あのあとの。


 少女は双頭の竜の上から、前を歩く妖怪達に向かって、取り留めのないことを話し続けていた。
 銀髪の青年はいつものように何の反応も無く、聞いているのかも定かではなかったが、奇妙な人の顔が付いた杖を持った小妖怪は、今回ばかりは話を遮ることなく、少女がさらわれていた間の出来事に聞き入っていた。
「……それでね、気が付いたら殺生丸さまが助けに来てくれてたの」
 幸せそうに笑う少女を見ていると、心がなごむような気がする反面、物悲しい気分にもなるのは、主が自分のことは奈落の城の前に置いて行ってしまったからだろうか。
 最初にりんが連れ去られた時に何も出来なかったのも情けなかったし、犬夜叉には殴られるし、今回の一件は散々だった。話を聞きながらも、邪見は溜め息を抑えることが出来ないでいた。
「その時ね、変わった着物を着たお姉ちゃんが介抱してくれてたんだよ」
 邪見の溜め息などなれっこになってしまったのか、少女は気にせずに話を続ける。
「それからねえ、殺生丸さまによく似た感じのひともいてね……」
 にこにこと言う少女の言葉を、そればかりは聞き捨てられずに邪見が遮った。
 彼女が言っているのは、自分を放り出して走っていった犬夜叉に違いないと確信して。
「こりゃっ、あんな半妖が殺生丸さまに似ているとは何事だっ!」
「ええ? けっこう似てたと思うんだけどなあ。それに、殺生丸さまも知ってるひとみたいだったし」
 他意はない少女は、純粋に不思議そうな顔をして前を行く青年を窺うが、その歩調には変化はない。よってそれほどまずい話題ではないと判断し、無邪気に話を続ける。
「そのお兄ちゃんはね、お耳が生えてて、殺生丸さまより犬みたいだったの。りん、あの耳に触ってみたかったなあ」
「馬鹿者っ! 殺生丸さまは、あんな半化けの弟と違って、本性を現されぬ限りは耳も尾も生えんのだ!!」
 すっかり少女の相手をするのに夢中になって、後ろを向いて足を止めた邪見は、その背後で主の歩みも止まっていることに気付かなかった。
 そこが、青年に殴られるか否かの瀬戸際であることに、今回も気付いてはいなかったのである。
「ふうん、あのひと殺生丸さまの弟だったんだ〜」
「あ、いや、まあ、そうだが……」
 余計な事を言ってしまったように思われ、恐る恐る背後を顧みた小妖怪は、いつのまにやら主の足が動いていない事を知って、ぎくりと身を震わせる。
「ねえ、殺生丸さま、今度化けて見せてくれる? りん、お耳とか肉球とか触ってみたいなあ……」
「な……なんて失礼な事を言うんじゃ! 殺生丸さまの本当のお姿が、どれほど恐ろしいかも知らぬくせに!」
 焦って叫んだ邪見は、りんの驚いた表情を見て、自分の更なる失言を悟る。
 主が、りんを相当に気に入っているのは間違いない。わざわざ助けに行くなど、途中まで同行していながらも、信じられぬことだった。推察するに、こうまで無邪気に慕われると、人間の小娘相手でも悪い気はしないということだろう。
 しかしあまたの人間は、主の本性を見ると、恐れ入って命乞いをするのが常だ。
 この少女はかなり根性があるほうだと思うが、主が強大な妖犬に戻ったところを見たなら、怯えきって泣き出すかもしれない。
 ということは、だ。ひょっとして殺生丸さまが、りんの恐れ気もなく懐いてくる態度を気に入っておられるとするならば、彼女には本来のお姿を見せたくないとお思いなのかもしれない。本性を見て怖がられるのは、本意ではないのかもしれない。
 だとしたら、わしは今かなりまずいことを言ったのではっ!?
「……――邪見」
 いっそ穏やかなほどに静かな声がかかる。
 凍り付いて振り返ることが出来ない小妖怪はしかし、主の顔を確かめることなく、その怒りを知ることができた――力強く、踏みつけられることによって。
「……殺生丸さま、りんね、殺生丸さまがどんな姿になっても、怖くなんかないよっ」
 主のお仕置きを黙って見つめていたらしい少女の、可愛らしい言葉が聞こえる。
 地にずっぽりとめり込んだ小妖怪は、遠のきそうな意識の中で、これで主の機嫌も少しはよくなるだろうと、ほっとしている自分がいることに気付き……余計に物悲しかった。