3.葬儀形式の変遷・・・・自宅葬から会館葬を経て自然葬へ

古来、日本民族の葬儀は、あくまで個人を祀るものであり、墓も個人を偲ぶ墓標としての存在で、民族 学者柳田国男のいう「民族のこころ」に根差したものであった。

明治時代に入り、家制度が確立されると同時に葬儀形式もお墓の形態も変化して行った。
家意識の高揚により、家人は家のためどんな犠牲も厭わないという時代風潮が、庶民の間にまで広がっ て行き、国のため、家のため個人は滅私奉公、「私」の犠牲強いられた。
前述のように、お墓も、○家の墓、○○家先祖代々の墓と、家単位の墓の建設が目立つようになるのは、 明治時代になってからである。

また同時に、葬儀もそういった庶民感情が反映されるものとなり、「家」誇示のため、「お家存続」の ため、葬儀は、盛大に自宅で執り行う「自宅葬」が主流であった。
これは、世間体を気にする見栄張りの意識の高揚に繋がり、各家族が競争単位となるとともに、家と家 からなる地域社会(村)は、当然ながら見栄張りのぶつかり合い、葬儀も一段と派手なものになってい った。

宗教儀礼研究所の資料では、昔ながらの葬儀は、葬儀全体のなかで最も派手な部分は、今日のように 祭壇を豪華に飾ることではなく、‘野辺送りの儀礼’であった。
葬列がタイマツを先頭に、位牌・香炉・花籠・楽器・幡・御輿などが大勢の人によって分担されて火葬 場まで進む葬儀儀式である。
やがて、大正時代に霊柩車が登場し、道路が自動車の往来するところとなって、大正15年(昭和元年) に、葬列を出すのも事前に警察に届けを出し、許可を受けることが義務付けらるようになった。
それ以来、葬列は簡単化され、行き場を失った野辺送りの道具は、祭壇に飾られるようになったとのこ とである。

時代の流れとともに、明治時代全盛であった家制度が崩壊して、「家」主義から「個人」主義へと社会 意識が変化するにつれ、当然ながら葬儀形態も変化してきた。
今まで自宅で執り行なわれていた葬儀が、葬儀社の経営する会館で行なわれる「会館葬」へと移行する ことになる。
その時代背景には、核家族化の進行と同時に郷里を出て都会に住み着く人々が増え、家族分散による家 離れが進んだ結果、家同士、近所同士の葬儀互助活動を支える人が少なくなり、葬儀は葬儀社まかせの 状態となった。折からの建設ブームもあって、全国に葬儀会館建設ラッシュが相次ぎ、葬儀社の全盛を 迎える。

この葬儀社全盛による「会館葬」ブ−ムはまた、寺院の経営にも大きな影響を及ぼすことになる。
今までお寺主導型であった葬儀形態が葬儀社主導型へと移行することになるのである。
家制度の崩壊が、家と密接につながりを持ち続けてきた檀家制度の弱体化を促し、寺院の経営が経済的 に基盤縮小した結果、葬儀社からの要請を収入源とする寺院が現れるに及んで、寺院と葬儀社の立場が 逆転した。

この現象に対して、仏教界でも異論が沸き起こり、日本に仏教伝来以来の日本仏教の教理を研究する 仏教関連大学や大学の宗教学科の教授を主体とする「教理仏教」と、在野にあって葬儀業界との絆を深 め葬儀社に従属もやむなしとする「葬儀仏教」との間に、2層化が進んでいることに、大阪大学教授 大村英昭氏は、その著書の中で警鐘を鳴らしている。

いずれにしても、現在の世相が、独身者や子供のいない人、継承者がいなく自分の死後不安を抱く人等 が増えている今日、それに対応したお墓の形態としての合祀墓の建立や、庶民感情を汲み取る具体的啓 蒙活動に専念せず、宗教家が混迷の現代世相に指導的役割を果たし得ないとあっては、庶民の宗教意識 は薄らぐばかりである。

また、大阪市立大学教授金児暁嗣氏は、大学に入学してくる新入生やその両親に、宗教意識や宗教行動 に関する調査を行なった結果として、現代人の祖先意識はせいぜい祖父母段階までがリアルな存在とし て認識に登り、「家系の初代」との認識は薄いこと。及び宗教意識としては「消極的肯定論者」が大多 数で、「宗教はそれを信じて深くかかわるよりも、“たしなむ”程度がよい」とする考え方が圧倒的に 多い、と指摘している。
このことは、現代人の宗教意識は、心の深いところに根差したかつての宗教に対する‘畏敬の念’が希 薄化したことを意味するものであろう。

一方、このように全盛を極めた葬儀社主導による葬儀形態にも異変が起こりつつあることを見過ごして はならない。
その出発点は、葬儀社の不透明な価格体系と、庶民に開かれていない旧体質に起因する。
会館葬による葬儀形態の定着により、会館を持って組織ぐるみで葬儀業界に参入しようとする異業種参 入組(農協,生協等多くの組合員を持つ団体)が出現して、葬儀のシェア−争いは激化してきている。

また、ごく一部とはいえ、庶民の間では、この会館葬による葬式に頼らず、自分たちだけで納得のいく 費用で葬儀を行なうグループや、僧侶も墓も要らないとする散骨の会や、葬送の自由を勧める自然葬の 会等が活動を開始しており、会館葬離れが進んでいる。
その上、“有名人の地味葬、普通人の派手葬”と評されるように、生前本当に死者と懇意にしていた身 内・関係者だけの密葬による‘地味葬’が見直され、著名人では、「散骨」を希望した演劇の沢村貞子 さんや“寅さん”を演じた渥美清さんの「密葬」などが有名である。

このように、葬儀社の独壇場であった葬儀業界も、葬儀が儀礼的なものとの認識が強まった今日、その 全盛にも確実に、カゲリが見え始めており、時代の流れは「自宅葬」から「会館葬」を経て「自然葬」 へと移行しつつある。

原点に帰れば、長い間忘れていた柳田国男のいう「民族のこころ」を思い出した現代社会が、日本人の 心とかけ離れたところで行なわれていた葬儀を、古来から続く日本人の自然回帰願望のもと、自然に帰 してきたものと、みなすことができる。


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