上方落語を伝えるという仕事を受け継ぐ小佐田定雄の桂米朝論

                               -----小佐田定雄 「米朝らくごの舞台裏」を読む(2015.6.20)

桂米朝といえば、後に四天王と呼ばれることになる若き落語家仲間とともに
昭和20年代には「滅んだ」とまで言われた上方落語を復興させた立役者であり、
演芸界初の文化勲章受章者となった誰もが知る上方落語の巨人である。

その功績については少し調べればいくらでも出てくるのだが、 その芸の素晴らしさについて語るとなると良い言葉が出てこない。
とにかく上手い、とにかくすごいでは、何も伝わらない。伝えたいことは山ほどあるのに、上手く説明できなくてもどかしい。
そんな時には、とりあえずこの本を読んでくれ、と手渡すのが良さそうだ。

米朝精選40席と題された「演題別につづる舞台裏噺」では、
10行前後のあらすじに続いて、その噺と米朝師匠とのかかわりが記される。
早くに師匠を亡くしたことから、誰に習ったかで出てくる名前は多彩だ。
他の師匠に習ったり、高座を見ながら勝手に覚えたり、速記をもとに復活もある。
少しでも多くの噺を受け継ぎ、次代に伝えなければ、という使命感があったのだろう。

その噺が、かつて、どんな風に語られていたかや、 それをそのまま演じては今の人にはわからないので、どう工夫し、どう改良したか。
その噺の時代背景や、登場人物の人物像がどんな風で、それを、どう描写しているか。
演じられる際にはさりげなく発せられる言葉にも、舞台にかけるまでの苦心と努力がある。

落語研究家の小佐田定雄らしく、一門による演出の違いや、
同じ米朝師匠の噺でも、録音や録画の時期によって噺が変化しているという指摘もある。
それだけ、一つの噺を研究し、生涯改良し続けたということの現れなのだろう。

合間に、高座でのちょっとしたアクシデントや舞台裏での米朝師匠の気ままな姿、
今や系図上に名を残しているだけの昔の芸人さんたちの逸話なども加わる。
その活き活きとした芸人さんたちの立ち居振る舞いは、今となっては貴重な証言だ。

巻末には、「活字と音と映像と」と題された米朝師匠の速記、音源、映像などの概説がある。
数多く出版された米朝落語集に一言ずつ触れるだけでも、10数ページの紙数を費やしている。
あとがきは、本書の出版間近に訃報に接した小佐田定雄によるさらりとした追悼文も兼ねる。

落語作家であり、学生時代からの落語研究家である小佐田定雄は、
師弟関係にあったわけではないが、米朝師匠のそばにいることを許された特別な人だ。
長きにわたる「米朝体験」のよりすぐりを一冊の新書にまとめたからか、
読み進めるうちに、桂米朝という落語家の偉大さだけではなく 上方落語界を背負わされた者の凄味のようなものさえ感じさせられた。

米朝師匠が「演ずる」とともに、「伝える」ことを生涯の仕事としてきたとするならば、
小佐田定雄は、「伝える」側の仕事をしっかりと引き継いでいる。
そして、この本は、そんな決意表明にもなっている。



    筑摩書房サイト内「米朝らくごの舞台裏」ページ
    産経新聞サイト内「米朝らくごの舞台裏」評
   Wikipedia 小佐田定雄



   たくさんの光源から照らしだされた人間国宝・桂米朝の奥行

                              ----ユリイカ 2015年6月 「特集 桂米朝」を読む(2015.9.1)

この3月に、人間国宝・桂米朝が亡くなったことを受けての160ページにも及ぶ特集である。
桂米朝の功績からしても、「ユリイカ」という雑誌の性格からしても、「らしい」感じだ。
とはいえ、東京の進歩的文化雑誌ならではの特集となっている。

たとえば、大阪の芸能関係の雑誌が特集を組めば、弟子筋はもとより上方落語界を始めとする上方芸界の大師匠たちの言葉を集め、
桂米朝らによる上方落語の復興の歴史に焦点をあてた特集になっていたかもしれない。
しかし、「ユリイカ」は、さらに一歩踏み込んだ人選をしている。

もちろん、惣領弟子となった桂ざこばや実子・桂米團治への聞き書きは、冒頭に置かれている。
しかし、それに続くのは、戦前、米朝がまだ大東文化学院の学生だったころに出入りしていた正岡容の門下で、
「弟弟子」にあたる脚本家・大西信行や俳優・加藤武による追想や、
1960年代の数年間、米朝を含む当時30代の気鋭の上方芸能関係者24人が集まった同人誌「上方風流」の
編集を担当していた演出家の山田庄一による思い出話であったりする。

その他、20数名にも及ぶ執筆者を挙げだすときりがないのだが、
小松左京の元マネージャー・乙部順子に、60年代後半に米朝と小松左京が語り合った 伝説のラジオ番組「題名のない番組」について語らせたり、
米朝宅で内弟子を経験した弟子・孫弟子に送ったアンケートをもとにまとめた 米朝の孫・中川周による卒業論文まで掲載されている。

筆頭弟子ながら、米朝一門から距離を置いている(と私は思い込んでいる)月亭可朝に、
当時、鞄を持って現場についていた者ならではの話を語らせたり、
現役引退後は、芸能人としての活動をかたくなに拒否している上岡龍太郎に、
初期の漫画トリオがゴタゴタした折に、米朝入門も考えたこともあるという秘話を語らせる。

師匠の 四代目桂米團治との関係については豊田善敬に、盟友の六代目笑福亭松鶴との関係については戸田学に書かせるなど、
本当に、周到に、幅広く桂米朝のことを描き出している。

そんなわけで、たくさんの光源から桂米朝という人物を照らすことで、
世間で知られている間口からはなかなか見えなかった奥行を知らされた感がある。
けっこう濃い口であるのに、ちっとも読み飽きないという感覚か。



    
      青土社サイト内「ユリイカ2015年6月号 特集・桂米朝」ページ
      米朝事務所内桂米朝プロフィールページ
      Wikipedia桂米朝(3代目)ページ

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