迷いながら、街歩きを楽しむ

               −TAMA CINEMA FORUMへ行く(2002.11.22-24)
   1日目〜神田・某蕎麦屋日本酒事件(2002.11.22)

 今回の旅行の目的は、「第12回 TAMA CINEMA FORUM〜RESPECT佐々木
昭一郎2」に行くことである。このイベントに出かけるのは、去年に続きいて2年連続だ。佐々木昭一郎にそれほどの思い入れがあるわけでもないのだが、1984,5年に京都で行われていた上映会を気になっていながら見過ごしてしまった体験が大きく響いている。これだけ話題になった作家の作品ならば、次の機会がいくらでもあるだろうとたかをくくったのである。しかし、次の機会はなかった。むしろ、若い勢いで上映会をやってのけたことの方がたいしたもので、水面下での地道な努力が必要なこうした上映会が再び実現するためには、15年という「みんな大人になる」までの歳月が必要だったのである。

 旅支度のまま午前中仕事をして、そのまま新幹線で夕方には東京へ。今回の宿は、新宿である。私のフランチャイズは水道橋なのだが、連泊できるところがなかった。新宿は中央線・京王線へのアクセスが良いので選んだものの、今一つ土地勘が無い。新宿駅を出て東へ向かうが、地図の上ではわかっていても景色がわからない。恥ずかしながら、地図を出す。今いる新宿通りは南側の道、一本北の靖国通りから少し北に入ったところに宿がある。宿の案内にある「新宿らしくない閑静なところ」というのは、そのとおりのようだ。
 ところが、歓楽街からはずれたはずの大きな交差点の角に、窓がすべて黒く塗りこめられているビルがある。「ソープランド」と書かれた二つ並んだ看板は堂々としたものだ。しかも、隣は銀行の支店で、向かいは「クイーンズ・シェフ」という伊勢丹の惣菜店。さすがに「新宿」という街の深さを感じさせる。

 宿について、先に風呂に入ってから夕食に出る。行き先は神田の蕎麦屋。去年も行ったのだが、昼だったのと風邪をひいていたので、じっくり味わえなかったのだ。神保町へは新宿三丁目から都営新宿線で一本。食事だけのために地下鉄に乗ることに違和感もあったが、日・祝休みなので今日しか行けない。去年頼めなかった天ざるを注文する。「天ざる2100円」は普段なら「ケンカを売ってるのか」という価格設定だが、「江戸のそば屋」は「旅先でしか食べられない郷土料理」の範疇に入るのでやむをえない。金曜日の夜ということで、そう広くない店だが店内は一杯の人。時間がかかるということで、他の軽い料理も注文しながら待つ。
 いよいよ、私の番。海老の頭、海老の身、しし唐となす、ここで「ざるそば」、最後にアナゴが2切れ。蕎麦屋の天ぷらには、衣がもったりした感じの店が多いがそんなこともない。生簀の海老とアナゴを使うだけに、ネタも新鮮。なかなか美味である。

 ところが許せなかったのは、日本酒を混ぜたことである。この店は比較的多くの地酒の1合売りをしているのだが、とある酒を注文したときになかなか出てこないと思ってみていると、おもむろに店員が店の外に飛び出し一升瓶を抱えて戻ってきた。そして、その酒をさっと器に注ぎいれ、私のところへ持ってきた。しかし、彼女が持って帰ってきたのは、「違う銘柄の」酒だったのである。
 私のテーブルに置くときに、妙に銘柄名を早口で言い切ったあたりに心の動揺が伺われたが、カウンターに並んでいる酒は、きちんとその酒だけラベルを向こう向きにしている。残念ながら、私の席は店員の作業の一部始終が目の前で見られる席だったし、さらに罪深いのは店員のその行為が何のためらいもなく行われたことである。

 その店には二度と行くまいと心に誓って店を出る。帰りに古本屋街をひやかそうと思ったが、蕎麦屋以上に古本屋は閉まるのが早い。次の日に備えて、早く宿に帰る。


   2日目・午前〜江戸東京たてもの園付近放浪(2002.11.23)

