――そして竜は、天空から失墜した。



『竜が降った日』



 流韻の予定は、大きく狂っていた。
 とっくに目的地に着いているはずが、大きな手違いがあったらしい。
 移動を担当した者達に苛立ちを感じながらも、肩に乗る小鳥を見て、溜息ひとつで意識を切り替える。コレの同朋に多くを期待はすまい。ヒトより高位とされる存在に対して、吐露したなら大問題になりそうなことを、しみじみと考える。嫌になるほど実感のこもった感想だった。
 おおっぴらには口に出せない予定を抱える青年は、表面上は余裕たっぷりながら、内心かなり投やりだった。努力してどうかなるならともかく、人智を越えた対処能力を求められても困る。
 それでも自分を送り出した相手を思い出すと、清々しく事態を投げ出す決断もしかねて。
 助けられた礼をするからと、自宅へ誘ってくれた娘にこれ幸いと同行し、ともかく当座の宿を確保する。
 森を抜け、すぐ傍の村に到る道すがら確認してみれば、タカる相手としては助かることに、彼女の父はここの村長を務めているという。おりしも現在、春の祭が行われている村は宿も満員らしい。大義名分もたつところで、何時まででも泊まってくれという言葉に、有り難く甘えておく。これで数日の猶予は出来た。この先どうするか考えるには、充分な時間だ。
 謝礼が目当てでは無かったけれど、先立つものが無くては、旅を続けるにも支障がある。
都合よく、追剥げるゴロツキが出現するとも限らないし。相手の懐が暖かいなら、遠慮は無用というもの。急がばまわれとは言うが、のんびりしてられないのだから。予定が有名無実と化す中で、実は事態は深刻だった。なにしろ『世界の危機』が迫っている……らしいのだ。
 道に迷って困っている、という説明を、一応娘は信じたらしかった。
 どうしてあんな森の中にいたのか、少し疑問には思ったようだが、助けてくれた恩人だ、というのが効いている。その点は流韻としても、怪しくはあってもやましくは無いので堂々としたものだ。彼女を助けたこと自体は、作為も裏も無い単なる偶然だったし。ちなみに、度胸も満点の彼は、やましくても堂々としているだろうが。
 ひとまず客間に通されて、アグニと二人だけ(一人と一羽だけ)になる。素朴だが趣味の良い内装は、客の心を落ち着かせる効果がある。よろしければと用意された『こちら風』の衣装を見て、青年は大きく息をついた。
 還って来たのだと。
 決して良い意味だけではない郷愁を感じながら、深くそう思う。
 身体にぴったりと添った造りは、流韻にとっては懐かしいもの。布地の少なさの分、やはり動き易く感じる。それとも、慣れたようでいて、数年過ごしただけの文化が生み出した衣装には馴染みきっていなかったのか。
 身につけていた『あちら側』の衣装を脱いでしまうと、彼はこの地方の人間に紛れてしまう。本来彼は『こちら側』の人間なのだ。それを否定は出来ない。
 露わになった背中に大きな傷がみえて、アグニは落ち着かぬ様子で身じろいだ。
 左の肩甲骨を縦に裂くように走る古傷は、塞がってなお赤く残り、過去の惨状を思わせる。時折、癒えきれぬ痛みを堪えているのを知っているから、余計に痛々しい。本人が平然と振舞うから、小鳥には何も言えなかったけど。
 気まずい沈黙をノックの音が破ったとき、アグニはほっとした。
「――これはまた、よくお似合いですな」
 流韻の応えを待って現れたのは、恰幅の良い男と愛らしい少女。仲良く続いて入ってきたのは、つまりは似てない村長親子だった。
 やや乱れた様子で屋敷に戻り、血相を変えた家人と父に向かって、大丈夫だと笑って見せた気丈な娘も、自室で着替て来たらしい。裾の長いスカートやふわふわしたショールをまとって、愛らしさが増している。メイノリアという名前もまた、可愛らしいものだ。
