let it be その声で囁かれるだけでたまらなかった。 固まってこびり付いた血を、ギギナの温かい舌が溶かしながら拭い去っていく。 皮膚が破けた箇所に直接触れてくる感触に、ガユスは肌を粟立たせた。 ピリピリとした痛みに乗ってやってくる快感が腰から背筋を這い上がり、耳の裏辺りでもたついて焦れったい痺れを呼ぶ。 ガユスは細く息を吐き出し、内腿の傷に舌を這わせ続けているギギナに目を向けた。 ベッドに腰掛け、手をついて辛うじて上半身を倒れない様に持ちこたえているガユスと、床に膝をついて抱え込んだ足に唇を寄せるギギナ。まるで女王に傅く奴隷の様だとガユスは思い、その肌に触れてくる銀糸を指先に絡めた。 一本一本が細く、それぞれが輝いて見えるギギナの髪を梳いていると、ちらりと目線だけを上げたギギナと目が合う。ギギナは愉快そうに目を細めて口元に笑みを浮かべ、先ほどよりも強く肌を吸い上げてきた。 腰が抜けてしまいそうなその感覚にガユスはぎゅ、とシーツを握り、喉を仰け反らせた。 「はっ、ん…」 「……痛い方が、好きな様だな」 「ば、か…違う……」 そうか?と笑いながら、少しずつ頭をもたげてきているガユス自身に手を添えて、ギギナはその先端に軽く口付けてきた。 「っふ、」 ぶる、と震えたガユスが透明な滴を滲ませるのを、指の背で焦らすように皮膚をなぞり上げる。 ガユスはきつく目を瞑り、細々と息を吐いた。 腿に力が入ると乾いた傷口がヒリヒリと痛んだ。 それを潤すように舌を伸ばすギギナを細く開いた目で恨めしげに見下ろしてくるガユスが、ギギナには愛おしくてたまらない。 何かに支配される事も、全て自分のものにしたいと思った事も、こんなに愛された事も無かった。何かを残したいと思った事も、誰かに何かをしてやりたいとも思わなかった。 今でもあの時何故ガユスを引っ張ってきたのか分らない。 必死になってその答えを探してみたが見つからなかった。 けれどそれでいいのだと思うようになった。 目の前にある物全てが答えのような気がしたから。 ガユスが吐き出した精を喉を鳴らして嚥下しながら見上げると、堪えたような表情のガユスと視線がぶつかった。 すぐさまその視線を横に流して避けてしまうガユスの肩に手をかけ、頬を擦り寄せながらゆっくりとベッドに横たえる。 唇をぺろりと舐め、舌先で許しを請うようになぞると、ガユスは薄く口を開いて舌を覗かせてきた。絡め取って押し戻し、ぐるりと咥内を巡って吸い上げてやると、たまらずガユスの腕がギギナの首にまわる。自分の味に少しだけ眉をひそめたガユスだったが、交わされる唾液に思考ごと持って行かれ、浮いた唇の端から短い呼吸を繰り返した。 温かい舌の執拗なまでの愛撫に、ガユスの胸元がジンジンと痺れを訴える。 小さく声を上げてみても一向に止む気配はなく、ギギナの髪がさらさらと鳩尾を撫で、左右の突起を交互に口に含まれれば後は黙って目を閉じるより他はない。 一度解放されたガユス自身が再び熱を持ち始めるのも仕方なく、何も初めてではないのだと溶けそうになる腰と脳を叱咤してみても、ギギナの欲に濡れた瞳が向けられる度にそれはぷつりと途絶えてしまう。 難しげに眉根を寄せるガユスをギギナは愉快そうに見つめていた。 強ばりよりは、まだ微かに戸惑いを見せるガユスが、自分に心を乱しているのだと思うとこんなに気持ちの良い事は無い。 邪魔な髪を後ろに撫で付けながら再びガユスの肌に口付けると、ガユスの膝頭が肩を押してくる。