  ホテルの朝食は、1000円と高い。ちゃんとしたシティホテルならそれなりの朝食が出てくるが、むしろ場末といってよいビジネスホテルでは多くの期待ができない。喫茶店のモーニングを期待して街へ。ところが、スターバックス系の店がはやりだしてから「喫茶店」を発見することが困難になりつつある。別に、スターバックス系が嫌なわけではないが、「モーニングを食べながら新聞を読む」というスタイルに慣れてしまうと、新聞が無いことが許せないサービス低下に見えてくるのである。コンビニで新聞を買って入ればよいようなものだが、惣菜は買ってもホカホカ弁当は嫌というような説明のしようがないこだわりがある。
 10分以上は歩いて新宿駅までたどりついたものの、その間に「喫茶店」はなかった。結局、駅ビル地下の小さな店に入る。新聞はなかったが、元は作家志望だったという店長の薀蓄フリーペーパーが店内に貼ってあるのを丹念に読む。要は、私が電車の吊り広告でも読みたい活字中毒だということだ。

 新宿駅から中央線で武蔵小金井駅に向かう。駅への到着が9時15分。たてもの園開園が9時30分なので、あわてるこもない。たてもの園散策だけなら時間はとらないと思って、徒歩で園に向かうことにする。街歩き自体が趣味なので、少々の距離は気にならない。歩くことで、その街の空気を感じることが嬉しいのだ。
 バス道を北へ。
駅前にショッピングセンターとマンション。少し離れると一戸建てという感じは、私の住む阪神間に近い。突然、とってつけたような大きな家があるところが面白い。途中「千と千尋の神隠し展」の案内つきの「江戸東京たてもの園」の旗というか幟のようなものが街灯につけられている。さらに発見したのが、「震災時にはこの道路は通行禁止」という警視庁の掲示。この掲示がどこまで実効性があるかはともかく、阪神大震災のときに公用・緊急用と一般用の区別がなくて苦労したのも事実である。しばらく進むと、玉川上水に当たる。
 玉川上水は江戸期に飲料用・農業用に開発された水路である、と案内看板に書いてある。それほどの幅ではないのに、深く掘り込んであるのが不思議。以前は相当な水量だったのだろう。そうでなければ田に水は引けないし、太宰が身を投げても死ねそうにない。桜の名所らしいが、この季節なので、もう一つ実感がわかない。ここを右に曲がって、しばらく行くとたてもの園の入り口に出る。

 たてもの園への長い導入路は「参道」というイメージ。「訓練師による犬の訓練禁止」という看板が出ている。確かに、犬の訓練も出来そうな広い公園がたてもの園まで続いている。というか、この広い小金井公園の一角が江戸たてもの園なのである。こういう公園がそこかしこにあるところが関西圏とはちがうところ。遠くに見えた大きな建物「光華殿」がすでに「たてもの」の一つでビジターセンターになっている。通り過ぎると、まず「展示室」
。これが想定外だった。

 展示室で開催されている
「千と千尋の神隠し展」だが、おざなりなジオラマなどでお茶を濁したものかと思っているとさにあらず、もともと「ジブリ美術館」に特別展示されていた大量の背景画・原画・動画の実物が、そのまま移されて展示されているのだった。
 主な展示は、「美術」が担当するセル画をのせる前の背景。これが実に美しい。映画や印刷になるとかえって「そんなもの」と思ってしまうが、手書きの筆致の残る中で描かれた光と影の表現やさまざまな物体の質感などが見事なのである。要所に
つけられている宮崎氏本人と思われるメモの注釈も楽しい。
 その奥には、展示ケースの中に山と積まれた「原画」とその隣にもうひとまわり大きな「動画」の山が控えている。さらに、夜食メニューの数々や乱暴に塗られた進行表など楽屋落ち的な各種資料類も、当時の切迫している様子がうかがわせる。CG処理をした箇所の効果を示すパネルもある。こうなると、完全に動けなくなってしまった。そんなに広い部屋でもないのに、外に出たときは10時30分。当初は11時10分くらいには駅に戻ってるはずだったというのに。

