萩尾望都は、それでも希望を届けようとしている

                                      -- --萩尾望都「なのはな」を読む(2012.3.11)

本人に何の責任もないまま、客観的に明らかに劣悪な状態に置かれ、
自分の力だけではとても解決できるはずもなく、仮に解決するにしても、膨大な出費と多大な労力と長い時間を必要とする。
そんな状態に、突然、ほうりだされたならば、人は何ができるのだろうか。

2011年8月に発表された「なのはな」は、生まれ育った「梅の村」を離れて街で暮らすフクシマの小学生ナホの物語だ。
しかし、校庭の使用が禁止されているこの街からも、同級生は遠い地に転校していく。
汚染されて人が住めなくなった「チェルノブイリ」という言葉で
、(誤解を生む表現になったために、出版時に注釈がつけざるを得なかったのは残念。)
一度は理不尽な災厄の被害に遭った自分自身を責め、また忌避してしまいそうにもなるが、
「ばーちゃんの種まき器」をきっかけにナホは自分自身と和解する。
ナホの蒔いた種は、芽吹き、育ち、一面の「なのはな」を咲かせることだろう。
 
この物語は、そんな希望の物語だ。
そして、希望だけが、何も持たない個人が持つことができる唯一のものなのだ。

その後に続くのは、放射性物質を擬人化した三部作。
プルトニウムの「プルート夫人」は、美しく妖艶で男たちを虜にしてしまう。
わたしはあなたがたが創り出した最高傑作。永遠の存在にして、猛毒。
彼女を裁こうとする人たちは、見る見るうちに朽ち果ててしまう。プルート夫人の輝きは、少しも変わらないというのに。

家族会議に登場した「ウラノス伯爵」は、魅惑的な贈り物をか人々に授ける。
よくわからないままに魅入られる人たち、なんとなく怖いという人、豊かさのためには必要と説く人、でも、あまりに危険だという人。
それでも、ウラン、いやウラノス伯爵は、抗弁する。
「大地深く眠っていた私を揺りさまし」「わたしに新しい役割を与えたのはあなたがたです」

プルトニウムの「サロメ」は、人気の踊り子。クラブに集まる紳士たちは、サロメの魅力にぞっこんだ。
しかし、ヨカナーンは。サロメを逮捕し、10万年の封印を宣言する。
哀れ、踊り子よ。彼女はいつまでも愛する者たちのために踊ろうとしていたのに。

実は、萩尾望都が日本の社会問題を取り上げるのは、今回が初めてではない。
1970年12月、四日市市石油コンビナートを題材に「かたっぽのふるぐつ」を描いている。
この時も、けっして公害を発生する石油コンビナートだけを責めるのではなく、
それが人間によって作りだされ、人間は恩恵さえこうむっていたことを描いていた。

その視線は、この「なのはな」でも変わらない。
やみくもに放射性物質を責めたところで、直ちに解決するものではない。
ましてや、その恩恵をこうむっていた自分を免罪することもできない。
「放射性物質=悪」というわかりやすい図式で責め立てるのではなく、賛否も含む立場の異なる意見をすべて提示した上で、
「じゃあ、あなたはどうするのか。」と読者に問いかけてくるのだ。

そして、再び「なのはな」である。
学とナホの兄妹は銀河鉄道に乗っている。なぜか行方不明の「ばーちゃん」も乗り合わせている。
(銀河鉄道のお約束どおりに)「ばーちゃん」は消え、残された学とナホに「ばーちゃん」の言葉が響く。
「なあんにも、こわいことはないぞう」

ハードカバーの本には、白いカバーがかけられ、銀色の線で、ナホと、ナホが生みだした「なのはな」が描かれている。
さらによく見ると、銀色のインクが落されないまま型押しされた原発の風景も描かれている。

そこには希望がある。しかし、原発もある。
そして、あなたは、どう生きるのか。
萩尾望都は、私たちに問いかける。

カバーを外すと、今度は一面に、黄色の「なのはな」。
萩尾望都は、それでも希望を届けようとしているのだ。



         wikipedia「なのはな(漫画)」ページ

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