上方落語の青春時代に修業時代をすごした落語家たちの青春---- 小佐田定雄編「青春の上方落語」を読む(2014.7.12)笑福亭鶴瓶(1951年生まれ、1972年入門)、桂南光(同51年、70年)、桂文珍(同48年、69 年)、桂ざこば(同47年、63年)、桂福団治(同40年、60年)、笑福亭仁鶴(同37年、62年)の6人に、 入門のきっかけから修業時代の苦労話から年季が開けて独り立ちするようになるまでを聞き書きした新書である。 上方では、初舞台でかける前座ネタというと「東の旅・発端」なのだが、示し合わせたように、鶴瓶、ざこばの二人が、 「ようよう上がりました私が初席一番叟で、おあと二番叟に三番叟」と、冒頭の一節を口に出す。 いかにも最初に身体で覚えた噺という感じだ。 また、自分の師匠からは厳しくしつけられたが、他の師匠方にはやさしくしてもらったというような話を、 名前が入れ替わりながら、いろいろな人から聞けたのも面白かった。 みな、自分の弟子には一人前にしなければと厳しく、よその弟子には上方落語界の仲間としてやさしく接するものらしい。 かつてはマスコミを賑わした(物議をかもしたこともある)若手落語家たちも、 いまやキャリアは40年から50年を越え、一門を代表する大看板となっている。 四天王と呼ばれた6代目松鶴、米朝、春団治、5代目文枝の次の世代として、まさに円熟の時代にある。 戦後の一時期、上方落語は滅んだといわれたことがある。 それを復活させ現在の隆盛にまで導いたのは、当時まだ若手だった四天王らであり、四天王らに続いた、この本に登場する世代なのである。 いわば、修業にあけくれた彼らの青春時代は、 そのまま復活の途上にあったした上方落語の青春の時代でもあった。 などという言葉をレビュー用に想定しつつ読み進めていたら、「バレ太鼓」と題された編者による「あとがき」に同じことがそのまま書いてあった。 「まくら」と題され、上方落語の概要を記した「まえがき」をはじめ、演目や同時代の落語家などに対して的確に付された注など、 落語作家として何より上方落語を愛した編者の小佐田定雄による熱意とともに念の入った仕事ぶりが感じられた。 |