 とりあえず、特別展の部屋を出て外へ。広い庭のそこここに、建物が移築されている。明治村と比べれば規模が小さいというが、そちらを知らないので特に狭いとも思わない。今回は、「千と千尋」ツアーと割り切って、「油屋」のモデル「子宝湯」をめざす。
 すぐ右にちょっとした旅館のような大きな日本家屋。高橋是清邸である。お茶も飲ませてくれるようだがスルー、そのまま下町ゾーンに入る。交番・都電を横目ににらみ、向き直ると荒物店・文具店・生花店などが並ぶ。傘店・醤油店では復元展示だけでなく、資料展示もある。
 これらが、「千」の異世界の町並みに使われたというが、ただ建物を見るだけの目には戦前の普通の商家でしかない。むしろ、なつかしい普通の商家の中に「怪しさ」を見つけて、そのイメージを膨らませるところが宮崎駿の才能というべきなのか。ただし、公園の中に移築された街には生活観がない。そんな単に建物だけが並ぶという世界の違和感、そんな風景が突然出てくるという不思議感は、言われてみれば「千と千尋」のイメージに近いのかもしれない。

 正面に子宝湯。靴を脱げば中も見られるようだが、それもパス。ただし、しっかり壁の絵だけは確認した。やはり富士山は男湯だけ、女湯は松原だった。風呂屋の両隣は居酒屋・仕立て屋。居酒屋のメニューが見知ったものと微妙に違うのは、時代なのか地域性なのか。
 ちらほらいる客以上に、清掃担当の職員の姿が目立つ。朝一番ということもあるのだろうが、完全に再現された店内は、ほうっておくとすぐにほこりがたまるものばかりだ。「はたきがけ」という姿をずいぶん久しぶりに見たような気がする。しかし、これも大事な仕事なのだ。
 という時に、雨が降り出す。珍しく傘を持って旅立ったのに、その日は天気予報で晴れるといっていたのを信じて傘がない。パラリとくる程度だったので、とりあえずすべての建物の前を早足で通り過ぎる。ショップでしっかり「千と千尋」展のカタログを買って、武蔵小金井行きのバス停にたどり着いたところで11時15分。

 予定どおりに動くと開演1時間前に着く計画なので、まだなんとかなる時間である。しかし、バスは出たところで15分待ち。雨は今のところあがっている。勢いでそのまま歩くことにする。同じ道を戻るのも面白くないし、だいたいの距離感は行きでつかんだので、バス道からはずれて住宅地を歩くことにする。「いかにも」な閑静な住宅街が続く。途中、微妙に高低があるところが武蔵野丘陵ということか。駅についたのが11時45分。

 中央線を西に向かって、立川で「多摩都市モノレール」に乗り換える。2年前に現路線まで延伸されたばかり、どうやら都営らしい。多摩センターまで10駅と見てあせるが、20分ほどで到着するようで安心する。
 とはいうものの、着いたのは12時30分過ぎ。パラリとくる雨はつづいており、速さと寒さから、目に付いたラーメン屋に入る。長丁場を意識して、「チャーシュー丼セット」。うっかり1本だけビールを頼んだのが失敗だった。


   2日目・午後〜やや気弱な佐々木昭一郎に逢う
(2002.11.23)

 というわけで、「パルテノン多摩」へ。
 多摩センター駅から、見上げるように歩道が続いている。バス・ターミナルを含めて車道は、掘り込んだ低いところにある。駅前広場の人の歩く道は、車道から一段高いところで浮遊しており、そのまま斜面にぶつかって登りきったところが「パルテノン多摩」である。正面にパルテノン神殿を意識しているのかどうなのか、豪華な藤棚のようなオブジェがある。その手前右側に、パルテノン多摩の入り口がある。

 飛び込んだときは、1時5分前。すでに予ベルが鳴ったのか、まもなく始まりますというアナウンス。会場は300人ホール、去年は180人ほどのホールだったので「格上げ」なのだろう。さすがに若干の空席がある。

