残された深い祈り、あるいは追悼・岡田史子

                    ――― 「岡田史子作品集 ep2 ピグマリオン」を読む(2005.9.1)

なんとなく買わないまま1年以上もすぎていた本だった。
結局、買ったのは、この4月に岡田史子が亡くなったからだ。
そして、読むのに今頃までかかったのは、この本がやはり辛い本だったからだ。

岡田史子のことは、萩尾望都が絶賛している「幻の作家」として知った。
ちょうど朝日ソノラマから発行された三巻のコミックスも集めた。
今から20年以上も前の話である。 萩尾は構図や表現方法の斬新さを語っていたが、
読んで見ると、若い時代独特の純粋さと生きづらさからくるヒリヒリとした痛みを正面に出した作品に圧倒された。

若くして筆を折ったとされているが、あのまま描き続けていたならば、
近い将来により重苦しい場所へ自分を追い込んでいったであろうことは、容易に想像できた。
新作を見ることのできないことは残念だが、あの珠玉の作品を創作してくれた岡田史子という人物が
どこかで生きていてくれることのほうが、 むしろ嬉しいような気もしていた。(2)

そして、一昨年から昨年にかけて何がきっかけなのかは知らないが、
音楽家であり、少女漫画ファンであり、岡田史子本人とも交流があった青島広志の監修により、
同人誌時代の未発表作品も含めた2冊の作品集が出版された。

そのナイーブさゆえに生きづらい若者がもがき苦しんでいる姿を見るのは、
今読み直しても、感動や共感と同時に辛さがあった。
そして、ようやく読み終えた巻末につけられた本人のエッセイには、なんと自殺未遂の体験までつづられていた。
漫画家生活をたんたんと振り返りながら、死ぬことなどそんなに特別なことではないとでもいうような調子だった。(3)

結局、この事件をきっかけに当時の掲載誌と縁が切れ、岡田史子は「幻の作家」となった。
その後、何本かの作品を発表していたようだが、「幻の作家が新作を発表」という域をでることがなかった。
そして、20年以上の歳月がたち、改めて岡田史子という作家が再び注目され始めたというときに、
岡田史子は本当にこの世からいなくなってしまった。

亡くなった今だから思うのかもしれないが、巻末に添えられたエッセイは、
残されたファンに対する別れのメッセージとして用意されたかのようだ。
あるいは、この作品集そのものが岡田史子の遺言であるとさえ感じられた。
若いころに描かれた作品であるにもかかわらず、彼女の作品やその中でつづられた数々の言葉が、
その人生を締めくくる場にふさわしいものであるという感じがしたのである。

それは、彼女の作品が、若いナイーブさと同時に、
深い祈りにも包まれていたということなのかもしない。誤読かもしれないが。



 (1) 萩尾望都「岡田才人のこと」(岡田史子「ガラス玉」(1976・朝日ソノラマ)所収)で萩尾は、岡田史子の魅力を
    「特異な絵とテーマと、あまりにも読者をつっぱなした表現法でもって読者をキリキリ舞いさせるのだが、
   それでも追っかけずにはいられない」と紹介している。
 (2) 歌手の森田童子に対しても同じような印象がある。漫画家の三原順にも同じことを強く感じ続けていたが、
   彼女は描き続けたまま亡くなった。その間の事情については何も知らないのであるが、勝手にモヤモヤ感を感じている。
 (3) つまり、私が岡田史子という漫画家を知り、岡田史子についてちょっとした杞憂を感じていた時には、
   すでに杞憂は杞憂でなかったわけである。幸いというべきか、下のインタビューページに登場した2003年の岡田史子は、
   普通のオバサンだった。つまり、岡田史子は、私たちが知っている岡田史子として生きてこなかった。
   彼女は、私たちの知らない名前で天寿を全うしたのだ。

      Wikipedia 岡田史子ページ
     excite booksサイト内岡田史子インタビューページ
      青島広志公式サイト


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