはいる、が。あの場所は明らかに、目上の者の立ち位置だ。 彼の圧倒的な力を思えば、竜族では無いにしろ、名の有る存在なのは間違いなくって。例えば『下』の守護者たる四神だとか、『外』からの使いだとか、いずれにしろ失礼が洒落にならない相手なのではと予想してはいた。 しかもよく見ると、無造作に伸ばされた腕で祭壇にある模型を弄っていたりする。双天儀を――世界を模した、天球儀を。アレは玩具ではなく、界と直結する真の意味での天球儀であり、長達でさえ接触に許可が必要で、ユティなど見た回数も数えられるほどなのに。 なのに何故、誰も何も言わないのだろう。 「こんなことなら、茶会を切り上げて仕事に来る必要などありませんでしたね」 癇症に顰められた眉は、冷静に見えて不機嫌な心情を物語っている。 口元に張り付いた冷笑は、消えることがない。 「私としては、根源から仕事を創めなおしても構わないのですが……」 平然と言い放たれた言葉に、長達が一斉に色めき立つ。ユティがぎょっとする勢いで。 「まさか……まさか、あなたは…………」 「最初からそのつもりなのですか!」 「救う意志など無いと!?」 しかし立ち上がり、詰め寄ろうとした動きは、ただの一瞥で制される。 睨むでもなく、ただ静かに見つめられただけ。それでも竜達は沈黙して再び席に着いた。 「口を慎みなさい。無礼者は嫌いです」 無言で恭順の意を示した者達へと、見下しきった眼差しが向かう。あまりに強い蔑みの色に、余波を浴びたユティまで身を縮めた。 その気配が、わかったのだろうか。 更に何事か言い募ろうとして――彼はユティが潜む扉へと真っ直ぐに視線を寄越した。 「――そこにいるのは、誰です?」 鋭い誰何の声に撃たれ、びくりと身を震わせる。怖くはあったが、バレては黙ってもいられない。おずおずと顔を覗かせると、青年は不審そうな表情を浮かべながらも、中に入るように手招いた。うろたえて見知った顔に縋り付けば、長や姉に優しい兄までもが、厳しい顔で青年に従うよう促す。 恐る恐る進み出ると、周囲から集まる視線が痛くてたまらない。やはり黙って待てば良かったと思っても後の祭りだ。泣きそうになりながら傍に寄ると、彼はようやく自分が誰かを思い出したらしかった。 「おやおや、私を殺そうとしたお嬢さんですか」 「あうう……その、すみません…………」 「まさか謝るためだけに、最奥部まで不法侵入はしないでしょう。そんなに私を暗殺したいのですか?」 笑顔の下から皮肉が透けて見えている。丁度よく苛める対象が現れたとばかりに、にっこり微笑まれて背筋が凍りつきそうだ。他人の失敗に付け込む隙は逃さない性格らしい。 「え、えと、お茶する時間も無いほど大変なお仕事を邪魔するつもりはなかったんです〜」 「――――――そう、ですか」 何か言わなくてはと焦りながら呟いた一言は。 神経質に細かいことに拘りそうな青年が、つい呟いた予定の変更が意外に思えたから。そのために己の行動を変えるくらい、仕事が大切なんだなあと思ったからだ。 深い意味は無かったのに、青年はユティをまじまじと眺めて――しばしの沈黙後に頷く。彼女は欠片も悪意が無かったのだろうが、ツボを突いた暴言に出席者達は蒼白になった。 しかし青年は怒るよりも、少女に興味をそそられた様子で。何を思ってか珍しいモノを観察するようにユティの顔を覗きこむ。 「……面白い、性が狂っていますね」 「あ、あの?」 秀麗な容貌の青年に、呼気がかかるほど近くまで顔を寄せられてどきどきする。 そんな状況じゃないと思いつつも見惚れてしまうのが、良くも悪くもユティらしかった。 「これでは魔力の制御に支障が出るでしょう……先程の攻撃は見事に直撃しましたが」 「ご、ごめんなさい……っ」 「わざとではない。そうですね?」 「あ、はいっ。わざとなんかじゃ無いんです、ちゃんとコントロールできないだけでっ」 「だからこそ、なのかもしれませんね」 「…………ええと?」 生まれる前から刷り込まれた本能のごとく、竜族は『彼ら』に逆らわない。普通なら、殺意無しでも攻撃を直撃させただけで卒倒ものだ。それは例え、彼が『誰』なのかわからなかったとしても。 彼女が突然変異の――悪く言えば出来損ないだからこそ、先程のような天然発言も可能なのかもしれない。