沖縄出身者が演ずる「埼玉解放」という幸せな物語
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映画「翔んで埼玉」を見る(2019.3.9)
小さなナショナリズムを背景にいい加減な展開をマジメに描く
という点で、「プリンセス・トヨトミ」に近い「バカ映画」の範疇に入るのだろう。
原作は、魔夜峰央が1982年から83年にかけて描いた未完のマンガである。
そうした点では、原作への懐かしさとともに、どう映画化するのかという思いもあって、小さな「ボヘミアン・ラプソディ」的な興味もあった。
未完作品の映画化なので基本設定は原作から受け継いで
いるものの、
ストーリーは原作が「描かなかった/描きたかったかもしれない」オリジナルである。
主人公の麻実麗の名は、当時、宝塚の雪組トップだった
麻実れいからきている(はずだ)。
長身でワイルドで女性を虜にする感じは、原作にも映画にも受け継がれている。
相手役の壇ノ浦百美の物語内での立ち位置は完全にヒロインなのだが、
少年設定にしているのは、パタリロ・ラシャーヌでも見られる魔夜峰央流の味付けだ。
原作では百美の姓が白鵬堂になっていたのだが、設定の
変更による影響というのもあるが博報堂に遠慮したような気もする。
そもそも、原作では敵役の名が「自民党幹事長の階階堂進」だったのだが、
当時、本当に自民党幹事長が二階堂進だったので、いろんな意味でシャレにならない。
魔夜も多くを語らない連載中止の理由が、実はこのことにあったとしても驚かない。
さて、映画では敵役を壇ノ浦百美の父である東京都知事
に置き換え、
埼玉県以外に「通行手形」が必要とされる地域として千葉県を置き、
その一方で、千葉には東京を名乗る施設が許されるという「懐柔策」もあり、
さらに、神奈川県の東京へのへつらいを展開させることで、 よりくっきりと、しかも複層した南関東の力関係を描いている。
とはいえ、江戸川をはさんだ流山の地で埼玉と千葉が繰
り広げる「戦い」は、
埼玉が高見沢俊彦の大凧を出せば、千葉がYOSHIKIの大漁旗で対抗するという、
どこがどう戦いなのかわからないような、とことん無意味なものだ。(逆に、上手い。)
物語の最終盤、大同団結した埼玉解放戦線と千葉解放戦
線は東京に侵入し、
百美の活躍もあって都知事の悪事は暴かれ、埼玉と千葉は解放される。
なんとも雑に成功した幸せな物語だが、
もともともと雑すぎるギャグ設定を きちんとたたんでしまったことを賞賛すべきだろう。
映画はというと、さらに重層構造になっていて、
そんな「翔んで埼玉」の物語をラジオから流れる「都市伝説」として聞いている現代の埼玉県の一家が登場する。
この一家の父・ブラザートム、娘・島崎遥香、娘の恋人・成田凌は埼玉県出身で、
母・麻生久美子が映画内の設定どおりに千葉県の出身であるあたりが、なかなか周到だ。
そして、都市伝説として語られるのは、たとえおとぎ話
のようなハッピーエンドかもしれないけれど、
厳しい差別を受けている(埼玉県や千葉県の)人たちが立ち上がり、なんら武器らしいものを持っていないのにもかかわらず、
自分たちの地域だけが差別されることは許されないという強い思いによって、
機動隊のジュラルミンの盾による封鎖を軽々と突破し、本当に東京と自分たちの地域を変えてしまうという物語である。
この映画がいろんなところに念入りな仕掛けをしている
ことを踏まえるならば、
主人公の麻実麗を演じた
GACKTと壇ノ浦百美を演じた二階堂ふみが、ともに沖縄県出身であることは見過ごすことはできない。
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