 森で薬草を取るのは日課らしいが、その際には動きやすい格好をしていたのだろう。それが彼女の助かる要因のひとつだったわけだ。
 一番動きにくそうだったのは、むしろ流韻だ。歩くのにも苦労する、不必要なまでに布地の多い服から着替えた青年は、すっきりとした立ち姿も美しく。『こちら側』の好青年にしか見えない。滲み出る存在感が群集に埋没させはしないだろうが、必要ならば、彼はそれさえ器用に隠してしまう。
 可愛い娘には一番近づけたくないタイプの男だろうに、父親は下にもおかぬ持て成しぶりだった。気付いていないのか、恩人への素直な感謝か。なので流韻は容赦なく要求述べる――とはいっても、望むのは些細なことだ。一応路銀は手に入ったし、『こちら側』の知識は、辺境の村の住人より流韻の方がよっぽど詳しい。タイムラグがあるから、時勢に通じるとは言い難いとしても。
 ほんの少しの間、ゆっくり安全に休息が取れれば満足だった。『移動』したのは二度目だが、まだ慣れない。意地でも平然としてみせたし、身体はいつも通り動かせるものの、違和感は残っている。肉体が変調を訴えて、頭の芯に鈍く痛みを響かせる。無視することは可能だが、早期に回復を図るべきなのも当然のこと。
「衣服まで済みません。助かりました」
「いいえ、それはこちらの台詞です。メイノリアを救って頂きまして、本当に有難うございました。まさか毎日通う森に、そんなゴロツキがいようとは……」
 目の前で何度も頭を下げる男に、流韻は朗らかに笑ってみせた。
 危ういところで娘を救われた男は、その微笑みにすら感じ入って感謝の念を深くする。そこまでは青年の計算ではなかったが、肩に止まった小鳥は、相棒にしか聞き取れない言葉で、小さく『……詐欺師』と呟いた。直後に尾羽を引っ張られ、悲鳴をあげるが。流韻以外に言語は理解出来ない訳で、図らずも黙殺されてしまう。
「――この頃、妙な連中が流れてきているようでして、お恥ずかしい限りです」
 溜息と一緒に語られる慨嘆は、社交辞令の域を越えている。長としての苦悩は察するが、そんな嘆きを聞かされても困ってしまう。
「けど、あの連中は……」
 メイノリアをかどわかそうというよりも。
 殺そうとしていたような。
 続けかけた言葉は、ひっそりとしまい込まれる。
 薬草摘みが日課だとすれば、嫌な予想も成り立ってしまう。
 森に現れた男達が、彼女を『特定して』狙っていた可能性が出てくる。日々必ず行うならば、待ち伏せするのも難しくはない。 
 あの男達からは、可愛い小娘と遊ぼうという浮ついて下卑た感情よりも、もう少しビジネスライクな目的が感じられた。殺して金品を奪うほどの物持ちなはずもなく、いまいち狙いはすっきりしない。
 面倒くさいから倒した後、放置してしまったが、村の役人が拘束して尋問するというなら、彼等の目的も聞き出すだろう。そこまで自分が口を出す領分でもあるまい。
 ここは町と呼ぶには小さいが、村と呼ぶには大きいのだ。
 裏路地にたむろする者の顔がわからないのは、人の数が多いから。本当に小さな村では、余所者は目立つし、何か悪事を働くものがいればすぐにわかってしまう。
 娘が世間知らずなだけか、わざわざ他所から彼女を襲う為にやって来たのか。
 考えながら背景を推察している自分に気付き、流韻は苦笑を浮かべて思考を停止した。
 どれだけ立場を違えようと、事の裏を考える習性は直らないのか。今の自分は間者ではないのに、こんな小さな村の事件さえも気になってならない。
