脚本と現場のせめぎあいが生んだ伝説のドラマ

                                   ---- 木皿泉「すいか1」を読む(2013.9.1)
河出書房新社を中心とする「木皿祭り」の一環で、伝説のドラマ「すいか」のシナリオブックが河出文庫から再版されることとなった。

テレビ局から出版された当時は、本来の商品はドラマなのだから、後になってシナリオブックに手を出すのはやりすぎと思って静観していた。
ところが、今回、文庫本で再版されたと聞くと、これは絶対に買わなくちゃいけないというような、変な使命感にかられたのだった。
やはり、自分の中で伝統的な活字文化に対するいびつな信仰が残っているのかもしれない。

さて、ドラマ「すいか」については、文芸別冊「総特集・木皿泉」でも語られていた。
第1話を見た木皿泉は、イメージと全然違うとずいぶん怒ったらしい。
「<すいか>は、ホントに好きにやった話」で、 「夏らしくて、すきなアイテムを全部詰め込んだ」ので、
それを受けた「現場の人たちがいろいろ作りこんで」くれたことを理解しつつも、
だからこそ、「プロデューサーとも全面戦争になった」という。(文芸別冊「総特集・木皿泉」p220-221 「木皿泉、自作を語る」)

そんな話があったので、実は「すいか」第1話の脚本が相当に気になっていた。
最初に脚本だけを読み返した時は、ドラマの記憶のままという印象だった。
改めて脚本を片手にDVDを見返してみると(実は、DVDは買っていた。)、
けっして一言一句、脚本のままというわけではなかった。

時間の都合もあってか、カットされたシーンやセリフがある一方、
場面転換のタメになるような、つなぎのシーンやカットが追加されていた。
セリフについても、細かい言い回しだけをとれば、役者の役作りを反映してか、
登場人物の性格がよりくっきりとわかるような、なめらかな言葉に置き換わっていた。

それが、どれくらい異例なものなのか、あるいは、ごく当然のことなのか、素人には正直よくわからない。
しかし、少なくとも、脚本を片手にドラマと見比べていても、(もともと、出来上がったドラマのイメージが刷り込まれているとはいえ、)
脚本と「イメージが違う」ようなドラマになっているとは感じられなかった。

もともとの木皿泉による「すいか」のイメージをさぐるヒントとして、こんな言葉がある。
すいか第1話での教授の名セリフ「いてよしッ!」について、木皿泉は、
 「私たちは、この台詞をギャグのつもりで書いた。
 浅丘ルリ子さん演ずる教授が、一升瓶を抱えて、すわった目で、<いてよしッ!>と言い放つのは絶対に面白い」
と思っていたと書いているのだ。(木皿泉「木皿食堂」p75)
 「ところが、浅丘さんは、これをとても大事な台詞として演じてくださった。」(同)

「すいか」を代表するとされる名場面が、実はギャグのつもりだったというあたりが、
演出した佐藤東弥も、後に木皿泉も実感したところの、
「作家とスタッフと俳優という異なる個性がぶつかり合って傑作が生まれる」 ということなのだろう。
(文芸別冊「総特集・木皿泉」 p91 佐藤東弥「木皿さんのこと」)

そんなわけで、この本には、当時でも実はそんなには若くなかった木皿泉が、
脚本家としての初々しさやこだわりと、人間としての分別と苦悩がないまぜになった
ドラマ「すいか」の第1話から第5話までの脚本5本が収録されている。

そして、実は、木皿泉が当初「イメージが違う」と怒ったという逸話も、
脚本家本人が意図しないままに描いてしまっていた脚本の世界観を、
脚本を読みこんだスタッフや役者が汲み取ってドラマを撮ったということで、
伝説のドラマ「すいか」の伝説の一つにしてよいのだろうと感じたのだった。


   鮮明に映像化されるオマケ脚本で描かれる10年後のハピネス三茶

                                        -- -- 木皿泉「すいか2」を読む(2013.9.8)
このたびの文庫化は、2003年のドラマ放映後からちょうど10年に当たる。
「たまたま」だったのか、「狙った」のかについてはよくわからないが、
あの奇跡のように幸せな物語とともに過ごした夏から10年の時が流れたのかと、少なからず感慨にふけりながら読み進めたのは確かだ。
そして、教授がハピネス三茶を旅立った第10回の後に、さりげなく「オマケ」と題された脚本が添えられていた。

