セルフプロデュースの達人・小泉今日子の身体感覚あふれる読書体験
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「小泉今日子書評集」を読む(2016.2.20)
小泉今日子が2005年から2014年の10年間、読売新聞の読書委員として発表した100本弱の書評を集めた本である。
小泉今日子といえば、当時の他の新人アイドルと同様に「聖子ちゃんカット」でデビューしたものの、
勝手にショートカットにしてしまうという大事件を起こしたにもかかわらず、
「まっ赤な女の子」になり、「渚のハイカラ人魚」になり、「迷宮のアンドローラ」になり、
「ヤマトナデシコ七変化」しているうちに、「なんてったってアイドル」にまで至ったという、 とんでもない人である。
まだ10代の少女なのに、「大人の人」に怒られることは分かっていたはずなのに、
むしろ、「大人の人」の言うとおりにしていた方が楽だったのに、
それでも、イヤなものはイヤ、ダメなものはダメ、と勝手に髪を切ってしまう。
そんな10代の小泉今日子がいたからこそ、現在の小泉今日子はある。
見開き2ページに1本ずつ、それぞれの書評に、現在の小泉今日子本人による2〜3行のコメントがついている。
勉強は大嫌いだったという小泉今日子が選ぶのは、あるべき世の中について語られるようなムズカシイ本ではなく、
今ある世の中でどんな風に生きていくかについて語られる本だ。
多くは小説、あるいはステキな生活を送っている人たちのエッセイ、時に、童話や漫画も取り上げる。
どうにも我慢ならず勝手に髪を切ったことに象徴されるように、
その後、セルフプロデュースを続けながら、演ずるものとしてのアイドルを確立したように、
小泉今日子は、人のありように対する鋭い身体感覚のようなものを持ち合わせている。
たとえば、「死んでしまった自分の肉体を、様々な植物の種を敷き詰めた山の上」に横たえ、
いつか「白骨はきれいな花々に囲まれる」という作中の老婦人の想像を拾い上げ、
「旅慣れた大人の女の無駄のない身支度のような気持ち良さ」と評する。 (p40・甘粕幸子「白骨花図鑑」(集英社)評・2005.11.06)
生活する気分というものに、すこぶる強い感受性を持つ小泉今日子なればこそ、
わかりやすい実感の伴った言葉で、作品世界を紹介してくれる。
もちろん、小泉今日子という肉体を通した言葉であるから、
そこで表れている言葉には、小泉今日子の人生というものが透けて見えるようでもある。
そのため、2005年から2014年の読書界の一端を知らせてくれる本であるとともに、
38歳から48歳までの小泉今日子の生き方をも垣間見せてくれる本になっている。
それにしても、書評だけで一冊の本になるとは、小泉今日子は本当にとんでもない人だ。
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