 それとも、コレは予感だろうか。いずれはこの些細に思える事件が、大きな流れへと変化していくという・・・・・・
「――なにか?」
「いえ。お嬢さんをお助けできて、本当に良かった」
 元から造作の良い流韻が全開で微笑むと、大抵の老若男女は好印象を抱く。少数の例外の分類枠は、彼の同類項だ。
 幸か不幸か大部分の側に属する父親は、流韻が娘の命(と貞操)を救った大恩人だと、信じ込んでいるようだ。いや、それは間違いではないのだが、予測以上に恩を感じ、精一杯持て成そうとする姿勢は、アグニに罪悪感さえ覚えさせる。相棒の神経の太さには、感動するばかりだ。
 流韻が適当に説明した『事情』についても、相手は疑いなく信じたらしい。
 遠い異国の貴族に仕えており、この地域には使者として訪れた。森の奥で道に迷って困っていたところを、お嬢さんの声を聞いた…………
 どれひとつ取っても、嘘は言っていない。巧みな弁舌で誤魔化したところはあるが、偽証は行わないのが、青年の嫌味なところとも言える。
 折りしも広間には吟遊詩人が来ており、娯楽を求めて村人も集まっているという。途切れ途切れに聞こえる歌声は、それでも耳障りの良いものだ。
「父さん、向こうはいいの?」
「おお、そうだな。どうぞあなたも居間の方にいらして下さい。みなに紹介しましょう」
「いえ、大したことはしてませんし。宿を貸して頂けるだけで申し訳ないくらいですから」
 その場で紹介しようという言葉を、固く固辞するその姿勢も、村長のお眼鏡に叶ったようだ。流韻にしてみれば、余計なしがらみを増やしたくないだけなのだが。
 身にやましいことが沢山あるから、顔を売りたくないというのもある。どっちにしろ、碌な理由ではないが、そこまで語る善良な親切さは持ち合わせがない。
「……そうですか。申し訳ないのですが、私は他用がありますので……」
「ええ、お気遣い無く」
 にっこりと笑った流韻に、心底済まなそうな顔で謝罪すると、一礼を残して、村長は客間を後にした。
 流韻の言葉に甘えたというか、本当に忙しいのだろう。お構いなくと笑う青年に、申し訳無さそうな顔をしながらも、足は小走りに部屋を出て行く。
「ごめんなさい、父は強引で……」
「いや、本当に助かったよ。これからどうしようかと思っていたもので」
 謝る少女へと、穏やかな微笑みが向けられる。
 その笑顔にまったく含みが感じられないのに、実際は多大なる含みがあるところが、己の同行者の恐ろしさだと……つくづくアグニは感嘆する。何か間違っているとは思いつつも、最早感心するしかないのだ。出会って数年、短いとも長いとも判じ難い時間だが、流韻の嗜好は熟知してしまった。今も、気懸かりに思いつつも他人事に関わるまいとする、情に厚いくせに酷薄な態度に溜め息が洩れる。指摘したら、怒るに決まっているのだけど。
 選択に悩んで黙り込んだ小鳥の意識に、不意に引っかかるモノがある。
 自分がよく知っているような、初めて感じるような。既知のそれは、とても嬉しい存在だった気がするが……なんだっただろうか。
 気配を探り、違和感の元をたぐる。
 自分の方が探知に長けていると知っているから、アグニは真剣そのものだ。遊びで流韻について来たのではないから。役に立ちたい、手助けをしたいと思っても、そつなく万事をこなす青年には、小鳥の力はなかなか必要とされない。だからこそ、こんな時こそ――
 そわそわと周囲を見回し始めた肩の鳥にも、流韻は完全に無反応だった。
 可愛らしい娘を見ると楽しい気分になるのは、人として当然というもの。妙な含みはなく、純粋な賞賛の意味でもって、流韻は口元を緩める。
 優しい表情に、ふと違う色が混じったのは彼女の胸元にあるモノに気付いた時だ。
