「構想40年」の人物造形が生み出す「会議」という戦場
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映画「清須会議」を見る(2013.12.8)
「構想40年」だそうだ。
小学生の時に「清須会議」を知って以来というなら、そんな年数にもなるだろう。
時代が豊臣から徳川へ移ることを決定づけたのが関ヶ原であるなら、
清州会議は時代が織田から豊臣へ移ることを決定づけたと言ってよいものだ。
力が全ての戦国の世で、天下の行く末が会議で決められたとなれば、
文系少年・三谷幸喜の胸に強く印象付けられたのもうなづける。
そんな史実のしばりがよく効いていたためか、
三谷映画の特徴である、巧妙に隠された伏線を回収する痛快さも、
笑いのために困った状況を過剰に盛りすぎることも抑えられていた。
その分、三谷のこだわりは人物造形に向かっている。
文書に残された記録から、肖像画に残された風貌や好みまでも踏まえながら、
この人物は、こんな風だったに違いないという像を明確に描く。
たとえば、宿老筆頭・柴田勝家は戦場では勇猛果敢な英雄ではあるのだがどこまでも武骨で、
誠実であるにもかかわらず、他人の心の機微が全く理解できない人物として描かれる。
演ずるは役所広司。大和ハウスのCMで困惑していた、あのイメージだ。
対して、明智討伐の功労者・羽柴秀吉は戦わずに勝つことを目指す「人たらし」の天才で、
硬軟を織り交ぜながら、敵であったはずの人間を味方に引き入れていく。
大泉洋は、「水曜どうでしょう」さながらに軽快な動きを見せてくれる。
柴田と並ぶ実力者・丹羽長秀は、なにより織田家の行く末を考える冷静な能吏で、
この物語では、当初、柴田勝家の盟友にして、その参謀役として登場する。
結果的に一番のもうけ役であり難役を、三谷の盟友・小日向文世が演ずる。
信長の乳兄弟として、清須会議を前に宿老に繰り上げられた池田恒興は、
周囲の様子をうかがうばかりで、本当のところが良くわからない人物として描かれる。
重厚な佐藤浩市は勝家タイプで、池田恒興では(本来の意味での)役不足に感じられた。
このように、それぞれの登場人物が丹念に描き込まれているため、
予定調和のように物語を進行させるために人物がいるというのではなく、
そんな人物を清須会議という場に置いたら、こんな物語になってしまうに違いないと思わせてしまうような力強さがある。
清須会議の進行役・記録役とともに、裏方を取り仕切る饗応役として、
僧職から信長に仕え、後に秀吉のもとで五奉行の一人となる前田玄以(でんでんが好演)を充てているのも上手い人事だ。
武闘派の寺島進が味のある演技で策士・黒田官兵衛を演
じたり、
男前な美人女優・中谷美紀が土臭い秀吉の妻・寧を演ずる配役も面白かった。
忍者出身との説もある滝川一益(阿南健治)がひたすら清須に向けて走り続けたり、
「ステキな金縛り」の更級六兵衛(もちろん、西田敏行)が登場するあたりも、
背景を知っているものならニヤリとしてしまうところだ。
唯一いただけなかったのは、終盤、秀吉が、1年以内に勝家を滅ぼすと宣言したことか。
秀吉の決意が述べるのは良いとして、預言者のごとく「1年以内」と宣言するのは、さすがに勇み足だった。
そして、意外だったのが、クレジットで最初に登場したのが、つまり主人公にあたるのが、
勝利者の秀吉ではなく、思いもよらぬ敗北を喫した勝家であったことだ。
とはいえ、清須会議が終わった時点で一番幸せそうだったのが実は勝家だったこと思うと、
滅びゆく側を愛おしむ三谷幸喜らしいとも思ったのだった。
ところで、シネコンで「利休にたずねよ」も併映していたのだが、
「清須会議」で織田信包を演じていた伊勢谷友介が織田信長を、秀吉の妻だった中谷美紀が千利休の妻を演じていて、
そちらの宣伝の方が派手だったので、結構ややこしかったのだった。
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