ぬくもり


 市中を抜ける頃から降り出した雪は、郊外の庵に辿り着いた時には、薄っすらと地面を白く覆っていた。
 イサトはある予測に基づいて、急ぎ足でぬかるむ道を進む。
 今日の訪問は前もって予告しておいたのだ。
 となれば翡翠はたとえこんな寒い日でも、自分を外で待っているかもしれない。飄々として執着心が薄いようでいて、あの男の内に隠されたものは、激しく熱い。
 雪は嫌いではないが、よりによって今日でなくてもと、恨めしくさえ感じる。やがて辿り着いた男の仮宿の前で見慣れた姿を見出した時、イサトはやはりと溜め息を吐く。約束の刻限までには大分間があるというのに、一体いつからそこに立っていたのか。
 待たせてしまった事を悪いと思いつつも、遊びに行くのが待ちきれない子供ではあるまいし、といささか呆れてもしまう。反面それほどまで自分を待ち望んでくれる男の心が嬉しいとも……ほんの少しだけ、思う。
「寒かっただろう。早く中に入るといい」
 むしろそれはオレの台詞だ。
 微笑みながら伸ばされた手は、案の定冷え切っており、申し訳ない気持ちは更に募る。
 迎え入れられた庵の中は、火が熾されて心地よい温もりに満ちている。それなのに凍える外で、こんなに冷えるまで立たせてしまったのだ。
 しゅんとして密かに落ち込んだのは、しかし明らかに顔に出てしまっていたらしい。いとも容易く表情を読んだ男は、くすくすと笑い声を上げる。
「やれやれ、私も修行が足りないねえ。君にそんな顔をさせてしまうとは」
「…………けどっ」 
「私が勝手に、外にいただけなんだよ?」
 身をかがめ、ぎりぎりまで顔を近づけながら、男は優しげに微笑む。気にすることなど何もないのだと、言わんばかりに。
 そこには一片の陰りもなく、その言葉こそが男の本心だと示している。
「君は急いで来てくれたんだろう?」
「けど、来るのが遅かったから…………」
「君は予定より、随分早く来てくれた。それでもおとなしく室内で待ちきれなかったのは私だ。一刻も早く君の顔を見たくて、つい外に出てしまった」
 だから、悪いのは私だ。
 言い放たれた断罪の言葉は、ひたすら楽しそうな微笑みと共にあり、自嘲めいた暗さは微塵もない。
 どれだけ過程で努力しても、結果が出せなければ意味が無い。そんな厳しい現実の中で生きてきたはずの男は、それなのに自分に対してはどこまでも甘い顔をする。
 その特別扱いが嬉しいものの、時に男として悔しくもなる。
「寒さなんて感じなかったよ。もうすぐ君に会えると思うと、それだけで心が浮き立って、この身さえ温もりに包まれている心持がしていた」
「こんなに冷えながら言う台詞じゃねえよ」
 無性に腹が立って、精一杯の怒りを込めて睨み付ける。しかし男は、あらわになった少年の気性の激しささえ愛しいとばかりに笑みを深くする。否――その微笑みは、先程までの穏やかな喜びに満ちたものとは本質的に異なっていた。
「――では、定番ではあるが」
 伸ばされた手が、イサトの右の手首をつかむ。その束縛には、優しくはあるが逃がさないという意志が秘められている。
「君が、暖めてくれればいい……」
 少し掠れた、甘い声。
 ゆっくりと押し倒されて、背中が床につく。準備よくのべらていれた床は、男の思惑を明らかにする。いつのまにか後頭部には右手が回されており、頭を打たぬよう気遣われているのがわかった。
 同時にそれらは、眼に見えぬ柔らかな鎖となって、少年の動きを止めさせた。
*     *     *     *     *

