女神は大地を踏みしめて立つ

                      ―――李政美コンサート「ありのままに響きあう」をみる(2002.2.22)  

李政美(い・ぢょんみ)という歌手を知っておられるでしょうか。

東京は葛飾生まれにして在日コリアン二世。国立音楽大学声楽科の卒業で、
大学在学中から高橋悠治の水牛楽団とのジョイントを行うなどライブ活動を始め、
数年の休止期間があるものの、現在まで歌い続けています。

まだCDは自主制作盤での発表しかありませんが、音大在学中から始めた音楽活動は20年以上になります。
小室等や永六輔などが注目しているというあたりから、
わかる人にはわかる独特の存在感を受け取っていただけることと思います。

緞帳が上がると (1)、 ギターを持った李政美をはさんで、
下手にピアノ/キーボード、上手にギター/マンドリンという3人。
どっぷりフォーク系のコンサートにつかった経験のある私には、なつかしい編成です。
ギターのアルペジオにピアノがからみ、それをマンドリンがささえます。
息づかいさえ聞こえるような生身の感覚は、300人という小さなホールの特権であるかもしれません。

「こんばんは、李政美です。」ややハスキー気味だが、よくとおる声です。
誰に似ているのだろうと思いながらたどりついた名前は、高橋真梨子と渡辺美里の二人。
「本格派」という印象は、さすが音大出身というというところでしょうか。

オープニングで歌われた「京成線」は、李政美自身の作詞・作曲の作品。
彼女が生まれ育った葛飾の風景を歌っています。
聞き心地のよい曲の間にさりげなくはさまれている「埋もれたままの悲しみ眠る」という言葉は、
李政美公式サイトでのコメント (2)に よると
「関東大震災のときに殺された人の骨が埋められている荒川の土手」のことであり、
「川向こうから吹く風」が運んでくる「なつかしい匂い」とは、
「墨田区の皮革工業地帯から流れてくる皮のにおい」なのだといいます。

そして、「この町もまたふるさと」という宣言で、この曲は終わります。
「また」の一言に在日コリアンとしての微妙な立場が感じ取れますが、
それでも「ふるさと」と言い切ってしまうところに、
自分自身の生きてきた歴史やさまざまなかかわりをそのままに引き受けてしまおう、という強い意志が感じられます。

「京成線に乗って帰ろう」の意味は、「今日もまた」という意味なのでしょうか。
別の場所で暮らしていた自分が決意して帰ろうという意味なのでしょうか。
 いったんはイタリアオペラを学ぶも「西洋音楽を勉強することに疑問をもち」(3)
自分の歌を歌い始めた李政美の世界を凝縮したような一曲でした。

もう一曲紹介しておきましょう。
「ありのままの自分を愛しさえすればいい」というフレーズ何度も出て来るやさしい曲。
「ありのままの私」(作詞・作曲/李政美)です。
この曲を李政美は、「廃品回収業の娘であり、朝鮮人であることがどこか誇りに思えなかった
少女時代の自分を思い出して作った」 (4)と 紹介していました。

「ありのままの自分を愛しさえすればいい」というメッセージには、
近年人権学習の場でしばしば強調される「セルフ・エスティーム」(自己肯定感情)との共通性を感じさせます。
自分自身を認めることが自分の人権を回復するための第一歩であり、
さらに他者の人権を尊重することにつながるといいます。
そんな理論の説明をするよりも、この曲を聞くことのほうがずっとわかりやすい癒しの一曲でした。

と、こう書くと、李政美が在日コリアンの立場を強調して、
マイノリティの目線で作られた歌ばかりを歌っているように見えますが、そうではありません。
続いて歌われた、「みんなちがって、みんないい」で知られている金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」、
「ポッカリ月がでましたら」の冒頭のフレーズが印象的な中原中也の愛の詩「湖上」、
在大阪コリアンの詩人・宗秋月(チョン・チュウオル)が娘の結婚式の時に贈ったという詩「遺言」。
これらの作品に李政美は自分で曲をつけて歌っています。
チリの民族音楽運動家ヴィオレータ・パラの作品「ありがとう、いのち」は、
学生時代に出会い現在まで歌い続けている大切な歌だといいます。(5)