というより、いかにも『彼』の被造物らしいとも思えたが。 「それって、どういう意味ですか?」 「今のままでは、永遠にあなたが魔法を自在に操るのが無理だという意味です」 どこまでも冷静に言い放たれ、ユティはあうあうと言葉にならぬ叫びを洩らす。 「ど、ど、ど、どうにかならないんですかあっ!?」 「さあ……そうですね。丁度いい、貴女に手伝って頂きましょうか」 簡単に己の一生の問題を流され、穏やかながら勝手に協力を決定されて、ユティは訳もわからず首を傾げる。自分に出来ることなら手伝うけれど、話の流れが全く見えなかったのだ。対して周囲の面々は、更に顔色を悪くする。 「私の『眼』となる役目を貴女にお願いしましょう。他の力が安定した竜では、私が覗くと乱れの原因になりそうですが・・・・・・却って貴女なら大丈夫でしょう」 「お待ちください、逍藍様。彼女は魔法も碌に使えぬ半人前です。お役に立つとは……」 哀願の響きが濃い、氷の長の言葉。口にされた名には覚えがあった。 この世界の創造主たる二人の偉大なる魔法使いの片割れにして、竜の住まう地と対なす大地を創造せし――冷徹にして畏敬すべき存在。 「う、うそ…………っ」 自分の仕出かした不始末の大きさに思い至り、ユティは真っ青になった。一息に血の気が引き、手足が細かく震え出す。穏和な自分達の主とは違う、冷酷非道で完璧主義な魔法使いの話は散々聞かされた。いかに『もうひとり』が恐ろしい存在なのかは、竜の子供が脅し混じりに聞かされる、世界創造秘話だ。 世界には二つの領域がある。しばしば表と裏、光と影、上と下という表現で表されるが、双域は対等にして切り離せぬ運命共同体だ。 一枚の丸い板に重力を与え、その上と下に人々が住むのがこの世界のカタチ。 平たい円盤の上下には、中央と周囲に山。地の大半は海で満ち。天を覆う半球を合わせて球体にすれば、双天を抱くこの世界――双天儀が出来上がる。 竜とは創造主が自らの創世の手助けとすべく、世界の初めに生み出した種族だ。天に衝くほど高く聳える山脈を住処と定め、世界の秘儀を知り、如何なる者にも従う義務を負わない。例外はただ創造主達のみ。 竜の主たる上天を創り上げたクロード・E・シャノンと。 下天の守として四神族を創り出した王 逍藍(おう しょうらん)と。 「――役に立たないのは、他の誰でも同じです。貴方達に大した期待はしていません」 「そんな……創造主様のお役になんて……」 「事態は深刻なのですよ。なにしろ世界を支える創造主の片割れが行方不明なのですから。早急に探しださねばね」 その辺りで事情をようやく把握して、ユティは真っ青になった。 麗しき水色の髪とそっくりな顔色になりながら、震える声で再確認する。 「それってつまり、わたしに創造主様を探して来なさいってことですか!?」 「平たく言うならそうです。クロードの失踪の原因を探り、現在の位置を確認する必要があります。彼の不在によって発生した歪みも正さねばなりませんしね」 「――ダメですよう、わたしなんか役に立ちませんって!」 「役に立って欲しい訳ではありません。『眼』が欲しい、と言ったはずです」 「えっと……でも、だって……」 助けを求め周囲を見回すが、誰も青年には逆らえない。唯一対抗出来得る『彼等の主』の為にこそ、逍藍は動いているのだから。イーダだけは何事か言い募ろうとして横から姉につねられていたが、そんな雑音は創造主の眼中にない。 「これ以上の問答を重ねるつもりはありません」 微笑みは優しげに。 慈愛に溢れる眼差しで、反論を許すことなく。 彼の言葉を、誰が拒絶できるだろう。たとえ死を命じられたとしても、唯々諾々と従ってしまいそうな……従いたくなりそうな、絶対的な意志がそこにあった。 「――お行きなさい」 その笑みに、ぞくりとする。穏やかで優しげでありながら、見る者を圧倒する微笑。ひれ伏して慈悲を請いたいけれど……きっと許してはもらえない。嫌で仕方ないのに、どうしようもなく怖いのに。魅入られたように、その言葉に逆らえない。 ユティはいつしか、命令に逆らう気力も失くしていた。 こくりと、小さくも確かに頷き。 ――そして彼女は、高き地から失墜した。 |
《続》 |