虚実皮膜の間で描かれたディープな大阪史

                                  ---- 中沢新一「大阪アースダイバー」を読む(2012.12.2)

「大阪アースダイバー」については、週刊現代での連載中から気になっていた。
「アースダイバー的思考」という中沢新一の特異な切り口から、
自分たちの知っている大阪像とは少し違った大阪の奥深いところにある精神の源泉のようなものを 描き出そうとしていたからである。

中沢には東京を題材にした「アースダイバー」という前著があり、「アースダイバー的思考」によって都市を語るのは2度目の試みになる。
もともとアースダイバーという言葉は、アメリカ先住民の神話によるもので、
水中の奥底から、最初の陸地となる土くれをつかんだ勇気あるカイツブリのように、
その地の歴史を縄文時代あたりまでさかのぼるように「ダイブ」すると、過去から現在に至るまでの真の姿が見えてくる、ということらしい。

そのための道具として登場するのが、縄文時代の地図だ。
縄文海進により、生駒山地の西には広大な河内湖がひろがり、そこに半島のように上町台地が突き出しており、
そのさらに西側、今の大阪の中心街は、まだ完全に海の底だった。
そして、そこに淀川と大和川から土砂がゆるやかに堆積することによって、大阪という土地が生み出され、現在に至る。

アースダイバー的思考でとらえようとする歴史とは、
そのような、とてつもなく長い時間に、少しずつだが大きく姿を変えていった大地とそこに住まう人々をめぐる物語なのである。

したがって、語り口も具体的な文献などを挙げて論証するというようなものではなく、
現代に残る遺跡や寺社などのわずかな痕跡を手掛かりにしながら、
その場所に立って、その時代に「ダイブ」することによって、
おのずと目の前に当時の光景が広がってきているかのように、その時代のその場に暮らす人々の物語を描き出す。

もちろん、その背景にはその地の歴史に関する深い知識がある。
ただ、書かれていることすべてが本当のことなのかどうかはわからない。
巻末にたくさんの参考文献は挙げられてはいるものの、 基本的な語り口は「見えたんだから、しょうがない」なのである。

そうはいっても、上町台地の中心を難波宮から南に進む難波大道をアポロン軸と呼び、
それと交差して日の昇る方向に古墳群を経て生駒山を望むディオニュソス軸を感じる、
という壮大だが論証不能の大阪観からスタートされては、それが真実なのか、単なる中沢の感想なのかは、どうでもよくなってくる。

というのも、虚実皮膜の間にこそ芸の面白さがあるがというのは、
中沢新一がプロローグでも紹介した大阪を代表する劇作家・近松門左衛門が残した卓越した演劇理論なのであるから。
 

      講談社サイト内「大阪アースダイバー」紹介ページ
    中沢新一アーカイブ(公式ブログ)
     Wikipedia中沢新一ページ
    

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