このことは、李政美が自分のメッセージを伝えようとする「ソングライター」であることよりも、
メッセージをきちんと伝えてみせる「シンガー」であることを大切にしていることを示しているといってよいでしょう。
すばらしい歌があればそれを歌いたい。気に入った詩がみつかれば、それに曲をつければ歌うことができるじゃないか。
そんな歌うということへの強い思いが見えてきます。

あるいは、「歌う」ということに対する絶対的な自信の現われであるかもしれません。
もともと曲をつけられることを前提としていない近現代の詩であっても、
メロディさえつけてしまえば、歌うことさえできれば、その詩の世界を確実に伝えることができる。
歌うということが、李政美にとっては伝えるということなのだ。そんな確信さえ感じられました。

いつのまにか李政美はギターを置いて、舞台中央に立っていました。
思いのほか長身で、しかも筋肉質のしっかりした体格の李政美は、威風堂々としてなかなかの貫禄です。
たまたまだったのか意図的だったのか(音楽の授業で習った正しく歌う姿勢そのままに)肩幅に足を開いて立つさまは、
大地を踏みしめているような感覚さえありました。

さて、ふたたび「言葉」の話に戻ります。
韓国語を話せる李政美は、韓国の民謡やフォークソングも歌います。
コンサートの後半では、自らチャンゴを叩きながら、アリラン(6)を 数曲歌いました。
このアリランという言葉自体がそうらしいのですが、
韓国の民謡には、ときどき日本語には訳せない
囃子言葉のような言葉がでてきます(冷静に考えると、日本の民謡も同じです)。
そして、李政美の書く日本語の詞にも、しばしば韓国語に連なる訳されない/訳せない言葉が混じっています。

先に紹介した「京成線」でも、曲の最後に「エヘイヨ」という言葉が二度繰り返されます。
また、歌詞にはないにもかかわらず、曲の途中でも「いくつものアリラン峠、(エヘイヨ)越えて」と歌われています。
それは、聞いている側にとっては、「やれやれ」というため息まじりに近いもののように思えました。
あるいは、コンサートの最後に歌われた「オギヤディヤ」は題名からしてそうです。
繰り返し歌われる「オギヤディヤ オギヨチャー」という言葉は船出の時の掛け 声であるらしく、
軽快な曲調に乗せて船出の希望が歌われています。
こうした(少なくとも私には)意味のわからない言葉の数々は、歌の調子を整えてくれるばかりではなく、
意味がわからないにもかかわらず言葉以上に歌の気分を運んでくれます。

そうした意味でこのコンサートで一番印象深かったのが、「あなたの墓のそばに」でした。
この曲は、韓国でベストセラーになり映画化もされたト・ジョンファンの詩集「立葵のあなた」の中の一篇
を李政美自身が訳し、曲をつけたものです。

短い四節八行のの詩を、李政美は二つに分けました。
前半を韓国語で、後半を日本語で歌うことにしました。
そして、それぞれの二節の後に、李政美は「スキャット」をつけました。
そこにはト・ジョンファンが用意した「言葉」はありません。
李政美が「あなたの墓のそばに」を歌うためには、ト・ジョンファンの詩は短すぎたのです。

静かに流れるように歌い上げる賛美歌のように始まった曲は、
「詩」が終わったあとも長く歌われました。ト・ジョンファンの「あなたの墓のそばに」が終わっても、
李政美の「あなたの墓のそばに」は終わらなかったのです。
「アイヤー アイヤー」頭上から降り注ぐ光をうけて静かに手を広げる李政美の姿には、神々しささえ感じました。

よもや歌詞のない歌声に、これほど感動してしまうとは思いませんでした。
それまでも、「歌う」ということの力を強く感じさせてくれた李政美ですが、
この一曲で純粋な意味で「歌う」ことだけで到達することができる高みを、改めて指し示してくれたように感じました。