それは、ハピネス三茶に届いた一本の電報から始まる。
「日本時間の8月5日、そちらに帰ります。」
教授からだ。

ゆかちゃんは、今でもハピネス三茶の管理人として暮らしている。
間々田さんは、相変わらずハピネス三茶に出入りしているらしい。絆さんも基子も、もうハピネス三茶にはいない。
連絡を受けた絆さんは、ずいぶん暮らしぶりが変わったようだけど、今でも、自分自身のいろんなこだわりを最優先にしながら生きている。
一番変わっていそうな基子さんが実はちっとも変っていないというのも、それはそれで、すこぶる基子さんらしいというべきか。
何があったのか、基子の母の方がよっぽど変わってしまったようだ。

それにしても、馬場ちゃん。
あなたは、まだ、そんなところにいたんだね。そのうち、退屈だった信金OL時代と負けないくらいの時間がたっていくよ。
生沢さんって誰だっけ。
あーっ、あの時の刑事さんか。あなたの近況にも驚かされたけど、ガサツな行動と乙女な心は変わっていないね。(1)
教授は、変わったのかな。
いや、変わってない。はるかイタリアの地から、わざわざハピネス三茶に戻って来ようというのだから。
どうしているのか心配だった「泥船」のママも、最後に登場した。
あなたは寡黙なようで、一番大切な言葉だけをきちんと話す人だったね。

読み進めるうちに懐かしくなる新しい物語。 30ページ弱・40場面は、他の脚本と比べると30分ほどの分量だろうか。
それぞれの登場人物の言葉はそれを演じた役者の声と演技で再生され、
脚本を読むだけで存在しないはずのドラマが鮮明に浮かび上がってくる。
もう、このオマケだけで一冊の値打ちがある。

それと、「あとがき」で改めて教えられたのだが、
木皿泉は「すいか」を書くにあたって、「毎回、誰かに食べるものを恵んでもらおう」と決めていたらしい。
たしかに、毎回、みんなで楽しそうに食事をする場面が多いとは思ったが、
「刺身のトロに始まって、ケーキ、豆腐、桃、メロン、米、松阪牛、饅頭、松茸」と、 こんなにらもらっていたとは。
(「オマケ」だと、間々田さんの蕎麦か。)

気になるので、もう一度、1巻から読み返してみよう。



    (1)  余談なのだが、オマケ脚本の中で、刑事さん(片桐はいり)の結婚式会場で密かに馬場ちゃん(小泉今日子)が働いているという場面があったのだが、
   当時の朝ドラが「あまちゃん」で、そのクライマックスシーンが小泉今日子と片桐はいりと薬師丸ひろ子(この人も、木皿泉ファミリーだ)の合同結婚式 だったので、
   そのシンクロぶりに密かに感動していた。



   後の脚本の材料となった車内限定10分×4回のミニドラマ

                               ---- 木皿泉「道草 平田家の人々篇」を読む(2014.5.26)
「ON THE WAY COMEDY 道草」は、2001年10月から2008年3月まで続いた
毎週月曜日から木曜日の夕刻に10分枠で放送されていたミニ・ラジオドラマである。

聴取者層に合わせて、原則「走る車の中」という制限の中で物語は展開する。
主役は西村雅彦。毎週ゲストを原則1人迎え、1週4話で一応完結するいう形式だ
木皿泉以外にも脚本家はいたようだが、このシリーズの文庫本4冊を見ると、
番組開始当初の10月第3週までは、連続して木皿泉が脚本を担当している。

そして、この「平田家の人々」のシリーズは、 2001年10月の「道草」の第1週を飾るとともに、
木皿泉が最後に脚本を担当した2005年の10月まで、 実に11回も続いた人気(?)シリーズでもある。
西村雅彦は父親役で、ゲストは娘であつたり、妻であったり、なぜか平田家に下宿したりするる娘の同級生の男子であったりする。
リアルタイムで5年経過するうちに、脚本上も娘と同級生は中学生から大学生まで成長した。
こうしたドラマの中で役者が成長するあたりも、関係者には感慨があったようだ。

木皿泉史で2001年から2005年というと、2003年に出世作の「すいか」を発表し、
2005年には「野ブタをプロデュース」を発表するという時期である。
まさに充実期と言いたいところだが、2004年には夫のトム氏が脳出血で倒れ、
妻のときさんは介護しながら、執筆するという大変な時期でもあった。

あとがきには、「道草」で蓄えたいろんなネタが、後の作品、特に「野ブタをプロデュース」で活用されているという。
たしかに、1回10分のミニドラマでは、一家に突然ふりかかった事件は、
きちんと解決されることはほとんどなく、取り散らかされたままで終わっていく。
連続ドラマで改めて取り組むに足るだけのネタは満載だ。

