成功すればするほど、宮崎駿が大きく見えてくる宮崎吾朗作品
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映画「コクリコ坂から」を見る(2011.9.4)
宮崎吾朗監督には大変申し訳ないことなのだけれど、
「宮崎吾朗監督作品」となると、つい「宮崎駿監督作品」と比べてしまいたくなる。
しかも、「企画・脚本 宮崎駿」となれば、なおさらである。
うまく自分の色を出せているのか、あるいは、自分の色を出そうとするあまり、
かえってジタバタしてるのではないかなど、不必要に心配してしまいそうになる。
そういう点で、まず気がつくのは音楽だ。
ジブリ映画ではおなじみの久石譲による完成度の高い濃密な音ではなく、
武部聡志による少しくだけたジャズ系の軽快な音楽が流れる。
それだけでも「違う」と感じさせるほどに、音楽の力は強い。
主題歌の「さよならの夏」も懐かしい。私が10代の当
時に流行った曲で、森山良子の伸びやかな高音が印象的だった。
当時、宮崎吾朗監督も小学生なので、かろうじて間に合っているはずだ。
要所に挿入される「朝ごはんの唄」などオリジナルの曲は、宮崎吾朗と谷山浩子による共作の詞に谷山浩子が曲をつけたものだ。
ストーリーが、いかにも宮崎駿好みの古き良き日本の青春物語なので、こんな部分で自分らしさを示しているようにも思える。
舞台は、1963年の横浜。
企画の宮崎駿は、1988年制作の「トトロ」の設定が1953年だったことと比較し、
この時代の物語を取り上げるのに「時代おくれ」的な印象になることなく、
「ちょっと昔の物語」になるのに十分な時間が流れたとしている。
1960年代の日本と言えば、戦災復興を終えて、高度成長に突入していった時代である。
その半ばに1964年東京オリンピックがあり、ゴールに1970年大阪万博がある。
映画を見て、まず感じたのは、当時の日本がまだずいぶんと貧しく、またゴミゴミとしていたことだ。
ソウルや北京でオリンピックが開催された際に「まだ貧しい」という論調があったが、
当時の日本の姿を見れば、とても他国のことを言えそうにない。
みんな、この時代を経過して、経済大国に跳ね上がっていったのだ。
また、アスファルト舗装がされていない地道と木の電信柱も懐かしい。
とは言いつつも、実は、その「懐かしいもの」が街のすべてを覆っていたことに驚かされたのだった。
1960年代生まれの私は、未舗装の道や木の電柱のことを、ドラえもん的な空き地などとともに知っている世代ではあるが、
自分の実感としては「まだ残っている古いもの」という印象が強くあったのである。
もう少し上の世代だと、まったく違う感想になるかもしれない。
なにせ声優たちの世代までいくと、当時のことを「携帯電話もない時代」というとらえ方になるのだ。(そんなの、つい最近じゃないか。)
伝統ある私立高校のサークル棟の建替えを巡り、議論する高校生たち。
こんな理想的な場所が、かつて本当にあったのかどうかは知らない。
しかし、全共闘世代が教養主義をたたき壊す前の学生たちには、良き意味でも悪しき意味でもバンカラであるとともに、
知的前衛でもあり、時として、ノーブレス・オブリージュさえあったのだという。
伝統校の高校生たちが、いずれ支配階級になる知的エリートの卵として、
議論し、交渉し、書き、語り、人を動かすことがあっても不思議ではない。
そして、1963年当時の高校生と言えば、1945年から3年間に生まれた者たちだ。
彼らは後に「戦争を知らない子どもたち」を自称し、60年代末の学生運動をリードしていくことになる。
しかし、この映画で記憶しておくべきなのは、そんな未来のことではなく、
彼らの両親が、必ずや第二次世界大戦に翻弄された末に、何らかの縁によって出会った二人であるということだ。
平和になった日本で、静かに高度成長を支えているハシケの船長にさえ、若き時代の軍隊の影がある。
そんな日本の歴史を、しっかりと語っておきたい。
それは、まさに「企画・宮崎駿」の強い想いであるのだろう。
この映画が成功すればするほど、宮崎駿の想いが前に出てくるという点で、
宮崎吾朗監督にとっては、成功しても気の毒な作品になりそうだ。
あの「朝ごはんの唄」については、けっこう好きになったんだけど。
映画「コクリコ坂から」公式サイト
宮崎駿は、原作を読んで憤ったのかもしれない
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高橋千鶴「コクリコ坂から」を見る(2011.9.23)
宮崎駿が「耳をすませば」のように優しく原作を語ってなかったので危惧していたのだが、
やはり原作は映画とは大きく異なっているものだった。
同じなのは、毎日旗を上げること、下宿屋を営んでいること、父親が亡くなっていて母親が海外にいること、
新聞部長と生徒会長が友達で、新聞部長が窓から飛び降りること、
海と新聞部長が恋らしきものをすること、兄妹と思ったら違ったということくらい。
まず、自宅の下宿人は女性だけではないし、去っていく下宿人は海の初恋の相手だ。
毎日上げる旗は各国の国旗であって、船舶用の信号旗ではない。
生徒が立ち上がるのは制服廃止運動で、カルチェラタンの建替え反対ではない。
それも運動自体が仕掛けた側の極めて個人的な都合で始められたものであり、
悪意で描いたとしか見えないほどに、純粋な生徒たちを一部の悪意の者が扇動する物語になっている。
そもそも、自治の象徴とも言うべきカルチェラタンは出てこないし、
時代設定も1960年代という近過去ではなく、同時代になっている。
当然、理事長も出てくる余地はないし、戦前の海の男たちの物語もない。
生徒の純粋な正義感を小馬鹿にしながら運動をもてあそぶような原作に憤って、
宮崎駿が、あるべき姿の高校生による学校改革運動を描こうとして原作を書き直しをした結果が、
映画版の脚本なのではないかと思わせるほどだ。
宮崎駿が、奥歯にものが挟まったかのような言い回しで原作を紹介する理由は分かった。
とすれば、そんな原作を何故映画化したのかを考えるなら、
案外、「原作に憤った」説が信憑性を帯びてくるようにも感じられるのだが、どうか。
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