よくわからないのに、むげにもできないような、つげ義春的世界---- 「つげ義春 夢と旅の世界」を読む(2014.11.17)もともとつげ義春については何冊かは読んでいも、それほどには特別なこだわりがなく、 東村アキコをはじめとする編集し執筆した関係者がつげを絶賛崇拝するのを否定する気もないけれど、 かといって心の底から同調も出来るわけでもなく、 異教徒の宗教行事にうっかりと参加してしまった観光客のような心境になった。 ぼんやり眺めるだけで許してもらえるなら、興味本位の人間にも十分に楽しめる。 糊付けされたネーム、セロハンテープの貼り跡や鉛筆の書き込みなどが残され、 緻密な描線が見て取れる「ねじ式」、「紅い花」「ゲンセンカン主人」の原画、 1966年から76年の「旅人時代」に撮られた日本各所の秘湯などの写真、 10ページにも及ぶつげ義春ロングインタビュー、エッセイから拾われた略年譜など、 つげ義春を深く知るためには貴重で、ありがた味のあるページが続く。 そんな「つげ遺産」と呼ぶべきものは、どうでもいいというには惜しいが、 それが本当に大切なものなのかと真顔でいわれると、少し困惑してしまう。 そもそも、作者であるつげの側に値打ちものだというギラギラした自己主張はなく、 それでいて、いろんな謎が仕掛けられていて、うかつにむげにもできないような、からめとられるような世界が展開される。 「それが、つげ義春なのだ」としたり顔で言い切ってしまうのも、どこか逃げを打って誤魔化してしまったようなザラザラ感を残す迷惑な存在。 もう面倒なので、この際、判断停止をして、それがつげ義春なのだと言っておこう。 そんな存在。 そんな一冊。 |