将棋界を知り、棋士への尊敬がある妻の目から描かれた渡辺竜王
------伊奈めぐみ「将棋の渡辺くん」1巻を読む(2015.12.16)
著者の伊奈めぐみは、女流育成会に在籍して女流棋士を目指していたこともあり、
詰将棋専門誌「詰将棋パラダイス」に作品が掲載されるなど詰将棋創作活動でも知られ、
兄もプロ棋士であるとともに、何より夫がトッププロ棋士の渡辺明竜王という人物である。
結婚後は、将棋関係の活動は控えているが、いつのまにか美大を卒業し、
軽妙な文章と、添えられたカットが秀逸な上に、将棋関係の事情にも詳しいという、
将棋ファンには嬉しい「妻の小言」というブログを続けていることでも知られている。
そのブログの評判からか、
夫・渡辺竜王を題材にした漫画を描き始めることなったのが、この「将棋の渡辺くん」である。
伊奈めぐみは、勝負を争う指し将棋よりも、詰将棋を解く方が好きといっていたという。
つまり、将棋を戦争ゲームの延長としてとらえていないということだ。
ならば、伊奈めぐみは、どんな風に将棋をとらえ、強くなっていったのだろうか。
そのヒントとして、美大への進学、マンガ表現への転身というものがありそうだ。
美術的なセンスのある人は、目に映るものをしっかりと把握し、再現する能力にたけている。
一方、将棋は理詰めのイメージが強いが、トップ棋士は直観が優れているともいわれる。
現在の局面とその後の展開をイメージとして把握し、確実に再現できるなら、
その次の展開を誤りなく考えることができ、形勢判断にも見落としがない。
実は、将棋が強くなるためには、手順を組み立てる能力とともに、
誤りなく画像を把握する能力も必要なのではないかと感じた。
もう一つ感じたのは、棋士に対する距離感の問題だ。
この本では、しばしば夫・渡辺明のぬいぐるみ好きがネタにされている。
平気でぬいぐるみと会話をする渡辺竜王は、一般には常識を越えた人である。
しかし、単なる身内のグチとして滑稽に描くのではなく、
一度は女流棋士を目指したものとして、根源的にプロ棋士への尊敬を秘めつつ、
稀有の才能を持った大棋士の親しみやすさとして表現している。
しかも、棋士ならではの感覚や棋界独特の常識を理解しているため、
世間には謎の多い棋士の生活を、棋士の立場を代弁すしつつ、ファンに紹介しているようでもある。
ただ、著者名の伊奈めぐみの下に巻かれた腰巻に、
(旦那は渡辺明)とあるのは、ちょっとかわいそうな気がするのだが。
渡辺竜王を描くことで将棋界も描く、「見る将棋ファン」養成本
------伊奈めぐみ「将棋の渡辺くん」2巻を読む(2016.9.12)
現在を代表する将棋棋士・渡辺明の妻・伊奈めぐみが、夫・渡辺明の日常を描くノンフィクションマンガである。
プロ棋士がどういうものか、渡辺明がどういう人かについては1巻で説明したので、
この2巻では、安心して渡辺竜王(20.16.9.12現在)の現在を描く。
とはいえ、タイトル戦前日の渡辺竜王の様子を描くには、
タイトル戦の前日に、どんなイベントが催されているかを描かないといけない。
(対局室を確認する「検分」では、盤駒の確認から、対局室の環境も確認する。)
渡辺竜王の先手後手についての独特の感覚を描くには、
現在のトッププロが「先手になること」をどう評価しているかを描かないといけない。
(先手の方が若干勝率が高く、トッププロになるほど先手の勝率が高い。)
つまり、インサイダーな渡辺竜王の身辺雑記を描いているようでいて、
あわせて、将棋界とはどんなものなのかについての情報も満載だったりする。
むろん、渡辺竜王のぬいぐるみじゃない動物に対する独特の身勝手な感覚を描いたり、(ほとんど興味がない。むしろ苦手。)
実は、用意周到な行動をすることが習い性、という意外だが納得できる事実も描かれる。
好きな人ならいっそう好きになり、そうでない人も興味を持ってくれるような、
良く出来た(「将棋」ではなく、)「将棋界」の入門書になっている。
あるいは、「見る将棋ファン」養成本と言えようか。
そうでなければ、禁じ手メンバーによる禁じ手質問というあの鼎談を、
(鼎談相手のぬいぐるみのモノコは、当然のように、二人のなれそめを質問する。)
さも当然のように巻末に載せているはずはない。
ビールの注文に「同歩」「同歩」と重ねる棋士たちの日常
------伊奈めぐみ「将棋の渡辺くん」3巻を読む(2018.4.8)
将棋棋士・渡辺棋王の「妻」としてブログで発表した
思いやりのある「小言」と軽妙なイラストを見込まれて始まったこの作品も、
連載も5年目になろうとしており、単行本も第3巻である。
伊奈めぐみ自身も「将棋の渡辺くん」の作者としての地位を確立したためか、
この巻では、伊奈が取材を受ける場面があったり、
将棋界初の外国人棋士のカロリーナ・ステチェンスカ女流一級を自ら取材している。
とはいえ、基本は、ぬいぐるみへの深い愛情やマンガや競馬に偏った知識といった、
渡辺棋王の常人とは少しズレている日常が、たんたんと愛情をこめて描かれる。
将棋ファンとして楽しかったのは、棋士が将棋用語を日常的に使うというネタで、
居酒屋で、「初手は枝豆」、ビールの注文に「同歩」「同歩」、
鍋ものの具材を入れる順番が「手順前後」、
多く注文したのは「指しすぎ」、少し残したけれど「形作り」にはなった、
と続くあたりが実に秀逸だ。
「進撃の巨人」の諌山創を交えた巻末の鼎談では、
「勝負の分かれ目は30手先の図形認識による時がけっこうある」などという、
渡辺棋王の深い言葉がさらりと載せられていたりするので、なかなかあなどれない。
第4巻は、2019年秋ごろの予定だそうだ。 本格長期連載になりつつあるらしい。
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