押し返して徐々に唇を下に移動させ、窪んだ腰骨の辺りをゆっくりと撫で回しているとガユスの息を呑む声が聞こえた。 「ギギナっ、…」 「なに?」 「っ、」 頬を上気させて、もどかしげに睫毛を震わせるガユスにこれ以上何を望むのか。 ギギナは自分自身に失笑を漏らし、膨れてこぼれ落ちそうになっているガユスの先端に指を伸ばして蜜を絡め取った。 ひくりと身体を震わせて力を込めるガユスのそこに指をあてがい、撫でて、揉みほぐしながら指を一本滑り込ませる。 辛そうに喉を鳴らすガユスを握り込んで緩くしぼり、くるくると中を掻き混ぜながら撫でてやると、きゅう、と吸い付くように締め付けてくる。 「ガユス」 「っ、な、ん…」 「もう二本、いけるな…?」 返事を待たずにぐぐっと押し込む。 溢れ出た先走りが伝い落ちてきてギギナの指を濡らす。驚くほどに易々と受け入れるガユスにギギナは目を細めた。 ―――男のガキ相手でも欲情できる奴がいるのさ そう言ったガユスの言葉が脳裏を掠める。 ギギナは唇を噛み締め、手首をくるりと返して中指を曲げた。 指先にあたるしこりを撫で、押し込める。 ガユスはギギナの肩に指先を食い込ませてがくりと喉を仰け反らせた。 「っ、…っン、」 「……ガユス、」 浅く息を吐きながらガユスは目を開けた。 見やったギギナは、痛みがあるはずのガユスより辛そうな表情をしている。 それを図れない程ガユスは馬鹿ではない。 身体を起こしてギギナの頬を引き寄せ、こつりと額を押し当てる。 そのまま暫く押し黙り、ガユスはギギナの肩を押した。 咄嗟に手を付いて倒れ込むのを耐えたギギナの肩口に鼻先を埋め、腹の包帯を指で辿り、顔を上げてギギナの目をのぞき込む。 図れずに瞳を揺らすギギナに微笑んで、ガユスはゆっくりと腰を下ろした。 ギギナに添えた掌から波打つ鼓動を感じる。 丈夫とはいえ、病み上がりのギギナに無理をさせるわけにはいかない。 何より、余計な心配をさせたくはなかった。 嫌ではないのだ。こんな自分を、好いてくれる人がいる。 「ガユス、」 「あ、く…」 ぐ、と先端の丸みが蕾を割り開き、押し込まれる。 低く呻いたガユスは、きゅ、と目を瞑って頭を後ろに反らした。露わになった喉元が波打つ。 驚いたギギナだったが、苦しそうに息を吐くガユスを見て腰を軽く揺すって挿入を助けた。 一番太い所を通り過ぎた辺りで、ガユスはビクリと身体を震わせ、とろとろと先走りを溢れさせた。 押し広げられる感覚がたまらなく気持ちいい。 ガユスは濡れた目でギギナを見下ろし、堪える様に息を吐いた。 全て呑み込んだガユスは、背を仰け反らせ、一瞬息を止めた。 その背を撫で、ギギナは溢れてくる蜜を絡めながらガユスを抜き上げる。 「無茶を、する…」 「へい、き……初めてじゃないし……でも、ホントに好きな奴とやんのは…、」 だから心臓が飛び出そう、と笑うと、何故だかギギナは溜息を吐いてかくりと頭を垂れた。 何かおかしな事を言っただろうかと不安に思っていると、突然顔を上げたギギナが腰をぐ、と強く引き寄せてきた。奥深く抉られ、甲高い声が漏れる。 「っあ!な、なにっ、」 「お前は……どれ程私を煽れば気が済むのだ」 「別に、煽ってなんか、」 「寝かせない」 「なに勝手なこと言って、」 「離せと言っても、離してやらない」 「ギギナ……」 「ずっと」 見下ろしたギギナの瞳に、困ったように笑いかけた。 「ガキ臭い…これじゃ、心配でおいてけない」 どうやら、別の心配をしてやらねばならないようだ。 涙が滲む。 