李政美、くせになります。そして、何よりよい出会いでした。




 (1) 実は、前座として地元の若者によるサムルノリが出演した。 「サムルノリ」はもともと四つの打楽器による伝統的な農楽をステージで
  演奏するグループ名だったが(私も岡林信康とのジョイントで来日したときに見たことがある)、その国際的な活躍により一般名詞になったらしい。
  当日は、楽器紹介もあって、小さなフライパンのような大きさの鉦「ケンガリ」が「雷」を、小型のドラ「チン」が「風」を、
  肩から下げる太鼓「ブク」が「雲」を、やはり肩掛けの大型の鼓のような「チャンゴ」が「雨」を表していることを教えてもらった。
   思い込みかもしれないが、時おりみせるスキップのような動きが、韓民族の「騎馬民族」の側面を表しているように感じられた。
 (2) 李政美公式サイト「李政美の世界」内「全歌詞コレクション」ぺージにつけられたコメント。
 (3) かつて、李政美公式サイト「李政美の世界」内「李政美のプロフィール」ページに書かれていた言葉。今は「国立音楽大学在学中から
  朝鮮民謡、フォークソング、フォルクローレなどをうたいはじめ」と書かれている。かつては、西洋音楽を捨てて自分なりの音楽世界を
  創り上げることにある種の気負いがあったのかもしれないが、今はそんな経過も自分の中であたりまえのものとなっているのだろう。
 (4) コンサートでの李政美のコメント。李政美は、「朝鮮人」という言葉を国籍を越えた民族を表すものとして意図的に使っている。
  また、この言葉を日本人が後ろめたくて素直に使えないことも意識している。
 (5) 宗秋月については上掲「李政美の世界」の「人物事典」、ヴィオレータ・パラについては同じく「歌詞大全集」のページの注釈に詳しい。
 (6) いろいろ調べてみたが、「アリラン」の意味ははっきりしない。「アリラン」という日本でもよく知られている曲があることも間違いないし、
  地方ごとにさまざまな「アリラン」と呼ばれる民謡があることも確かである。さらに、どこかにある峠の名前だとも、
  そんな地名はないから心の内の幻の峠の名だとも、峠に結びつけること自体が俗説とも言われている。
  また、「峠」というとき、日本占領下や南北国家による引き裂かれ体験が意識されているようである。


   * 李政美の世界(李政美公式サイト)内「李政美の世界を深める」に、「李政美の歌をめぐる言及」の一つとして掲載されています。


        補論  コンサートでの手話における「伝える」ということの意味

このコンサートには、手話がつけられていました。
それも曲間のコメントだけではなく、歌の部分にも手話がつけられていたのです。

歌詞の部分は歌詞なりに手話で表現するとして、歌詞のない部分をどうするのかと思っていると、
静かに曲にあわせて体をゆらすなどしています。
興味深かったのはアップテンポの「オギヤディヤ」で、
最初手話通訳者は何度も繰り返される「オギヤディヤ」の言葉を指文字で追いかけていましたが、
途中からは観客とともに拍手を始め、最後には李政美にあわせて空に向けて指さしていました。

手話もまた、ただ言葉を訳すのではなく、会場の雰囲気やイメージも伝えなければ伝えたことになりません。
そんな意味で、「伝える」手話とは何かということを意識させられました。

さて、この時の手話には、さらに後日談があります。
上でも紹介した「わたしと小鳥とすずと」の
「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」というフレーズですが、
李政美もあらかじめ手話をならっていたらしく、通訳者の手話に興味をもっていました。

この時の通訳者は「みんな」の部分の手話を「全員」という意味の手話をせず、
「一人ひとり」とでもいうように前に向けて二回、そして自分自身を指さしました。

その場では、李政美の「習ったのと違う」という言葉と観客には聞こえないいくつかのやりとりで終わったのですが、
その後、李政美はそこでやっていた手話を採用したらしいのです。
というのも、その後、李政美公式サイトの掲示板に、李政美の「わたしと小鳥とすずと」の手話の「みんな」の部分が、
より意味がはっきりしていてよかったという投稿があったのです。

歌詞のない歌を「歌う」ということで伝えようとする李政美とともに、
言葉どおりに訳さないことで伝えようとする手話通訳者の試みも、
「伝える」ということの意味を改めて考えさせられるものがありました。

 
* その後に見た「わたしと小鳥とすずと」では、李政美は「みんなちがって みんないい」は、 「一人ひとりが違って全員が良い」という手話をつけていた。
     なるほど、この方がわかりやすい。



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