自己否定から出発したやしきたかじんが自らに強いた完璧な自分

                        ---- 角岡伸彦「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」を読む(2015.1.31)

角岡伸彦は「被差別部落の青春」で鮮烈なデビューをした元新聞記者にして、ライターである。
1963年に関西で生まれた角岡は、やしきたかじんの14歳年下にあたり、
たかじんがラジオで活躍し始めたころに、ちょうどラジオを熱心に聞く少年時代を過ごしたリアルタイムなやしきたかじんの受け手だった。
常に社会的弱者に寄り添うような著述を続けている角岡は、家族をはじめとする関係者に丁寧に足を運び取材を重ね、
やしきたかじんの著書(いわゆるタレント本)での記述や番組での発言なども使いながら「人間・やしきたかじん」と向き合っている。

ということで、この本で描かれているやしきたかじん像なのだが、
角岡自身があとがきで書いているように、「ややこしい人やなあ」ということに尽きる。
「繊細かつ純粋で、思ったことをすぐに行動に移す一本気な人物である一方、
内気で見栄っ張りで打たれ弱く、だからこそ大きく見せようとするところがあった。」(p267)

もう少し言葉を添えるなら、 繊細さゆえの深い洞察力と純粋さゆえの強い正義感をもったやしきたかじんは、
その深い洞察力が明確に描き出した理想の姿を思い立つと、 強い正義感が突き動かすようにすぐに行動に移す一本気なところがある。
そのゆるぎない理想と強い正義感は、安易な妥協をしてしまうことを自分に許さず、理想を実現させるための努力は並大抵のものではないが、
その理想が実現しないときには強く自分を責め、おびえるような内気さを秘めていた。
そんなことから打たれ弱く、自暴自棄となりがちで、逆に去勢を張って見栄っ張りとなり、だからこそ大きく見せようとするところがあった
と言えそうだ。

高校の新聞部時代に旧赤線地帯を取材し、その理不尽さをテーマにした曲まで作ったものの、
プロデビュー時にレコードとして発売しようとするも、たちまち発売禁止となってみたり、
最初の結婚をして子供が生まれる時、妻が「一流の歌手」になることを望んだことから、
突然、東京に出奔し、オーディションを受け続けるもうまくいかず、
京都に戻って改めて家庭を大事にしようとはしたが、長続きせず他の女のもとを転々としたり、
ようやく、メジャーから2枚のアルバムが発売されたものの、
売れ行きが芳しくないとして、突然、歌手をやめ、水商売をすると言い出したり。

歌手として、少しずつ成功し始めた後も、レコーディングに際しては、二週間ほど節制し、自宅で曲と向き合い、
スタジオに入るや、完璧な歌声で一日に数曲もの音入れをあげていく一方、
詞が気に入らないとレコーディングを拒否したり、アルバム制作自体が中止になったこともある。
「あんた」は、最初の妻のイメージがあるとコンサートでも大切に歌っていたが、
最初の妻が若くして病死すると、その後は一切歌われることのない封印曲となったという。

そして、コンサートでは、幕開けの一曲目のイントロが終わり、歌いだしが始まるまで、
膝に頭をすりつけるように体を二つ折りにお辞儀するほど大切にしていたにもかかわらず、
突然、今後のコンサート活動を中止することとし、歌手活動中心だった個人事務所を解散し、ファンクラブまで解散してしまう。

人生の前半では、たかじんの強い思いが空回りして社会に弾き飛ばされ、
人生の後半では、しつらえられた舞台にたかじん本人が応えられなくなった感がある。

そして、そんなやしきたかじんの「ややこしさ」の原点にあるのが、たかじんと父との関係がみてとれるようでもある。
たかじんの父は、日本の植民地であった朝鮮半島に生まれた在日韓国人だった。
厳格で昔気質で、読書家で、中小企業を経営していた父と対面する際、
たかじんは「和室では足をくずすことはなく、受け答えは常に敬語だったという。」(p20)

そんな絶対的な存在であったたかじんの父だが、絶対的な存在であったがゆえに、たかじんに「呪い」のようなものを残した。
父は、たかじんら子どもたちの将来を案じ、母と入籍しなかったのである。
その背景に、当時、より厳しかった民族差別があることは想像に難くない。

しかし、たとえ子どもたちの将来を案じたがためであったとしても、
家族の中で絶対的な存在である父親自身が、自分の出自を否定し隠そうとしたのである。
そんな矛盾したメッセージを刷り込まれたやしきたかじんは、どこか自己否定から出発しているように見えてならない。
自己否定から始まるからこそ、誰もが認めるほどに完璧でなければ自分を認められない。
この本に描かれたやしきたかじんは、そんな呪いに苦しめられながら、時に成功し、時に逃げ出すような人生に見えた。

闘病生活が始まってからは、たかじん周辺の取材はほとんどかなわなかったようだ。
その事情は、たかじん闘病生活にスポットを当てた別の本が出版されたことからも理解できる。
しかし、その本を含めて、新たに他のたかじんの評伝を読もうとは思わない。
それは、この本を読むだけで、十分にたかじんの人となりというものを理解できたからだ。



    
         小学館サイト内「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」ページ
      
         Wikipediaやしきたかじんページ
         Wikipedia角岡伸彦ページ                 
        角岡伸彦公式サイト

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