泣き言が漏れそうな唇をギギナの唇に重ね、言葉を飲み込む。 喉の奥からくぐもった声が漏れ、優しげに緩むギギナの顔も霞んでしまう。 「んっ……ふ、……っ」 「ガユス?」 指先で前髪を避けて見上げてくるギギナに、ガユスはただ黙って首を横に振るだけで。 額にギギナは優しく唇を寄せ、泣き虫、と笑った。 そんな甘い声にすら涙が出る。 好きだから側に居たいとか、 好きだから抱きしめたいとか、 そんな当たり前のような事が何故いけない。 本当は他人なんかどうでもいい。 自分の幸せも掴めないような人間が、どうして他人を幸せに出来る。 偽善は要らない。 飾らない言葉が、ただその一言が欲しい。 ◇ ◇ ◇ 擦りつけるように腰を揺らめかせ、ガユスは荒く息を吐いた。 ギギナに負担をかけないため、上半身を後ろに反らしてギギナの膝に手を置く。 自然と腰を前後に動かす形になって、揺れる性器からこぼれる先走りと触れ合い奏でる音、見られている羞恥と快感とが混ざり合って訳が分らなくなってくる。 ぱさぱさと打ち振るう赤毛が汗に濡れて色を濃くしていた。 ギギナはベッドヘッドに背を預け、揺れるガユスの腰を両手で包み込み、するすると胸元へ掌を滑らせた。突き出すように反った胸につんと尖る両の粒を指の腹で円を描くように擦り、引っ掻いて再び脇の下の皮膚の薄いところや鳩尾、腹を辿りながら掌を彷徨わせる。 乾いた唇を舐めるガユスの、切れ切れに漏らす声。 時折呼ぶギギナの名。 たまらずギギナはガユスの身体を引き寄せ、頭を抱いた。 初めこそギギナを気遣っていたガユスだったが、そのギギナ本人が引き寄せるのだ。素直に身体を預け、その背に手をまわす。 「ぁっ、ん、…ンっぁ、はっ…あ…、」 見下ろすガユスの瞳は涙で潤み、噛み締めても直ぐに解けてしまう唇からは甘えるような声がこぼれて止まらない。 しがみついてくる腕が何度も何度もギギナの背を抱き直し、戯れに少し強く突き上げてみれば自由にならない腕でぎゅ、と縋り付いてくる。 触れ合っている肌が熱くてたまらない。 その熱にすら感じて、ガユスはただひたすら声を上げた。 ぴたりとくっついた胸が忙しなく上下するたび、ギギナの腹に擦られたガユス自身からも濡れた声が漏れ、真新しい包帯にその名残を塗りつけていく。 「っは、は、…ぁっ、あぁ、ギギナ…っ、ギギナ……おれっ、俺っ、ギギ、ナ…っ」 朦朧とした意識の中で涙を流すガユスは自由に言葉を紡げず、頼りなく瞳を揺らしてギギナを見つめるしかなかった。泣き声と吐息に震えるガユスの唇を舌先でなぞり、下唇を柔らかく噛んでギギナは目元を緩めた。 「分っている」 「んっ、は、ぁっ、…そ、なら、……いい。だったら、いい、何も、」 目を閉じて顎を反らせたガユスの頬をつるりと涙の粒が滑り落ちた。 分っているならいい。 言わなくてもいいなら。 嘘にならずに済むから。 「ガユス、」 「はっ、ん、…ギ、ナ…ギギナ、」 「愛している」 「……っ、」 どうして…… ギギナは易々とガユスが必死になって積み立てた壁を飛び越えてくる。 本当は、怖くてたまらないのに。 早く迎えに来て欲しいと思う。 息を切らせて、声を嗄らせて、何度でも叫んで欲しい。 自分からは怖くて近寄れないくせに、その先を請う。 こんな卑怯な自分を、ギギナは笑って許してくれるだろうか。 背を強く掻き抱かれて、ギギナはガユスに覆い被さるように倒れ込んだ。 顔を横に向けたガユスの目尻からだけでは飽き足りず、溢れた涙は目蓋の上も通ってガユスの耳元を濡らした。