原作ファンが懸命に作った好感度の高い映画化
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映画「大奥」を見る(2010.12.5)
映画は、ほぼ忠実に原作の1巻を再現している。
改変部分も、原作よりも良くなる方向での修正なので気にならない。
映画のスタッフの要所に原作を読み込んだファンがいるのか、
原作では描かれなかった部分を想像しながら、映像で補っているようにも見えた。
主役・水野の二宮和也は、自然体で演じているようでいて、
心の深いところの微妙なところまでを自然にやってのける上手さがある。(1)
吉宗の柴咲コウは、強烈な眼力で周囲を圧倒して、改革派将軍らしさを見せてくれる。
しかし、それ以上に、脇を固める芸達者な人たちが、
男女逆転という大きな嘘をリアリティのある映像に仕上げている。
中臈・松島の玉木宏は、側室候補にふさわしい美しさと教養を感じさせてくれた。
藤波の佐々木蔵之介は、権謀術数の果てに大奥総取締にまで登りつめた中年男を
怪しげな部分も含めて違和感なく演じて見せた。
古参の杉下を演じた阿部サダヲは、大奥という制度の厳
しさとその裏返しの醜さを、
なかば諦念も含めた哀愁を安定した演技で淡々と体現した。
幼馴染のお信の堀北真希も、清純派ぶりに磨きがかかっている。
そして、何と言っても、吉宗の側近・加納久通の和久井映見だ。
もともと原作でも映画でも、そんなに大きな役ではないのだが、
吉宗の代弁者として海千山千の人々を相手に平然と応対する様は、存在感がありながら可愛らしくもある。
「上様は、何を考えておられるのか」と詰問する藤浪に答えた
「この国の行く末を」の一言は、原作から抜け出たような見事さだった。
そうはいっても、観客を選ぶ映画であることも否定できない。
これだけ作り込んでも、「男女逆転の大奥」という設定を許せない者はいるだろうし、
役者たちが真剣に演じていることに違和感を感じながら、馬鹿馬鹿しさを感じる者もいるだろう。
そのことがわかっていた上でも、映画は十分に健闘している。
「男女逆転」を生身の人間で演ずる事に成功しただけでも、拍手を贈ってよいはずだ。
個人的には、両親役の竹脇無我と倍賞美津子の老けっぷりが、
いささかショックだったのではあるけれど。
(1) 水野の二宮和也をほめたら、垣添(中村蒼)より
も背の低い水野はありえないという指摘を受けた。さすがに、女子目線は厳しいなとも思ったが、
原作のよしながふみ「大奥」1巻が下敷きにしている
きらいがある「トーマの心臓」にあてはめたところ、アンテよりも小さいオスカーはないなあ、
と納得した。でも、ジャニーズ映画という批判があり
つつも、二宮和也の芝居が良かったことは力説しておきたい。
TBSサイト内映画「大奥」ページ
Wikipedia映画「大奥」ページ
ひつじ亭・よしながふみ「大奥」レビュー
記憶に新しすぎるシリーズ物は、なかなか大変だ
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映画「大奥〜永遠〜」を見る(2012.12.29)
「有功・家光篇」を描いた、ドラマの余韻がさめや
らない時期での映画公開である。 (2)
しかも、ドラマ版でも主役の有功を演じた堺雅人が、主役の右衛門佐を演ずる。
桂昌院(玉栄)が右衛門佐を見て有功を思い出すというエピソードがあるものの、
同一シリーズの別人物を同じ役者が演ずるというのは、やはり冒険だ。
有功が不本意ながら大奥で暮らすこととなった善意の人だったのに対し、
右衛門佐はある意図をもって自ら大奥にやってきた野心家だ。
もちろん、堺雅人は両方の役をよく理解し、きちんと演じ分けているのだが、
あまりにドラマ版の記憶が鮮明なうちに映画を観たために、
堺雅人が二役を演じていること以上に、まるで有功が右衛門佐を演じているように見えてしまった。
菅野美穂が演じた綱吉役も、なかなか難しい。
部下の夫にも手をつけるほど性に奔放でありながら、父の桂昌院(西田敏行が怪演)だけが唯一の心のよりどころであり、
心を許すのは側近の柳沢吉保(尾野真千子が抑えた演技)だけだ。
後継者である娘を失ってからは、父の言いつけを守って自暴自棄なまでに男と寝所をともにする。
ただ、菅野美穂の綱吉は上品すぎて、父の呪縛をうける娘としては良いのだけれど、
(柳沢吉保を含めて)「大奥にいる誰もが恋をしてしまう」ような魔性のような色気や凄みまでは感じなかった。
「月のもの」などという言葉を口にするは、可愛らしすぎるのだ。
というのも、ドラマで3ヶ月かけて丁寧に描かれた「有功・家光篇」が10年ほどの物語であったのに対し、
2時間の映画で描かれる「右衛門佐・綱吉篇」では20年を越える時間が流れている。
しかも、20年を越える時間の経過というのが、この映画で重要なカギなのだが、
助走期間のないまま2時間で描ききるには、なかなか苦労が多かったようだ。
そんなわけで、一生懸命に作られているのはよくわかるし、好感も持てるのだが、
どこか残念感が漂う作品となってしまった。
また、シリーズも三作目ともなると、三人の女将軍を見比べたくなるし、
尾野真千子の柳沢吉保よりも、和久井映見の加納久通の方がよかったとか、
宮藤官九郎の御台所よりも、阿部サダヲの杉下の方がよかったとか、 失礼な感想もわいてきてしまう。
つまるところ、基本設定が同じのシリーズもので登場人物が変わる作品というのは、
それだけ難しいということなのだろう。
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