掟破りの故郷の「歓迎」―――― 「PONTA BOX specialguest吉田美奈子」をみる(2001.9.23)「村上"ポンタ"秀一 Home coming Concert - PONTA BOX specialguest 吉田美奈子」に行って来ました。村上"ポンタ"秀一といえば、日本のドラマーの第一人者といわれている人です。 初めて見かけたのは、タモリの往年の音楽バラエティ番組「今夜は最高!」の音楽を支えてた ザ・プレイヤーズの一員としてだったでしょうか。 その後も、「参加アルバムはゆうに1万枚を超える」というのですから、 ポンタの音は何度となくいろんなアーチストのアルバムやコンサートで見たり聞いたりしているのだろうと思います。 とはいうものの、私自身はとりわけポンタの大ファンというわけでも、彼の音楽を気に入っていたというわけでもありません。 「PONTA BOX」が彼自身のバンドであるということくらいはわかるものの(そのまんまやし)、 ポンタがドラムを叩いているということ以上に、どんな種類の音楽をやっているのかさえ、よくわかっていないのでした。 まして、ドラムス以外がピアノの佐山雅弘、ベースがサポートメンバーでグレッグ・リーの三人だけというと、 ジャズ系の編成であることくらいはわかっても、それ以上のことは何もわからないと言ってもよい状態でした。 いかに大物ミュージシャンが地元の地方都市にやってきたとはいえ、 根がフォークソング好きの私が行くようなタイプのコンサートではないことくらいは、明らかでした。 では、なぜ足がむいたかというと、一つには吉田美奈子でした。 今でこそ註釈の必要な存在なのかもしれませんが、 私と同世代の者にとっては、荒井由実や矢野顕子と同時期にデビューした伝説の歌姫です。 といいながら、「伝説の歌姫」であるという情報は小耳にはさんでいても、 具体的な私の印象はデビュー当時の「チャイニーズ・スープ」とか「夢であえたら」以来全く変化しておらず、 その後は山下達郎の作詞をしていたとは聞くものの、それすらも20年近く前の情報でした。 もっと正直に言うと、一番気になったのはこのコンサートにつけられている「Home cominng」というタイトルでした。 つまり、村上"ポンタ"秀一はこの街の出身で、この街には長年吹奏楽の全国コンクールで一位を続けた中学校があって、 ポンタはその中学校の吹奏楽部出身なのでした。私自身も以前の職場の関係で、 その中学校の卒業生を中心に結成されていた吹奏楽団をまんざら知らないでもなかったので、なんとなく親近感もありました。 もっとも、それが理由というのも、少しかっこよすぎるかもしれません。 むしろ、ポンタほどの全国的なドラマーのライブとはいえ「里帰り」コンサートであるならば、 ひょっとするといつもと違う何かがおこるのではないか、そんな不謹慎な期待をしていたのでした。 それは、席についた時点で十分に期待できました。 まわりにすわっているのは、とてもジャズやロックが似つかわしいとは思えない着飾ったオバサマばかりでありました。 そこへ、いきなり影アナが流れます。「村上"ポンタ"秀一は、市立****中学校・市立****高校を卒業し・・・」 こんな紹介がつくジャズやロックのライブがあるでしょうか。 「ふだんはロック界影のドンとして」若い客を怒鳴り散らしているのだが、と言うポンタですが、 今日はどうもやりにくい、あんな紹介ありかよ、と毒つく声もちょっと気弱でした。 (「いまさら、なんだよ。俺も、もう五十だぜ。。。」) もちろん演奏が始まると音にはホンモノの迫力があり、 ポンタが「てめえら、ふにゃふにゃした音楽ばかり聴くんじゃねぇ(といつもは若い客相手に言っているのだが)」 というのも十分にわかります。 もっとも、私は洋楽はからきしダメなので、 「先人の名曲を自分たちなりにアレンジして続 けた8曲」といってもほとんど知らない曲ばかりでした。 曲調はフュージョン系に属するのでしょうが、 ドラムがリーダーのバンドであるせいか、リズムの変化で聞かせるところが多いようでした。 例えば、4拍子の曲を6拍子に変えて、さらに3連符で刻んで<タン・スクス・タン・スクス・スクス・ステタ>という リズムで聞かせるというような感じで す。 