涙でドロドロになったガユスの顔を指先で辿り、ギギナはその髪を愛おしげに撫でた。ひくりと震えたガユスが声を漏らす。 「も、いっかい、」 「ガユス」 「…言って、もう一回……ギギナ、」 「愛している」 「ふ、…っく、」 「愛している、ガユス…好きだ……他に、何と言えばいい…ガユス…これ以外に、何が、」 「いい、他に、なんにも…お前が、ギギナが…側に、」 いっそ、このまま、 「ギギナ、ギギナ…っ、」 縋り付いたこの腕が溶けて一つになってしまえばいいのに。 「…ギナっ、…し、て…俺もっ、…あいして、っ」 どうか、全てが嘘にならないように。 この声も、腕も、熱も、全てがまた一つになるように。 もう一度、その名を呼ばせて欲しい。 そして何度でも、好きだと言って。 ◇ ◇ ◇ 「……そのまま、聞いて」 ベッドに腰掛けたガユスは、その傍らで横になっているギギナに背を向けた。 起きあがろうとするギギナを制して、その顔にバサリとシーツを被せる。 「10年……いや、5年だ。それまでに、必ずお前達から仕事を奪ってみせる。銃を剪定鋏に替えてみるのもいいかもしれない…むせ返るくらいの花と。誰が一番キレイに咲かせられるか、それ位の争いはいい…隠居老人みたいな生活、毎日毎日暇で仕方なくて…そんな暮らしさせてやる。だから、お前は黙って俺の側にいるだけでいい…花に群がる蜂の退治くらいがお前の仕事だ…それに飽きたら、今度は家でも建てろ。沢山の人が住めるような、真っ白い家を建てろ。大きな窓が幾つもあって…毎朝、陽の光が入って……風が、」 「ガユス、」 「南側の角部屋は、……俺の、」 「ガユス……」 「……広いキッチンと、広いバスルームと、狭いベッドで、」 「ガユス、」 シーツから頭を出したギギナにはガユスの後頭部しか見えなかったが、その頬が涙に濡れているのだけは分った。 ガユスがどんな表情をしているのかは分らない。 けれどそれは多分、ギギナが思っている以上に晴れ晴れとしているはずだ。 詰まりながら喋るその声が、真っ直ぐ前を見ていたから。 「……だからギギナ、俺、いってくる」 ガユスは振り返らなかった。 ギギナもベッドに頭を預けたまま動かなかった。 ただガユスのその手に触れ、手首を撫で、小指を絡めた。 「あぁ」 その言葉にガユスは一度深く息を吸い込むと、ギギナの手を握りかえした。 暫く黙ったまま、掌から伝わる体温だけを感じて目を閉じる。 ふとその手が離れた。 名残惜しそうに体温が糸を引き、絡まった指先が震える。 「いってきます」 ◇ ◇ ◇ その時ガユスが浮かべた泣き笑いの笑顔を忘れた事は一度も無かった。 暗い夜を一人で過ごす時も。 火薬の匂いが手に染みこんで消えない時も。 朝日が眩しいものだと気付いた時も。 ただこの瞬間。 それはキレイに消え去ってしまった。 何故ならばもう、一つの表情を擦り切れるほど繰り返さなくても、いつでも見たい表情を見る事が出来る。 今確かにこの目の前にあるのは、悲しみではなく、喜びの涙に歪んだ笑顔なのだから。 伸ばした指先に触れた体温が覚えていたものよりも少しだけ温かくて、思い出すように。 そして、確かめるように抱きしめた。 あるさ。 あるよ、幸せは。 簡単なことだったんだ。 目の前にある愛しいものを思う気持ちが幸せなんだ。 だから、感傷に浸るよりも早く、その声が聞きたい。 「ギギナ……会いたかった」 その声は、覚えていたものよりもずっと近くに聞こえた。 さよならのかわりにいってきますを END |