 さらりと男の長い髪が流れ落ち、少年の頬をかすめた。
 見上げた先にある顔は、笑ってはいたが、常の印象とは違っている。
 いつもの余裕から生まれる微笑ではなく、慈しみ愛しむ気持ちから自然と浮かぶもの。優しさだけではなく、限りない激しさと熱を隠した表情。
 その眼差しで見つめられると喜びだけではなく微かに恐怖さえ感じる気がして、イサトは訳がわからぬままに視線を逸らしてしまう。見られている、というだけで、どうして自分の体が熱さえ持ち始めているのか。まだ幼いとさえ言えるイサトには、それが理解できなかった。
 これから翡翠が何をしたいと思っているのか。それくらいは分かっている。今更それを止めようとも思わない。
 ただ恥ずかしさを堪えることが、出来ない。
 それはその行為に対しての羞恥だけではなく、自分がそれを待ち望んでいると自覚することへの恥じらいだった。
 イサトが躊躇いをみせるのとは裏腹に、男は着々と準備を進めていく。両手首を右手だけで頭の上にまとめさせると、空いた左手で少年の顎をつかむ。そのまま唇が重ねられ、幾度かの触れるだけのくちづけの後で、深く内へと入り込んだ。。
 甘さと苦しさで一杯になる少年を追い詰めながら、慣れた男の手は相手の衣を剥ぎ取っていく。イサトの身体から力が抜けたのを確認すると、右手もまた少年を悦ばせる為に動き出す。
 口腔から舌を抜き取ると、どちらのものともつかぬ唾液が零れ洩れる。それを音を立てて舐め取ると、顔を真っ赤にしている少年に少し微笑みかけた。そのまま場所を移し、首筋から肌蹴られた胸元までに、無数の赤い痕をつけていく。
 男の愛撫は丁寧で穏やかなものだ。しかし手馴れたその動きから与えられる熱は、初心者の少年にとっては甘すぎる淫靡な毒のようだった。
 胸元から腹に、背中へ。ゆっくりと時間をかけて、少年を味わい尽くす為に一時も休まず、男の指と舌が蠢き続ける。注ぎ込まれる熱に耐え切れずに陥落するまでに。
 その些細な動きのひとつずつに反応して、イサトの身体が強張り、びくびくと揺れて、微かな喘ぎを洩らす。
 必死に声を抑えようとしてぎゅっと眼を閉じた少年は、それらの仕草がより男を刺激していると気付いてはいなかった。
 下肢に辿り着いた男は、抵抗する間もなく少年のものを口に含んでしまう。驚いてもがくものの、すぐにイサトは更なる鳴き声を上げさせられた。
 巧みな追い上げに、瞬く間に少年は行き着いてしまう。高く歓喜の声を洩らして、イサトはぐったりと脱力した。
 しばらくそのまま様子を窺っていた男は、少年の息が整いつつあると確認すると、脚を折り畳むようにして、再び相手を押さえ込む。
 男は動きを停滞させることなく下肢に辿り着くと、隠されるべき場所をさらけだす。その表情はいつになく楽しげなものだ。続いて何が始まるかはわかっているものの、じっくりとこれから侵入する場所を観察されていることに気付いて、イサトはその髪と同じくらい頬を赤く染めた。
 ぺろりと、わざと見せ付けるかのように指を舐めると、入口を濡らして解していく。
 痩身優美な優男のようでいて、翡翠は戦う者だ。その指は力強さを秘めている。己の内に差し込まれた指が蠢くたびに、少年の身体は大きく震えて反応を返した。
 二本、三本と指の数が増やされるにつれて、下肢から全身へと熱が広がり、疼きは耐えられぬものへと成長していく。
「イサト……気持ちいいかい?」
 とんでもないことを問われて、きっと男を睨みつけた少年は、そこに予想外の表情を見て毒気を抜かれてしまう。
 恥知らずな質問を投げてきた男の方こそ、気持ち良さそうで、今まで見た事がないくらい幸せそうな顔をしていたのだ。
 この男のここまで無防備なところなど、他に誰も見た者はいないだろう。
 そう考えるだけで、自然と身体が熱くなる。どうしたらいいのかわからなくなって、無言で視線を彷徨わせる少年の額に軽い口付けを落とすと、両足を抱え上げた男は、ゆっくりと自身をイサトの中へと納めてくる。
「……大丈夫かい」
「ん……ああっ……くな、よ…………」 
 答えようとしても、ちゃんと言葉を紡ぐことが出来ない。
 その応えの中にこそ、少年の状態を読み取って、男は更に身体を進めた。
 互いの熱を分け合い、身体だけではなく心まで満たしあう。
 ほとんど同時に達した時、少年の意識はほとんど飛んでしまっていたが、その耳から翡翠は更なる熱を注ぎ込んだ。
 麻薬のごとく永遠に心を狂わせる、甘い甘い言葉を。

*     *     *     *     *

 ふと気付くと、横に寝そべっていたはずの男は身を起こし、微かに開け放たれた戸の隙間から、荒れ模様の空を眺めている。
 その目は白く世界を浄める舞を眺めているようで、もっと違う何処かに思いを馳せているようにも見えた。
「…………翡翠?」
 彼はこんなにもすぐ隣にいるというのに。
 どうしてだか、イサトは妙に心細くなる。
 彼が遠くへ行ってしまうような気がして、ぎゅっと単の袖を握った。
「おや、起こしてしまったかい。済まないね」
「いや――なに見てるんだ?」
 あえてわかりきった事柄を聞きながら、自分もごそごそと起き上がると、躊躇った末にぴとりと身を寄せる。
 珍しい行動に翡翠は驚いたようだったが、イサトが恥ずかしさに離れるより早く、肩に手を回して更に近くへと引き寄せる。
 触れ合った場所から伝わる温もりは、少年に安らかな落ち着きをもたらした。
「――――雪を見ていた」
「……寒いだけじゃないのか」
「そんな事は無いよ。なかなか綺麗じゃないか」
 拗ねるような少年の言葉に笑いながらも、その視線は窓の外に戻ってしまう。
「確かにこの手につかめるのに、刹那の間に溶けてしまう。まるで空の月のように、永遠に得ることは出来ない」
 いつもなら、自分から目を離すことなんて、ほとんどないのに。
「こうして見つめて愛でることしか出来ない儚さがいいんだよ」
「そんなものが、おもしろいのか?」
「海の上では、雪を呑気に楽しんではいられないからね。天候が崩れると命に関わる」
 これ以上大降りになると、心配だけど。どうせここと伊予では、空模様も違っているだろうしね。
 さらりと流された言葉にはっとなる。
 こんな風に雪が降る日は、海はとても荒れるのだと聞いたことがあった。きっとこの男は、これまで呑気に安全な場所から雪を見ることなんてなかったのだろう。
 寒さに凍えても、逃げ場のない海上では暖まる場所もなく。暖めてくれる人も無く。
 今は遠く離れた場所にいる仲間を密かに案じながらも、穏やかな顔で空を見上げる。
「……オレが雪なんて溶かしてやる」
 炎の性を持つ少年の言葉に、男は苦笑を洩らした。
「無粋なことをいうもんじゃないよ。君のその気持ちは嬉しいけどね」
「そうじゃなくて! 寒いなら、オレがあっためてやるから……」
 ぎゅっと抱きついたイサトの身体は、男の懐にすっぽりと収まってしまうほど小さい。
 けれどこめられた想いは、男の心を包み満たすほどに暖かく大きなものだった。

 己のすぐ傍に酷く暖かな存在が在ることを実感して。
 翡翠は強く、そのぬくもりを抱きしめた――


《終》