 すぐに、「春・音の光」が始まる。チェコ・スロバキアとの合作による「川」の三作目。
 盲目の調律師を出発点に、指揮者の卵の彼の息子、彼の友人の羊飼い、その娘と恋人、道すがらに出会った少年たちとの音の物語が始まる。しかし、会話はA子も含めて、現地の言葉ばかり。一気に流しこんだビールが効いてきて、ついうとうととしてしまう。
 羊飼いのオンドレイの吹く「フヤラ」という楽器の音がユニーク。アボリジニの楽器に似たようなものがあっような。今回のテーマ音楽は、「ドからはじまり、ドにかえる」音階を昇って降りるチャイコフスキーの弦楽セレナーデ第一楽章
(1)「おー人事、おー人事」のコマーシャルの後ろで流れている曲である。というか、せっかくメインテーマの音楽が流れている時に「おー人事」とつぶやく若い男!見終わった瞬間に「住んでる世界が違う」というくらいなら来るなよ。少なくとも、上映中は黙っていてほしい。
 気になったのは、A子の「大人ぶり」。「四季」から3年がたっているとはいえ、さりげなく男性と腕を組んだりするあたりに、A子の「成長」を意識せざるをえない。大人の表情になったA子に、もはや少女的な無垢を求めてはならないのだろう。そもそも、彼女がスロバキアにいるということの意味が希薄なところも弱い。

 「春」の最後に、明らかに今回の多摩のために作られたとわかるエンドロールが流れる。これは、次の「紅い花」も一緒。後のトークの中での佐々木氏の言によると、当時はスタッフの名前を残す習慣がNHKにはなかった。せいぜい「技術」として一人の名が出るくらい。そこで、この機会にこの作品を作った「優秀なスタッフ」の名前をエンドロールに残したのだという。
 同時に、「多摩シネマ・フォーラム」の名前もエンドロールに残された。「RESPECT佐々木昭一郎」というイベントに対する佐々木昭一郎からのささやかな「RESPECT多摩」ということなのであろう。

 その後、中尾幸世さんのテープ・コメント。今、改めてビデオを見終わって、という客と同じ場所にたってのもの。内容は忘れてしまった。
パンフレットに書かれていたコメントで気になったのは「春」の終盤、Aの音叉をラド少年に手渡すシーンを撮っているときに、「川シリーズはこの作品で完結するのか」と何となく思いつつ演じていたとのこと。(2)そんな意味でも、みんな夢から覚めつつある作品であったのか。

 休憩後は、「紅い花」。
 佐々木のドラマは70分だが、「紅い花」だけで70分も持つはずがない。まず、「売れない漫画化つげ義春」を登場させ、その作中物語として「紅い花」や「古本と少女」などのいくつかの作品をつなげている。だから、「紅い花」というタイトルではあるが、このドラマの主人公はキクチサヨコでもシンデンのマサジでもなく、つげ義春なのである。例の「紅い花」のシーンも、たくさんの紅いバラが川を流れて行くところが美しかったのではあるが、ドラマ全体としては前半の
1シーンにすぎなくなっている。
 このつげをめぐる物語自体が、つげ原作なのかは不明だが、東京都出身終戦時8歳というつげ本人の(あるいは、佐々木昭一郎の)経歴そのままに、東京大空襲の「記憶」を物語全体の下敷きにしている。東京都電のレールに始まり、江戸川の水面で終わるこの物語は、まさに「リバー・江戸川編」と言ってもよいかもしれない。(「紅い花」は「川シリーズ」の原点という表現を、どこかで見たような気がするが、忘れた。)
 「川」へのこだわりは佐々木氏も確信犯だったようで、キクチサヨコをめぐる子どもたちが「た〜んたん、た〜ぬきの」を唄うシーンについて、佐々木氏は「川の歌」という賛美歌の替え歌なので使ったと、確か後のトークで言っておりました。
 キクチサヨコには本当は中尾幸世を起用したかったのだけれど、「夢の島少女」の「大失敗」によって、職業俳優を使うことを強制されたらしい。確かに、キクチサヨコ役を始め大人の俳優は達者だけれど、いわゆる佐々木風とは違う感じ。何人かいる子どもたちは明らかに「児童劇団」という色が見えて、妙にカツゼツの良いセリフがかえって不自然な感じがしなくもない。
 そんな中で「シンデンのマサジ」は健闘していたが、キクチサヨコに呼びかけるときに「キクチ、サヨコ」と姓名を区切っていたのは「違う」と思った。このカタカナの姓名ひとくくりの呼びかけには、名前で呼ぶほどの親しさをあらわにはできないが、姓で呼べば他人行儀な感じがするという微妙な心情が入っているはずなのだ。少なくとも、私はそう思っている。

