ゆったりとした古民家で繰り広げられる大人のゆるい恋

                           ――― 映画「娚の一生」を見る(2015.3.16)


原作については、ほぼリアルタイムで読んでいる。
したがって、どうしても原作と比べながら見ていくこととなる。

いつのまにか、家の離れで暮らしている大学教授・海江田醇に、豊川悦司。
ネイティブスピーカーのトヨエツが繰り出す、ゆるい関西アクセントによる
人を食ったような、それでいて本質を突く言葉の数々は、
原作から抜け出したようで、実に申し分ない。

東京での社内不倫に疲れ、祖母の古民家に帰ってきたOL・堂薗つぐみに榮倉奈々。
ただし、榮倉本人も、映画内設定も、原作の30代後半よりもずいぶん若い。
透明感のあるさわやかな印象の榮倉は、田舎暮らしには十分なじんでいるのだが、
それまで、東京でバリバリ働いていた感じは見えない。

いささか迷走気味な原作を、脚本はきれいに整理している。
特に、迷い込んできた子どもをめぐる後日談を、
スピンオフ作品から取り込んできたあたりも上手い。

どこまでも広がる緑の中に、現存していること自体が奇跡的な「祖母の古民家」の持つ空気感、
そして、そこで暮らす二人の危うげな恋物語と、そこに出入りする地元の優しい人たち、
映画は、そんなものをきちんとカメラに収めることを一番大切にしていたようだ。
オリジナルキャラである祖母の友人・木野花は、実に安定した存在感を見せてくれた。

その反面、つぐみが東京でキャリア生活を送っていたことは軽く扱われ、
むしろ、過剰な情報として処理されているように見えた。
原作の発表後、1年数か月で現実のものとなった「大地震による原発の損傷」という、
今となっては、逆に生々しくて使えない設定のせいであるかもしれない。
遊びに来た同僚・安藤サクラも、不倫相手の向井理も好演しているのだが、
物語の中での座りが悪く、単に異世界の人に見えてしまった。

そうした意図があってか、冒頭に古民家での海江田とつぐみの祖母のシーンが置かれ、
それを円環的に回収するように、つぐみと海江田のシーンがラストに置かれた。
静かに流れ来たJUJUによる主題歌は、「Hold me,Hold you」。

なるほど。
静かな場所の静かな愛の物語なの
だ。


   30代女子が50代男子に、というよりリアル関西人に出会う恋物語

                                 ――― 西炯子「娚の一生」を読む

 1.「娚の一生」第1巻を読む(2010年2月6日)

「このマンガを読め!」で「読め!」と言われた「娚の一生」を読み始めた。
西炯子というと、私がプチフラワーを読んでいたころにデビューした作家で、
魅力的な青年を粘り強くというか、ねっとりと描くような作風だったように思う。
「密やかな教育」によれば、JUNEの「ケーコタンのお絵描き教室」の 優秀な投稿者でもあったらしい。

そして、もう一つ忘れられないのは、「探偵ナイトスクープ」に西炯子の依頼が採用され、
伊丹と羽田を往復しただけではなく、直行便が満席で途中下車した徳島空港では、
徳島らしさをアピールするために、桂小枝と阿波踊りを踊らされていたことである。
それはそれとして、ヤマダトモコに「この作品は決定打」とまで言わせた作品を読まないわけにはいかなかった。

30代半ばを過ぎて大手家電メーカーの課長職の女性が主人公。
長い休暇をとって祖母の家(作者の郷里・鹿児島県のようだ)に帰ると、すぐに当の祖母が亡くなってしまい一人暮らしとなる。
そこへ祖母の教え子だったという50代の男性が登場する。大学教授だという。
しかも、昨日から離れで暮らしているという男は、預かったという家の鍵を見せる。

関西独特のゆるい言葉遣いだがマイペースな男は、主人公の戸惑いなど意に介さず、離れを出ようとしない。
母屋と離れという微妙な距離感の微妙な共同生活がはじまる。

世間体というか、常識の世界に生きる主人公に対して、
大阪ことばの男は、それを覆すというのではなく、うまい具合にずらしていく。
その「ずらし加減」が巧妙だ。周到だという方がよいかもしれない。

良い人そうだから好きになっちゃえよ、と言いたくなるが、主人公の方も、心の傷があるようで素直になれない。
いや、いきなり自分の家に入ってくる他人に対して素直になれというのも乱暴か。
でも、それを上回るほどに、男が魅力的なのだ。

リアルな50代を描く。
少女マンガは、ここまでやってきたのだ。

 2.「娚の一生」第2巻を読む(2010年2月8日)

