緻密でスキがなく描かれるギリギリの家族の痛々しい犯罪

                             ――― 映画「万引き家族」を見る(2018.11.24)


近年、家族をテーマにした作品でヒットを続ける是枝裕和監督 の新作である。
カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得したことで、一気に世間の注目を集めた。

一言でいえば、よく出来ている。
力技で感動させるとか、雰囲気で共感してもらおうというようなあざとさがなく、
むしろ、緻密でスキがないために文句のつけようがないという感じだ。
「万引き家族」というタイトルだけで的外れな批判も呼んだようだが、
そんな軽はずみな言説を圧倒するような、手触りのある生活を描いた作品だった。

リリーフランキーは日雇いで工事現場で働いていたが、 不慮の事故で働けなくなる。
安藤サクラはクリーニング店に勤めていたが、ある秘密のせいで整理解雇されてしまう。
樹木希林の年金だけでは、心もとない額にしかならない。
そのため、松岡茉優はこっそり高校の帰りに風俗まがいのアルバイトをしている。
学校行っていれば小学生の城桧吏は、リリーフランキーと万引きをする日々だ。

冒頭、父親からのDVを受け、ベランダに締め出されて いる幼女・佐々木みゆを、
主人公の、というか万引き帰りの父子が見かける。
父子は、このままにしておけないと幼女を連れ帰り、家でカップうどんを食べさせる。

夕食が(万引きした)カップうどんに、(ちゃんと買っ た)コロッケというあたりに、
この家族のいろんな意味での貧困さと、微妙な善良さが見て取れる。
(人数分のカップうどんは買えなくとも、米を炊くだけならそんなに高くつかないはずだ。)

そして、この「万引き家族」独特のと夕食をすませたあ と、一度は幼女を家族のもとに返そうとはしたのだが、
外まで聞こえてくる実父母の怒声がまだ終らないことに、
とても本当の家族のもとに少女を返す気持ちにはなれなかった。

もし、ここまで見た観客が、この家族の対応を「仕方な い」と思ってしまったなら、
もう「万引き家族」という生き方を認めてしまったことになる。
あるいは、是枝監督の巧妙な技によって、観客は「万引き家族」の側に「堕とされる」。
 このあたりが、この映画のよくできているところだ。

けっして、ルパン三世のような痛快さがあるわけではな い。
嬉々として万引きをするような、倫理観が破壊されている家族を描くわけでもない。
むしろ、その小さな犯罪はあまりにも痛々しく、
父が子に「商品はまだ誰のものでもない」と言い聞かせる理屈は、実は自分自身にむかって言い聞かせているかのようだ。

むしろ、「万引き家族」は彼らなりの倫理観を心の内に 持ちながら、
(それは倫理観というより逮捕される危険性におびえる小心さでもあるのだが、)
たとえば、連れ帰った幼女を一度は親元に返そうとするというギリギリのところで、
やはり、誘拐の罪を犯してでも、もう一度連れ帰ることを選択するというような、
ひずんだ優先順位に基づく、しかしながら深い愛情のようなもので成立している。

そんなギリギリのところで成立している「家族」である からだろうか、
少年・城桧吏が初めて接したまともな大人である柄本明の商店主の一言をきっかけに少年の心は揺れ動き、
「家族」は思いのほか容易に破綻してしまう。

その後の後始末も、ごくごくまっとうなところに落ち着 いた。
そのあたりの流れにもよどみがなく、あの「家族」らしいドライな決着のつけ方だった。

もともとの着想である「死んだ親の年金を不正に受給し ている家族」という事件から、映画はずいぶん遠いところまでやってきている。
犯罪を肯定的に取り上げることに説得力を持たせるという手続きを踏むため、
慎重かつ周到に物語を練り上げていったことにもよるのだろう。

そんなことも含めて、実にスキがなく完成度が高い、よ くできている映画なのだった。




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