イケズって、どうしてこんなにイケズなんだ

                        ―――― 入江敦彦「イケズの構造」を読む(2009.3.22に加筆)

 
京都生まれの純粋京都人によるイケズ解説本である。
イケズな京都人がイケズについて書いているのだから、いやあ、なんとういうか、全編見事なまでにイケズのカタマリなのだ。

まず、「京都人=イケズ」なる等式がすっかり定着して困惑しているという。
しかし、京都人がイケズではないとは言わない。イケズの中身が誤解されているというのだ。

いわく、イケズは裏表のあるような陰険ではない。陰険のように「陸の上では友達を装い、
水面下で尻子玉を抜く」なんて真似はしない。
イケズは、「正面から堂々と」「そういう素振りを見せない」まま、
「箸より持ったものがないというような京女が微笑みつつ、万力のような握力で(尻子玉を)潰す」のだ。
もう読むからに、イケズの恐怖感をおのずと高めるような、なんともイケズな文章である。

いわく、イケズは相手に己の馬鹿さ加減をきづかせる皮肉とは違う。イケズは、「その種の馬鹿には通用しません。」
いわく、イケズは相手を特定せず撒き散らかすイヤミとは違う。「イケズは照準をぴったり合わせた決め打ち」なのだ。
いわく、イケズは理由のないイジメとは違う。「蚊が腕に止まったら、誰だって叩くでしょ?」
あー、イケズって、どうしてこんなにイケズなんだ。

勢いのついたイケズ魂は、さまざまな場面での正しいイケズを紹介し、
「よそさん=洛外に住む非京都人」の間違ったイケズの用法を添削したり、
イケズ目線の源氏物語やシェークスピアまで登場させる。
シェークスピアを産んだイギリスは、京都に負けないくらい立派なイケズ国家なのだそうだ。

そして、やはり京都人であるひさうちみちおのイラストが要所に挿入され、
入江のイケズ論を受けて、さらにもう一歩展開させたイケズイラストを提示する。
巻末に、ひさうちみちおのイラストに対して、さらに入江のコメントがついていて、
このあたりのイケズ論のコラボというか、イケズ同士のイケズ合戦のようなものも、なかなかに見ものだったりする。

少なくとも、私の知る京都人は、この本に書かれているほどまでにはイケズではない。
それは、私が京都に住んだことがなく、京都人体験の多くも彼らが大阪方面へ出てきたときのものであるからかもしれない。
あるいは、著者は関西人に共通する独特のサービス精神で、過剰にイケズを演じてみせているところもあるのだろう。

とはいえ、日々イケズが飛び交っている京都の地を訪れるならば、
この程度のイケズが存在するということは当然に理解しておくべきであり、
イケズというものを恐れ、イケズに目をそむけているうちは、
本当の意味で京都を理解したことにならないくらいは言ってしまってもよいかもしれない。
むしろ、覚悟をきめて京都の地に足を踏み入れ(少なくとも、生活しようとする)のならば、
そんなイケズを楽しんでしまうくらいになるべきではないのか、とさえ思わせるほどだ。

しかも、著者は現在ロンドン在住で、時折帰京する程度だという。
どうやら、京都人というものは、死ぬまで京都人であるということなのだ。
困ったものだとも言い難いので、とりあえずは、お見事とでも言っておこうか。


 
       新潮社サイト内「イケズの構造」ページ                               
       入江敦彦Wikipediaページ 

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