 先程までは無かったはずの、金で造られたペンダント。
 もしかしたら衣服の中にしまわれていたのか。繊細な金細工のペンダントトップは、充分一財産になりそうだった。例えば愛好家が眼の色を変えたり、盗賊に狙われてもおかしくないほどに。
「それは……?」
「ああ、これは母の形見なんです」
 辛い事を思い出させたかと、少し顔を曇らせた流韻へと屈託なく笑った娘は、首元に下がるトップをつまんで開いてみせる。ロケットになった其処には、娘と母のものらしい細密画がはめ込まれていた。
 其処から微細な魔力を感じて、青年は目を眇めた。
 それを目当てに人を襲うのはやりすぎだと思うが、なにしろ『こちら側』では魔術そのものが廃れてしまっている。微細な魔力も、他に比べるものが無ければ貴重な宝となるだろう。
 忠告が、必要だろうか。
 どうも危機感に乏しい娘を観察して、いささか迷う。狙われる身に覚えは全く無いようだが、根を絶たねば事件はくり返し起こるだろう。どこまで関わるべきか迷い、珍しく流韻は去就に迷った。
『ねえ、ねえってば!』
 躊躇いなどという、滅多に無い感情につきあっている最中に、ジタバタと肩の上で騒ぎ始めた小鳥を鬱陶しげに眺める。
 この小鳥が些細な事で狼狽えるのは常だから、ちょっとやそっとじゃ気にならない。
『アレ見てってばあっ!』
 ぱたぱたと窓際まで飛ぶと、振り返って必死に自分を呼びつける。とはいえ、その声は他人にはぴーぴーという鳴き声にしか聞こえないのだが。
 それでも何か真剣なのは通じるのだろう。小首を傾げた娘がどうしたんでしょうと問うに至り、流韻は諦めてアグニの傍へと歩み寄った。
 高価な硝子の入った窓から、外を眺める。
 眼下には花咲き乱れる中庭が映り、どの向こうには館の外の、祭の活気に溢れた光景。
空は、雲ひとつ無く高く青い。
 どこまでも平和な、ある村の昼下がり。
 不審なものなど何も見当たらない。
 メイノリアには小鳥の騒ぐ理由がわからなかった。あくまでもぴぃぴぃと鳴き続ける姿に戸惑いが生じる。純粋に怯えている訳ではなく、『何か』を訴えているようだが……いったい、何に対して?
「・・・・・・・・・なんだ、あれは」
 しかし娘の困惑とは裏腹に、小鳥の相棒にはちゃんとその意図は伝わっていたらしい。
 食い入るように上空を眺める青年の眼差しは酷く真剣で、メイノリアは場違いにも新鮮な思いで見つめてしまう。出会ってほんの僅かでも、茶化すように斜に構えた青年の常の姿勢は見て取れる。そして非常時に見せる真摯な態度もまた――彼の本質なのだろうと。
 天を仰ぐ青年と小鳥の視線の先には、ただ青い空が広がるばかり。
 何一つ見出せぬそこに、如何なる幻影が在るのか。
 一人と一羽がゆっくりとその視線を動かしていたのは、ほんの一瞬のことだった。
 その刹那の間に、流韻の脳裏では様々な計算が行われる。
 アレを助けることで得られる、有利不利。
 狂ってしまった彼等の予定を、アレで取り戻せるかどうか。
 淀みなく、情もない思索に耽っていられる余裕はしかし、すぐに無くなってしまう。
 その『動き』に気付いて、さすがに流韻も焦りを覚えた。
「まずい、墜ちるぞ――!」
 ピイイイイィーッと、絞め殺されそうな悲鳴が上がる。
 文字通り泣き叫んだ肩乗り鳥をひっつかんで胸元に庇い、ついで隣に立つ娘の身体をも抱きこんだ青年は、窓辺から離れて壁際に身を伏せる。
 ――その、直後。


 激しい揺れと轟音を伴い、中庭に何かが落下した。



         
                                           《続》