就眠遊戯



 いつのまにか、慣れた遊戯になってしまっていた。
 夜半に密かに敦盛を呼びよせ、九郎と彼との戯れが終わるのを待ち、その後始末をする。
 敦盛を哀れに思いもしたが、何と言い訳したところで彼は弁慶にとって九郎以上にはなり得ない。故に九郎が満足するなら仕方ないかと、傍観者のように微笑んでいられるその非道。とっくに割り切ってしまったから気は咎めない。それよりも心配なのは、敦盛では駄目だとわかってしまうからだ。
 だからこそ、夜の遊戯が重ねられるごとに、ますます歪んでいくものの存在に気付いていた。所詮は劣等感から生まれた欲求が、羨望の対象を蹂躙して満たされるはずもない。結局は代償行動では満たされない。
 九郎が本当に望むのは恐らく、親兄弟から当たり前に与えられるはずのものであったり、友人たちとごく普通に交わすものであったりする。彼にはいっそ、自由よりも束縛が必要なのかもしれない。執着されること、必要とされることは、強く愛されるのに似ている。だが、それらは互いに与え合うものだから、どれだけ求めても返されるものは、九郎の望むカタチではなかったのだろう。
 いつものように、中の気配を窺いながら塗籠の前に座って夜空を眺める。
 敦盛の悲鳴や嬌声が聞こえても、さほど心は動かない。ただ結果的には敦盛を害することで、九郎の精神が病んでいくのではと案じられる。可哀想にと思いながらも、九郎の気配にだけ耳をすます。荒む色が濃くなったと、感じる度に湧き上がるのは不安だろうか。二人の遊戯は破滅を招く儀式に似すぎている。
 やがて静かになった内側から、九郎が無言で現れる。一瞬だけ弁慶に視線を流すと、無言のままに敦盛の寝所に向かう――のが、いつもの行動。しかし弁慶は、今宵の彼が廊下でふと夜空を眺めて足を止めたのを、塗籠に入りながらも視線の隅に捉えていた。
 どんな小さな違和感も、見逃せば手遅れになる。
 既に長い間、手をこまねいている。破局の気配は、大きな音で這い寄って来ている。
 最近では敦盛の身体には、痕が残りそうなほどの傷が残されるようになっていた。手早く敦盛の手当てを済ませると、気を失ったままの彼を残して立ち上がる。そろそろ放っておける段階は通り越した。どうすべきかと、柄にも無く迷ってはいる。しかし放り出せるなら、とうの昔に此処から去っていたはずだ。
 闇に飲まれて食われている敦盛は勿論、九郎の方も日を追うごとに暗い衝動を押さえきれなくなっているようだ。九郎の抱える闇は、もはや敦盛に押し付けて済む重さではない。元より求められていないというだけではなく、最初から彼では九郎を受け止めるには不足なのだ。貪られるままの敦盛は、行為の影に潜む九郎の葛藤の存在にすら気付いてはいまい。同じく武門の大家に生まれながら『平』であるか『源』であるかという差異は、対照的な光と影を落としている。『平』が今や追われる立場となり果てても、影の暗さは変わっていない。二人の精神の根底に在るものが変わらないから。。
 下手をすればこのまま潰れていきそうな九郎を、放置するつもりはない。敦盛の寝所を覗けば、やはりそこに九郎の姿は無く。焦る思いを押さえながら庭を歩けば、月が綺麗に見える場所で、あっさりと青年を見つけ出すことが出来た。
 ぼんやりと夜空を眺める九郎へと、わざと足音を立てて近付くが、彼は振り返りはしない。
 ようやっとこちらを見たのは、微かに詰る響きを宿した弁慶の言葉を聞いた後だった。
「随分と、手酷く扱ったものですね」
「……なんだ。気になるなら次はおまえも混ざるか?」
 月の逆光の中で闇に染まり、酷薄に唇を歪めて笑う青年は、醜い顔をしているのだろう。ただ見慣れてしまった眼には、可哀想にも可愛らしくも思えて苦笑する。場違いな笑みに、九郎は不審そうな表情を浮かべた。それらも他の者達には決して向けない素のままの顔だから、こんな瞬間に自分と彼との間に有る何かの存在を実感する。
 信頼なのか、執着なのか。惰性に過ぎないのか、愛情と呼べるものなのか。
 隣に居すぎて、判別しがたくなってしまった。
 ただ、離れられないのだけは事実。
「もう、やめませんか?」
「…………何を?」
「あんなことを続けても、意味は無いでしょう」
 どうせ満たされぬならば。どうせならばいっそ。
 幼稚な八つ当たりであると突きつけてしまえば、九郎を傷つけるだろう。閉塞した事態を動かすと決意したのに、この後に及んで弾劾すべきか迷うのは、此処で間違うと取り返しがつかぬとも理解しているからだ。
 続けるか迷った言葉を口に出す前に、九郎の瞳に暗い影が走る。それから、僅かな動揺。
「おまえまで、そんなことを言うのか」
「――誤解していますよ、九郎」
「うるさい、黙れ」
 突き放されたのだと、愚行を続ける友を見限ったのだと、九郎にそう思われたと気付く。裏切りへの憎悪と、いささかの恐怖。動揺するのは信じられていたからだ。
 だから少し躊躇っていた行為を実行に移す覚悟が出来た。たった一言だけで行き詰まった関係を改善出来るなら、今の状態まで膠着するはずもないのだ。耳障りの悪い言葉は、心までは届かない。行動で心情を示すしかない。だから――引き金に手を掛けたのは自分で、弾かせたのは九郎だ。心を決めて、弁慶は微笑む。
 実行すると決めてしまえば、より無茶をするのは自分なのかもしれない。
 望みを叶える為に、躊躇う理由は浮かばない。
「まあ、こうなると思いましたよ」
 ぼそりと、呟き。被っていた布を、はらりと足元に落とす。
 唐突な行動に、荒んだ眼で視線を逸らしていた九郎が、ちらりと怪訝そうな色を浮かべた。裏切りに怒りながらも弁慶を切り捨てきれぬ姿は、まるで我が侭をいう子供のようだ。弁慶にだけ全てを曝け出していると、彼は自覚しているのだろうか。 
「…………何のつもりだ?」
「そうですね。もっと早く、こうすれば良かったのかもしれない」
 睨みつけながら、それでもまだ警戒はしていない青年に手を伸ばす。怒ってはいても、彼は弁慶を信じている。無意識であっても味方であると思っているから、逃げようとはしない。いや彼の敵にまわるつもりなど無いが、永遠に味方と呼ばれていられるかはわからない。まるで常識人のように九郎を案じ、敦盛を哀れみながらも、きっと自分の方が歪み切っている。端から思われるよりもずっと。求める結果にたどり着く為に必要なら、途中で汚れても気にならない。自分の望むものが何か熟知して、わかってしまっているから、過程での躊躇は捨ててしまおう。
 抗う隙を与えずに九郎を引き寄せると、せめて汚れぬようにと敷いた布の上に押し倒す。
 驚きに眼を見開いた青年が叫ぶ余裕すら見出せぬ間に、深く唇を重ねて吐息を奪った。
 さあ望みのままに、熱く激しい執着をみせてあげよう。

