スチュアート・リトルは、本当にネズミなのか?

                    ――― 「スチュアート・リトル」を仕事で見る(2002.7.26)


仕事がらみで、映画「スチュアート・リトル」を見ました。
アメリカ風な家族愛とCGによるネズミの活躍が楽しい、いかにも家族向けの映画です。
しかし、2度立て続けに(仕事ですからね)見ていて感じたのは、
「スチュアート・リトルは本当に<ネズミ>なのか」ということでした。

もちろん、本当のネズミが人間と会話をしたり、まして人間の家に養子に来るはずはありません。
ありえない話だから、こんな悲喜劇が起こるんだよと言われればそのとおりでしょう。
しかし、注意深く見ていると、スチュアート・リトルをめぐる世界には、額面どおりに受け取れない嫌な感じがしてくるのでした。

彼を養子にしようとするリトル夫妻はあくまで善意の人です。
ニューヨークのセントラルパーク近くに住む白人夫婦は、一人息子のジョージの弟を探すために養護施設を訪れ、
ネズミのスチュアートにめぐりあいます。

彼らは生活に恵まれた善意の人ですから、「ネズミ」を差別したりはしません。
スチュアートの性格のよさと利発さを認めた彼らは、スチュアートが「ネズミ」であることをわかっていながら彼を家族に迎えるのです。
スチュアートの兄になるはずのジョージは、楽しみにしていた弟が「ネズミ」であったことに落胆します。
しかし、両親は、そのことでスチュアートが傷つくことを恐れて、「ちょっと疲れているだけ」と言いつくろいます。
なぜなら、リトル夫妻は「ネズミ」を養子に迎えることになんの偏見も持っていないのだから。

両親だけではありません。彼らが養子を迎えたと聞いて、親戚中がプレゼントを持って集まります。
もちろん、一家の主のスチュアート氏は、スリーピースに蝶ネクタイでホスト役として親戚を出迎えます。
スチュアートも、両親に買ってもらったパーティー用の服を着てごきげんです。
そんな親戚たちは、紹介されたスチュアートがネズミであることがわかって驚きますが、
(というのも、「新しい息子」のためにブランドもののボウリングボールや自転車などのプレゼントを用意していたわけだし)
誰かが「ね(ずみ)」と言いかけていいよどんだ言葉を、
別の一人がすかさず「熱烈歓迎(ね・つれつかんげい)だわ」と言い換えてちゃんとフォローのも、リトル一家の良心です。
なぜなら、スチュアートは名誉あるリトル家の養子なのだから。(たとえ、スチュアートが「ネズミ」であっても。)

当たり前にネズミのスチュアートと人間が話が通じ合うという設定に始まり、
小さいながらも新しい服をあつらえたり、病気になれば医者にかかったり、あるいは「誘拐」事件のおりには警察まで動いたり、
なぜかスチュアートは公的な場において、他の人間たちと少しも変わらない権利を有しています。
にもかかわらず、私たちの目に見えるスチュアートは「ネズミ」です。

この制度にのっとった「タテマエ」と人々の「善意」によって支えられた「人と「ネズミ」の同権」を、どう考えるべきなのでしょうか。
この問いかけをするとき、私としては、同じテーマを扱ったひさうちみちおの「ヒポポタマス」のことを思わざるをえません。
結果的にハッピーエンドにおわった「ネズミのスチュアート」と「裕福で善意で正義感を持った白人のリトル家」との問題を、
単なるネズミを主人公にしたファンタジーとして済ませてしまってよいとは、とても思えないのでした。

スチュアートが「兄」ジョージと完成させた模型ヨットの腹に書かれていた「WASP」という船の名前も象徴的でした。
そして、この瞬間に映画の製作者が意図的にやっていると確信しました。
まさにWASPであるだろうリトル夫妻の善意の空回りや、ある程度はタテマエが通用するアメリカの「正義の国」ぶりや、
一皮向けば理解のない者たちのスチュアートへのむき出しの悪意が現れてくるというあたりに、
この映画の本当の意味があるのではないかと感じました。

そして、インターネット上を検索してみると、案外、ストレートに「家族向けの他愛のない映画」という感想が多かったことに、
いささか落胆するとともに、この映画が成功しているということの証なのかもしれないなどと思っているのでした。




  * 一部のサイトでは悪役 の猫は「イタリアなまり」とい う情報まで出ていたが(確認のしようがない)、もっと驚かされたのは
   リトル一家が祖先の名前から
明らかにユダヤ系と いう指摘だった。現代のニュー ヨークに暮らすアナクロな「WASP」
   (スズメバチの意だが、白人・アングロサクソン・プロテスタント
というアメリカの支配階級)の一家という理解をし ていたのだが、
   さらに深い人種の問題が潜んでいたというわけだ。

    ただし、この指摘自体が、ユダヤ系に対する悪意の偏見であ る可能性も否定できない。

         Wikipedia内「スチュアート・リトル」ページ

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