 最後はトーク。
 佐々木昭一郎と塚本晋也の対談ということだったが、コーディネイターとしてこのイベントの企画者の黒川さんが参加。中学時代から8ミリを手にしていた塚本氏は、「紅い花」だか「夢の島少女」だかを見て「演出家・佐々木昭一郎」を意識し、「四季・ユートピアノ」に圧倒された一人だという。セミリタイアを自認する佐々木氏も、昨年の是枝氏同様、現在をになう映像作家として塚本氏を高く評価する。作風は違うが、拾ってきた廃材の鉄を使ったり身近なところからイメージをふくらませる塚本氏のスタイルは、けっして佐々木スタイルと遠くないというのが佐々木氏の評価。
 とりとめのない話の中で、音楽の話になる。塚本氏は自分の映画音楽が、悲惨な場面のBGMでやたらと使われると嘆く。ようやく、少しは著作権料が入るようになったという話に対して、佐々木氏は「紅い花」でドノバンのリバーソングなどの既成の曲を使ったため、赤字が目に見えている多摩のようなイベントでは上映可能だが、DVDにするのは「ほとんど不可能だ」と明言したのだった。(えっ、去年のDVD化の話はどうなったんだ?)

 「紅い花」について佐々木氏は、「夢の島少女」の「失敗」を挽回すべく作られたもので、理解のないNHK内部の中で、数少ない理解者が評価をしてくれたとしきりに言っていた。社内的にはけっして評価が高くなかった「紅い花」を当時海外にいた理解者が国際コンクールに出品してくれたおかげで受賞することとなり、逆にNHK内部でも評価せざるをえなくなったという。サラリーマン・佐々木氏にとって、外からの評価がなんとか「言論の自由」を確保する手段であったようだ。
 正反対の結果が
「川シリーズ」で、「春」を見たNHK上層部は、「佐々木がまた同じようなドラマばかり作っている」という評価によって「終わらされた」のだという。佐々木氏自身もやや弱気になっていて、「四季」のあと外国テレビ局との合作の話が急に出て次々と作品を撮ったことが「同じような作品」になってしまった理由かもしれないと言っていた。
 塚本氏のコメントも、会場の質問も、「四季」中心に動くの方が多いところもつらい。そうした意味では、去年の「四季」が頂点だったのであり、今年の「紅い花」と「春」が、入り口と出口であったのかもしれない。

 もっとも、「川シリーズ」にはもっと構想があって、多摩の会場でも「セーヌ編」「ミシシッピ編」などをスラスラと語ってくれた。それらは、どう考えてもA子が主人公になるわけではないので、違う形の「川シリーズ」が見ることができたのかと思うと残念。
 「映画を撮ってはどうか」という黒川さんの発言にも、ムキになって「そんなことは考えたことがない」と言い張る。むしろ、心の微妙なところに触れたという印象だ。ただし、「川シリーズ」を撮るということについては、あれはあの当時だからできたことで、タレントの海外ロケバラエティが乱立する現在は出来ないと、きっぱり言う。

 最後に「シンデンのマサジ」が会場に来ているということで、黒川さんが舞台上に引っ張り出す。現在も小劇場で役者をやってるらしい。
 当時の思い出としては、撮影が11月くらいでランニングシャツ一枚は寒かったこと。サヨコの着物をスソをまくる場面では、佐々木さんから「思い切りやれ」と言われて思い切りやったが、他のスタッフが着物に細工をしていて、スソがあがらなかったとか。逆に、佐々木氏から、待ち時間中に、マサジが虫を嫌がっている姿が面白かったので、カメラを回してそのまま残したというエピソードが出る。
 