*     *     *     *     *

〜余談〜

 カタンという小さな音と共に差し込んできた光を浴びて、敦盛は目を覚ました。
 気を失うのも慣れてきてしまったが、そのまま朝を迎えたのに気付いて少し驚く。いつもなら気のまわる軍師があれこれと世話を焼いてくれているのに、とうとうあの青年にも見捨てられてしまったのだろうか。
「――ああ、起こしてしまいましたか。済みません」
「……いや」
 暗い予感を打ち消すように、柔らかな声が耳に届く。神子と話す間も九郎と話している時も変わらぬ、優しげな落ち着いた声音。常とまるで変わらぬそれ。
 所用でもあって遅くなったのだろうか。意識を取り戻しては、この上面倒をかけるのは申し訳ない。もう大丈夫だと告げようと、身を起こした敦盛は、塗籠の入口に立つ弁慶を見て凍りついた。正確には彼が誰かを抱いているのを見て――意識の無い九郎を抱えているのに気付いて、絶句する。
 寝乱れたような着物の上から、いつも弁慶が被っている布に包まれて眠っている青年。
 眼を閉じた彼は、どこか幼げにも見える頼りなさを感じさせる。どこか辛そうに、眉根を寄せた表情は痛々しいくらいだ。
 無防備に弁慶に頭をもたげる姿は、彼らの絆の深さを表しているようだが――否応無く経験を重ねさせられた敦盛は、九郎から違和感を覚えずにはいられなかった。
 恐らくは失神した自分を置いて出て行った後、彼は。彼らは。
 何処で、何を。していたのだろうか。
「そうそう。もう次はありませんから、大丈夫ですよ」
「あ、ああ……」
 穏やかに、にっこりと弁慶が微笑む。その意を察し、敦盛は恐々として頷く。
 二度と敦盛が九郎に呼ばれる夜は来ないと、そう言い切る青年は朗らかに笑っていた。彼が非常にすっきりとした様子なのは、気の所為ではあるまい。
 いつもと同じ――同じすぎる笑顔に、背筋が冷えるような思いがした。
《終》


くろちゃんのくろは暗黒の黒、弁慶の黒頭巾は闇色の黒。
今、病み色と漢字変換されてしまった……・・・

本当は助けてあげたいんだけど――九郎の方が大事だし。犠牲になっといて。
と、聞こえた気がした瞬間に、生まれてしまった何かです。多分。
いやあ捻くれてると虐めがいが……いえいえ何でもありませんよ。
楽しかったのは、事実ですが。