戦争体験から出発した個人映画作家が日本を代表する商業映画監督になるまで
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「文芸別冊 大林宣彦」を読む(2017.12.9)
書店で見かけた時、買わないわけにはいかないなあ、と思った。
若いころ、はしかのように大林映画に夢中になっていた時期があり、当然のように、尾道にも巡礼したことがある。
CM監督から映画に転身した大林宣彦は、「転校生」に始まる「尾道三部作」などの一連の作品で、
あやういまでのまっすぐさを含む少女期の未完成な魅力と、男子(たいていは、尾美としのりだ)の少女に対するほのかな恋心を描くことで、
思春期を通過した男性の「オトコノコごころ」をワシづかみにした。
しかし、いろんな意味で過剰な大林節に、いくぶんかのクドさを感じるようになって、
それが「大人になる」ことであるかのように、大林映画から遠ざかるようになっていた。
だから、この本を手に取る資格が自分にあるのかと自問自答したが、安易に自分の過去を否定するのは潔くないと思って購入した。
そんな青春の古傷と向き合うような気持ちでページをめくってみると、
大林本人や家族、映画関係者が語る映画監督・大林宣彦は、こちらの思っているような大林宣彦とは、まったく違っていた。
まず、大林宣彦はCM監督である以前から、気鋭の個人映画の作家だった。
また、大林がCMを撮りだしたころは、ちょうど企業がCMに力を入れ始めた時期で、
良いCMを作ってくれるなら、少々お金をかけても意欲的なものが求められた。
片や、日本映画界は凋落していたとはいえ、国民的娯楽としての権威が残っており、
映画監督になるには、社員助監督として会社ごとの流儀を学ばねばならなかったし、
大林は、そんな日本映画界の風潮を潔しとしていなかった。
つまり、大林宣彦がCM監督から映画監督に転じた歴史は、
新しい才能をもとめていたCMの世界が個人映画で注目を浴びていた大林を発見し、
大林はCMという自由な場所で才能を発揮することで知名度を上げ、
苦境にあった日本映画界から(渋々)招聘される形で大林は自分流の映画制作を許され、
それが興行的に成功することで大林の地位を押し上げていったというものらしい。
それゆえ、大林宣彦は自身をアマチュアと自認し、 個人映画の延長線上にCMも商業映画もあったとする。
映画の冒頭に「A MOVIE」と置かれるゆえんである。
そして、大林映画の根底には7歳に軍医の子として終戦を迎えたことがあり、
個人映画も「アイドル映画」も「尾道三部作」も、近年の「古里映画」に至るまで、人の死と別れ、戦争の記憶が秘められているとされる。
近年の作品には、戦争の予感と恐怖が強く描かれているらしい。
2017年、大林宣彦は、壇一雄原作「花筐」を映画化した。
しかも、それは、商業映画に進出して早々に企画されたものの、 興行的な成功が見込めないとして、お蔵入りになった作品だそうだ。
また、あわせて大林自身の肺がんも公表された。いろんな意味で、特別な作品であるようだ。
そんなこんなもあっての「文芸別冊 大林宣彦」の発刊なのだろう。
数十年ぶりに、大林映画を映画館で観なくちゃいけないという気持ちになった。
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