 なにやかやで、約30分押しの6時30分に終了。
 外へ出ると、すでに暗い。雨は強くもないが、やんでいない。

 京王線で新宿まで帰る。
 夕食は、前日、宿へ行く途中に発見した「中村屋」。本格インドカレーを日本に伝える評判の老舗である。庶民的な2階は行列がならんでいたので、高級レストランの3階に入る。
 感動したイベントに乾杯する意味、それほど行くチャンスがない老舗をしっかり楽しむ意味、昨日くやしかった分を満足したいという意味もこめて、3,500円の「コース」を注文する。といっても、単品のカリーが2300円、サラダ・コーヒーのついた「セット」が2800円、「コース」はそこへオードブルとシャーベットがつくだけで、タンドリーチキンなどがついてくるわけではない。あくまで、本格カリーを出すレストランであって、インド料理店ではないのだ。

 その「スペシャルインドカリー」なのだが、なぜか私には味が頼りない気がした。どこかで食べた味に似ているとも思って考えると、家でがんばって作ったインド風チキンカレーの味だった。(それなりに手をかけているとはいえ)家のカレーが頼りないのは仕方ないとしても、本格的インドカリーが似た印象なのは奇妙である。
 と考えるうちに思い当たったのが、ともに「チキンカレー」であるということ。要は、ビーフカレーが自分の好みだったのだ。もちろん、本格インドカレーで牛がベースであることはありえない。今まで「本格派」と思って「チキンカレー」を食べては、街角のビーフカレーの方が旨いと思い続けてきたわけだ。つまらない話だが、自分なりには納得できた。
 打ち上げモードで深酒をするつもりだったが、カレーは一皿食べてしまえば、もうゴールである。それでも、赤ワインのハーフボトルをあける。宿に帰って、ビールやら缶水割りやらをやたらと飲む。


   3日目〜コインロッカーに東京の大きさを知る(2002.11.24)

 さて、3日目の朝である。ところが、起きたらすでに9時前。昨日の深酒が影響しているのかもしれないが、まあ急ぐ旅ではない。
 早々にチェックアウトして、モーニングのある喫茶店を探す。靖国通り沿いでは発見できなかったので、南の新宿通り方面を探す。なんとか地下に降りる喫茶店を見つける。朝が遅かったので、軽めのモーニングを食べる。そのままウダウダして、かねてチェック済みの11時に開店するラーメン店で早い昼食を食べるという計画である。

 ところが、新聞がない。すでに、他の客が読んでいるのだ。週刊誌もない。というか、新聞以外は女性向けの月刊誌しかない店なのだ。仕方ないので、「ハワイの最新コンドミニアム事情」などの記事を見ながら時間をつぶす。コーヒーを1cmだけ残しながら待って、ようやく新聞を手にする。まあ、それほど大事件があるわけでもないのだが、2日も「読んでいない」ということ自体が不安なのだ。

 とはいうものの、時間をつぶしきれずに10時30分には店を出る。30分くらいなら街歩きを楽しめるとの読みもある。案の定、近くの花園神社が酉の市で出店が出ている。
 そのうちの一軒が目をひく。なんと、見世物小屋らしきものの幟に「暗黒の宝塚・月蝕歌劇団」とあるのだ。「月蝕歌劇団」といえば、高取英ひきいる女性ばかりの小劇場の華である。「聖ミカエラ学園漂流記」という名作もある。なぜそれほどの劇団が「見世物小屋」なのか。あるいは、本来の月蝕歌劇団「らしすぎる」というべきか。表にまわると、「見世物地獄」の幟もある。正面には看板。口から火を吹くセーラー服少女、胎児を抱く黒マスクの医者とキツネ面の看護婦、洋館風のガラス越しに河童の姿などが描かれている。その下には、花輪が並び、その中央には出演する少女たちの顔のアップがはめこまれている。実際に何をやるかは別にして、ここまで怪しい雰囲気を作るのは本物の月蝕歌劇団なのだろう。入場料は大人800円とあったが、明らかに準備中なので通り過ぎる。

 11時すぎに、喜多方ラーメン「坂内」に入る。人のいない時間と思っていたら、すでに先客がいる。さすがに、ラーメンサイトランキング店である。朝食から間がないし、基本の「喜多方ラーメン」を頼む。太い平麺の醤油味。ツルッというより、ヌルッという感じさえする口当たりの良さとしっかりとしたコシが同居する麺。醤油味のスープは淡白だがうまい。
 ちゃんとした中華スープの中に麺がある感じ。あるいは、中華料理の湯麺を食べているような印象。こうした形容が、逆に関西エリアのラーメン店事情の弱さを表しているのだろう。意識のどこかで、本格中華料理とラーメン店を区別していて、ラーメンのスープに本格中華の味を求めていないのだ。せっかくなので、2食入りお持ち帰りラーメンセットを買う。