せめて目で見えるものを(私に言える範囲で)紹介すると、上手にしつらえられたドラムセットは、 足元のバスドラだけで三つ、シンバルはハイハット(でしたっけ、足でカシャカシャやるやつ)もいれて10個以上、 肝心のドラムはかげに隠れていくつあるのかさえわからないほどです。 ポンタの後ろにはスタッフが隠れていて、折れて後ろに飛ばしたスティックや演奏終わって捨てた楽譜を回収したり、 テープで固定しなおしたりしていたりします。 ピアノの方は、横にもう一台キーボードがある程度でしたが、 個人的に驚いたのはベーシストが持っていた六弦のエレキペースでした。 (世間的には珍しくないのかもしれませんが、私には珍しかった。) ピアノだけにまかされていたメロディを補うようにエレキギターの感覚で弾いているのですが、 高音のフレーズもベース本来の太い(オクターブ下の)音で響くのがなかなか魅力的でした。 (低音の魅力とは、このことか。) さて、そんな迫力がありながらも今一つなじみのない曲が続いた後、吉田美奈子が登場します。 最初はやはり知らない曲だったのですが、反応がまるで変わりました。 同じ種類の音楽であるにもかかわらず、体の周囲を通りつつも過ぎてしまっていた音が 体の内側にまでズーンと突き刺さってくるというような印象でしょうか。 人の肉声というものがこれほど人の心を開く力を持っているも のであるということを再認識させられました。 むろん、吉田美奈子という歌い手の側に力があることはいうまでもありません。 しかしながら、他の三人もけっして見劣りするような存在ではないのです。 それまでに高められつつあった情念を導き出したともいえるかもしれませんが、 一流の音楽を導火線として爆発させてしまう一流の歌声のもつ力を感じざるをえませんでした。 腰まである縦ロールの髪をゆらせながらしぼりだす声は、ポンタが「日本の宝」と呼ぶのにふさわしいものでありました。 昔なじみの二人は、トークもさえます。 吉田美奈子いわく「ポンタって、いつもひどいことを言ってるようだけど本当はやさしくて。 よくいるじゃない、好きな女の子にわざと意地悪するような男の子」。 その瞬間、思い当たる節でもあるのか、まわりのオバサマ方がいっせいに拍手。 なるほど、このあたりも「里帰りコンサート」のなせる技です。 曲目も、「ティー・フォー・トゥ」や「オーバー・ザ・レインボウ」と(私でも)なじみのある曲が続いて、暖かい雰囲気になります。 もう一度三人に戻って、最後はピアノの佐山の作品である「SBATOTTO」。 ポンタの曲紹介によると、ミュージシャンがいかにいい加減に曲名をつけるかという典型だと話を始める。 いろいろと辞書をひいたが、この「SBATOTTO」が何語でどういう意味かわからない、 恥をしのんで意味を尋ねると「この曲、スバトット・バーンで始まるだろ」とのこと。 確かに、いきなり「スバトット・バーン」という全速力のフレーズに始まり、 それを追いかけていくつもの「スバトット・バーン」が展開する軽快な曲でした。 アンコールはポンタと吉田美奈子の二人が登場。と、そこへ中学生(たぶん、出身校の吹奏楽部)が登場し、二人に花束贈呈。 さっきまでの音楽とはかけはなれた演出ですが、これも「里帰りコンサート」ならではといえましょう。 吉田美奈子はすかさず一言。 「泣いてんじゃなーい?」 無言のポンタにかわって、吉田がフォローします。 「彼、そうとう喜んでると思いますよ。」 気を取り直してのアンコールは、本当に吉田のボーカルとポンタのドラムだけ。 「"Cute"、日本語で言うと"かぁわぁい〜い"」と口をゆがめながらの(?)曲紹介も、声がそろっています。 しゃれたムードの一曲でコンサートは終了。ところが、客席に灯りがはいったとたんに、最後のアナウンス。 「****中学校吹奏楽部出身者の方は、エントランス横の階段にお集まりください。」 そこまでやるか。 部外者でもありそれ以上の「見物」はしていないのですが、 予想以上の「里帰りコンサート」ぶりを十分に堪能させてもらいつつも、 そんな趣向ばかりではなくしっかりと音楽を楽しませてもらって、家路についたのでした。 |