物語そのものは、誰もが知っているとおりのものだ。
しかし、この映画には、高畑勲の強く明確な意志が見て取れる。
それは、かつては当たり前にあったような美しい日本の四季を、きちんと描き出す、あるいは描き残すということだ。
まず、男鹿和雄による背景が、丹念に描かれた水彩画のように淡い濃淡で仕上げられている。
田辺修による水墨画のように筆致が残された人物は、着物の淡い柄や微妙な陰影を伴って動きまわる。
そのため、画面は広げられた絵巻物のようであり、その中を筆で描かれた人物たちが動いているかのように見える。
良く考えてみると、高畑勲監督の前作「ホーホケキョとなりの山田くん」でも、これに近いような先駆的な描き方をしていた。
「となりの山田くん」のときには原作が4コマ漫画ということもあって、なぜ、こんなこだわった描き方をしたのかと疑問に思ったが、
こんな形で結実すると、圧倒される。
その絵巻物のような世界も、四季それぞれの移り変わりが丁寧に描かれ、
しばしば、カメラの視点が地上10cmあたりまで下がり、
風に揺れる小さな野花や、うごめく虫たちまでもがきちんと描かれる。
プレスコ(録音先行)が多く使用されたことから、2012年に亡くなった地井武男が翁の声を充てていたりするが、
そのことよりも、声の後で描き始められた登場人物の顔立ちが、
それぞれの声を充てた役者さんたちと、そっくりに仕上がっているところも興味深い。
絵を描かないアニメ演出家であった高畑勲は、天才アニメーター・宮崎駿とはまったく別の方向から、
自分なりの理想のアニメーションの姿を追求し、おそらくは想像を絶する費用と手間と時間をかけ、
あくまで「かぐや姫の物語」でしかないのに、こんなに美しい映画に作ってくれた。
おそらく、この映画は、そんなに大ヒットしないだろう。
しかし、これほど困難な表現をやってのけた作品として、アニメーション史の中で、長く伝えられることとなるのだろう。
高畑勲もまた、ジブリの偉大な才能なのである。