 午後は、今まで訪れるチャンスのなかった現代美術専門館「原美術館」へと向かう。最寄が品川駅ということで、新宿駅から山手線へ。美術館が駅から少し歩くので、品川駅で荷物をコインロッカーに入れることを考えていて気づく。その後も動くことを考えれば、東京駅構内のロッカーに荷物を放り込んで、新幹線に乗るときに回収する方が身軽なはずだ。それなら、中央線で東京を目指せば速かったものの、すでに山手線の客である。やむをえず品川駅を通過して東京駅をめざす。
 ところがである。こんなことを考えるのは私一人ではなかった。(当たり前だ。)もうしばらく東京を観光しようとする人間は、たいてい東京駅に荷物を預ける方が便利なのである。東京駅を端から端まで歩くが、すべて使用中。というか、同じ想いの荷物を抱えた旅行者がロッカーを物色している。ロッカーから荷物を出している人とその人に寄り添う人がいたのでチャンスかと思ったが、ロッカーから荷物を出した男性がロッカーから離れると、家族に見えた女性はおもむろにロッカーへ自分の荷物を入れてしまった。東京駅は、コインロッカーさえもサバイバルなのだ。
 早めの夕食を神田の寿司屋と決めていたので、さらにもう一駅乗って神田駅外のコインロッカーに荷物を入れる。旅先ならではの無駄な時間と自分に言いきかせつつ、品川駅に戻る。

 駅の書店で原美術館への大体の地図を頭に入れる。その上で適当に住宅街を歩いたら、案の定迷ってしまった。ほとんどわざと迷っているに近い。それでも、途中、児童公園の遊具のようなところから大人が降りてくるのを発見できたりするのが楽しい。それは、ちゃんと木製ジャングルジムのようでもあり、高台の住宅地と公園を階段も兼ねている。そんなこんなをするうちにたどり着いたのがソニーの本社。(こんなところにあったんだね。)そこで、もう一度地図を確認して原美術館へ。
 ここから先の原美術館探訪記は、美術のページにある。

 美術館を出ると、そのまま神田駅へ。いつのまにか4時をすぎている。(ほとんど個人インタビューのように学芸員の「ギャラリーガイド」を楽しんだせいだ。)荷物を回収して、神田「江戸っ子寿司」へ。神田周辺に6店舗も持っている庶民的なチェーン店だ。
 四季三昧(2,500円)を注文。味はそれなりだったが、どうしても、まとめて出てくるので、あまり味わうことをせずヒョイヒョイ食べきってしまった。一カンずつの注文もできるようなので、次回はじっくり注文したい。店を出たのは5時30分くらいだったが、日曜日とはいえ外に客の列ができている。さすがに人気店である。

 さて、あとは新幹線で帰るのみ。夕刻の東京発は、広島あたりは最終だが、大阪だと9時前後に帰れる。そんなこともあって、いささか込み合っていたが、なんとか座って帰る事ができた。2泊3日とはいえ半日だけの休みで、また新しい一週間が待っている。お遊びモードをクールダウンしつつ、車中の人となったのである。



 (1) シナリオには、冒頭の栄子の歌声を「ドからはじまり、ドにかえるテーマをうたう」としている。(佐々木昭一郎「春・音の光」・月刊ド
   ラマ 1984年12月号 p16・映人社)
 (2) 「川シリーズ次作を期待された方ごめんなさい。佐々木さんは何も言われませんでしたが、A子が音叉を少年に手渡すシーンを撮っ
  ているとき、「川シリーズはこの作品で完結するのか」と何となく思いつつ演じていました。そう言われてみるとA子の表情に何やら憂い
  がありません?でも撮影はいつものように楽しいものでした。」(「第12回TAMA CINEMA FORUM 公式パンフレット」p17・TAMA映画
   フォーラム実行委員会)

   微音空間内「第12回TAMA CINEMA FORUM」ページ
   
トップ      おりおりの話