小学校のころ
シャンプーが苦痛でした.親が洗ってくれないので,週に1度,近所の美容院で洗ってもらっていました.300円くらいだったと思います.小学校3年のころは,友達に「テンネンさん」というあだ名をつけられました.とてもつらく泣きたかったのですが,友達関係が悪くなと思って我慢していました.(同じ学年で縮毛の女の子がいましたが,彼女は泣いていました.周りは「なんで,そんなことくらいで泣くんだ?」と冷たかった.)中学年になると,髪の毛を濡らすのもいやになり,髪の毛を洗わなくなって,それがもとでいじめにあいました.そのころいじめられていた男の子の一人は,中学高校も同じ学校で,高校の同窓会のとき,小学校のそのときの話を持ち出してきて,すでに,28歳になっていた私を同じネタでいじめようとしました.みんなの前で「こいつは小学校4年のころ,髪の毛をずっと洗わない汚いやつだったんだ」と宣伝していました.冗談ぽくではなく,イジメを楽しんでいるようでした.私はすでに成人して精神的に強くなっていたし,周りの友達も彼に対して,「こいつは一体何をいいだしたんだ」という感じで,救われました.
高学年になると,髪の毛を長くしてつねに縛っていました.前髪はカーラーをまいたり,努力しましたが,どうにもならなかったので,ピンでとめていました.とても老け顔になりましたが,仕方ありませんでした.この頃から写真が嫌いになり,小学校4年から高校1年まで,私の写真はほとんどありません.
中学校のころ
体育会系のクラブのため,髪の毛を短くしましたが,髪の毛のせいで,頭が倍の大きさになったようでした.このころはシャンプーのたびに2時間かけてブローしていましたが,雨が降ったり,体育をして汗をかくと,その2時間は全て無駄となりました.授業中,後ろの席の男子に「うわー,ものすごい髪の毛,爆発してる」といわれ,授業の度に「原爆投下ひゅーーーーー,ぼかーん」と後ろからいわれていました.
高校のころ
高1になると修学旅行がありました.旅行先は霧の多い地方で,旅行前に美容院にいって,カットしてもらってまっすぐにしてもらったのも全く無駄でした.修学旅行は記念になるからといって,たくさん写真をとられましたが,私はその写真を見るのはとても嫌です.ほとんど見ていません.このころになると,髪の毛を長くしておいて,2時間ブローをかけたら,晴れている日は,まだ,なんとかなることがわかりました.このころから,私は肩より髪の毛を短くしたことが今までありあません.また,編み上げが上手になり,大抵は髪の毛を縛っていました.しかし,私は生え際に自身がなく,最もクセの強い,前髪は常におろしていました.四六時中前髪が気になっていました.
大学のころ
ストレートパーマが登場しました.うれしくて一月に一度はかけていました.ところが,何度目かのストレートパーマで,髪の毛が途中から切れてしまい,それまで髪の毛は長いものの,枝毛は一本もなかったのですが,枝毛だらけの髪の毛になってしまいました.
社会人になって
好きな人ができましたが,彼に「髪の毛の長い女は気持ち悪くて嫌い」と容姿のことで非難されました.それも,他に10人くらい友達がいる場で面と向かって言われました.このころになると,前髪のコンプレックスより,実をとるようになり,前髪ものばして,全体でひっつめ三つ編みにしてとめておくようになりました.
ハビットとの出会い
以上のような経験を踏んだ後,会社である女性と出会いました.彼女はとても若くきれいな人で,何に対しても積極的な魅力的な人でした.彼女は美しく長い髪の持ち主でした.親しくなっていったある日,彼女が私に
「ねえ,keikoさん,その天然パーマなんとかしたいとおもわへん?」
といってきたのです.そう,なんと,彼女も天然パーマだったのです.彼女のきれいな髪は毎月ストレートパーマをあてて,その上にふつうのパーマをあてる半日も美容院で過ごす努力の上で成立していたのです.その彼女が紹介してくれたのがミスターはビットでした.
そして,リペア,リューレントへ
ハビットをかけて,生まれ変わった私はこのwebページを立ち上げました.この感動を他の縮毛の人にも伝えたかったのです.そして,私のページを見て下さった方の縁でリペアと出会いました.まっすぐ,そしてさらさらの髪の毛を手に入れました.つらいこともたくさんあったのですが,この感動はふつうの方には味わえないでしょうね.そして,自分にはわからない他人の痛みを共有できる人間にもなれたと思います.