遅ればせながら1巻ではまったので、すぐに2巻を買う。
ついでに3巻を探したが、こちらは未刊だった。

一応、連載ではなく、連作という様式で描かれているようで、ほぼ毎回、設定を説明するように主人公の独白が入る。
独白の内容が少しずつ変化していくのが、二人の物語の進展である。

読みながら感じるのは、タメのうまさである。
段取りをつなげるだけの構成ではけっして描かないようなコマをはさみ、その一瞬に深い意味を持たせてくれる。
あるいは、カメラの位置を変えるだけでも良いような流れでも、必ず動きの変化をつける。
そのため、一本の作品が思いのほか豊かな描写になっている。

だからだろうか、物語の展開が妙に早いように見えた。
2巻の冒頭で乗り込んできた男の若い秘書は、男に論破され元の事務管理能力のある女性に戻った。
そういえば、主人公はいやみなほどにソツのないキャリア女性だったはずだが、ここへきて、恋に戸惑う小娘の風情だ。

それにしても、男のこんなにリアルな大阪ことばを、西炯子はどこで体得したのだろう。
演じさせるなら、岸辺一徳というようなイメージだ。
主人公は誰だろう。堀内敬子で、どうだ。 (1)


 3.「娚の一生」第3巻を読む(2010年3月13日)

話題作の最終巻である。
ここへきて、誘拐に昔の男に地震と、妙にドタバタと大事件が起こる。
そこまでしないと、海江田氏と結婚できないかな、つぐみくん。

つか、「ぼくの一方的な気持ちだけでもあかんのです」で傷ついたらだめでしょ。
そう海江田氏に言わせてるのは、あなたなんだから。
それとも、まだ自分に都合のよい甘い言葉をささやき続ける男が良いのか。
どうも、オッサン目線のせいか、30代のつぐみに対して厳しい評価をしてしまう。

それはそれとして、関西人にとっては、自分の母国語の良さをほめられたようで、
最近、関西言葉で会話する率が高まっているように思う。
もちろん、海江田氏のような気の利いたことは言えないのだけれど。


 4.「娚の一生第4巻 結婚」を読む(2012年10月21日)

3巻で終わったはずが4巻とは何ぞ、と思ったが、
4巻の後につけられた「結婚」までがタイトルであるようだし、目次には、くどいくらいに「spin-off」がつけられているので、
けっして、終わった連載を大人の事情で再開したとか、そういう話じゃないので許してくれ、ということらしい。
許そう。

「flowers」本誌での連載が2010年2月に終了したのち、
年3回刊の「flowers増刊 凛花」で2010年7月から2012年7月まで連載したスピンオフ作品、というか後日譚7本を掲載している。

他作品と比べるのはフェアでないかもしれないが、
「姉の結婚」の二人と比べると、「娚の一生」の二人の方が楽に描けているように見える。
あるいは、読者として見ていて安心できるのだ。

九州新幹線の開通で関東から鹿児島、もとい角島まで電車一本で見られるようになるという時事ネタもあれば、
地震国日本では原発よりも地熱発電にすべきというような、
何気なく描いたテーマが、突然、時代の最先端になったところもある。(2)

しかし、それよりも、結構メンドクサイ女だったつぐみが結婚を機にリセットされ、ずいぶん安定したからでもあるようにも見えた。
それは、波乱万丈の物語よりも、ちょっとイイ話に心安らぐような、私自身の年齢によるのかもしれない。

などと思っていた矢先、ふと腰巻を外してみると、
なんじゃこりゃあ、西炯子さん、あなた、いろんな意味で絶好調ですわね。




 
(1) 海江田の岸部一徳は、さすがに年齢が行き過ぎていたか。映画版の豊川悦司は上手くはまっていた。
   堀内敬子も、バリバリのキャリアウーマンならありそうだが、恋に臆病になるには貫禄がありすぎたか。
   榮倉奈々が適役かはともかく、バリバリのキャリアウーマンと恋に臆病の同居は、なかなか難しい設定ではある。

 (2)  東京時代の主人公のつぐみは大手家電メーカーの課長職として「ミス原発」と呼ばれていたが、
   郷里の南九州で在宅勤務となった後は地熱発電に取り組むようになる。しかも、そんなおり、南九州に巨大地震が起こり、
   市内全域が停電する中、地熱発電の実験プラントだけか発電を続け、地熱発電に懐疑的だった地元の有力者からも理解が得られるようなる。
   というような描写を、西炯子は2009年の秋にやっていたのだった。 


      ポニーキャニオンサイト内「娚の一生」ページ
      コミックナタリーサイト内「<娚の一生>映画化記念西炯子インタビュー」ページ              
      Wikipedia「娚の一生」ページ
      伊賀市観光公式サイト内「娚の一生ロケ地&観光周遊マップ」ページ

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