また、「平田家の人々」にしても、3人家族で一人娘もいるという安定した家族に、
なぜか娘の同級生という他人が当たり前のように混じるというあたりが、
(つまり、立ち位置を複雑にするような人物をわざと登場させるということか)なんとも木皿泉らしい。

巻末には、放送日、キャストのほか、放送のエンディングに流れた曲リストも載っている。
ラジオドラマを聞く機会はなかったが、いろいろと想像させてくれるつくりになっている。

「ただのシナリオ」だけど、十分に楽しい一冊だ。



   一筋縄でいかない口上を物語として着地させるミラクルな夫婦愛

                                   ---- 木皿泉「道草 愛はミラクル篇」を読む(2014.5.28)
木皿泉が脚本を担当したミニ・ラジオドラマの第2弾である。
「愛はミラクル篇」というだけあって、登場するのは夫婦だったり、恋人同士だったり、父娘だったり、
中には、妻に先立たれた男と亡き妻の母などというややこしいものもある。

夫婦といっても、なぜかミニカーに乗れるくらいに小さくなっていたり、二千年前からいる精霊と出会ったりするので、一筋縄ではいかない。
しかし、そんなわざと込み入った設定の二人であっても、根源的なところで愛が何かの奇跡を生じさせることを信じているし、
そんな不可思議なものを生みだす愛というもののミラクルさを信じているようだ。

ミニドラマの各回には、MCであり主役でもある西村雅彦の口上が置かれている。
ドラマ本編の出力担当者は妻のトキさんのようだが、心憎いほどに軽快な薀蓄と無責任で謎めいた口上を生み出すのは夫のトム氏のようだ。

あとがきには、ちょうどトム氏が入院した際に、トキさんが口上の真似をしてみたが、なかなかうまくいかなかったと告白している。
もちろん、文庫本の「前口上」もトム氏によるのだろう。
トム氏が口上で展開する一筋縄でいかない感覚を、 トキさんがいかに物語として着地させていくかというあたりに、
おそらく、脚本家・木皿泉の創作の秘密があるのだろう。

そして、それもまた、夫婦脚本家によるミラクルな愛なのである。



   演出家のジェラシーとうらはらな木皿泉ののんびりしたマイペースぶり

                               ---- 木皿泉「道草 袖ふりあう人々篇」を読む(2014.5.31)

西村雅彦を主役兼狂言回しにしたFMミニドラマ「道草」のうち、木皿泉が脚本を担当したものを集めたシリーズの第3弾である。
はて「袖ふりあう人々」とは、ということになるのだが、人情タクシーというシリーズだった。

確かに、タクシー運転手と客という関係なら、一期一会な偶然の出会いということになる。
しかも、1週分の4話については同じ客を乗せているのだから、 相当な「他生の縁」があったということになる。

巻末に、解説代わりのプロデューサーと演出家の対談があるのだが、
演出の福島三郎は、自分も脚本を書く立場から木皿泉にジェラシーを感じつつも、
ほとんど演出の必要がないほどに、脚本が自然な言葉で面白く出来上がっているから、
変に芝居を作らなくてもよいし、かえって演出が難しいと語っている。

そんなスタッフの思いをよそに、あとがきでの木皿泉夫妻はというと、
番組開始直前のころは、それまでの住まいを引き払ってひっそり暮らしていたものだから、
脚本を依頼したプロデューサーはよく自分たちを探しあてたなぁ、などと言っている。

このいささかマイペースなギャップが木皿泉らしさでもあるし、 「道草」らしいということでもあるのだろう。



   都市伝説が奇々怪々につんのめるミニドラマの最終巻

                               ---- 木皿泉「道草 浮世は奇々怪々篇」を読む(2014.6.2)

自動車の中での会話だけで展開するミニドラマ「道草」の第4弾にして最終巻である。

9本のうち5本が「つんのめる都市伝説」シリーズで、
サラリーマンの上司とミステリーおたくの部下が営業の行き帰りに、奇妙な現象に遭遇する。

それも、社内の嘘か本当かわからないような超常現象について話しているうちに、
勝手に話が転がりだして、気がつくと奇妙な結果に陥ってしまうのだった。
なるほど、都市伝説がつんのめると、こういう結果になるのかというところだ。

奇々怪々な事件といってもさほど深刻なものはなく、せいぜい「浮世」の範囲の出来事だ。
誰も見たことがない会社に住まうトーメイ君は、 こっそり必要最小限のお菓子やカップ麺を食べるだけだし、
内気なバンパイヤに至っては、献血車で血液を集めていたりするのだから。