「大雑把な理解のプロ」に「学ぶこと」を学ぶ

                        ――― 遙洋子「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」を読む(2000.8.17)


それにしても、「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」とは、なんとも言い得て妙なタイトルです。
そもそも遙洋子のしていた「ケンカ」というのが激しい。

 「遙さん、もっとかわいい女になれば幸せになれるのに。」
 と料理屋で男性から言われ、私は箸をくわえたままテーブルを越え、その男のネクタイごと胸ぐらをつかんだことがある。
 「大きなお世話じゃ!」(p172)

これで男性社会に異議を申し立てるのだといっても、なかなか世間に通用しません。
差別を告発しているようで実は差別をバラ撒いているんじゃないか、というパターンです。
ともかく、気持ちはわかるけどもう少しうまくやったら、と言いたくなるようなタイプでありました。

そんな遙洋子が上野千鶴子のもとで3年間にわたってフェミニズム社会学を学んだわけです。
だからというわけではありませんが、遙洋子にとってフェミニズム社会学とは、まさに「ケンカ」を学ぶことでした。
といっても、単に、女性学の知識が相手にダメージを与える材料となる、ということではありません。
むしろ、学習がすすむうちに、社会学というものがまさに「ケンカ」の学問であると、遙洋子は見抜いてしまったのです。

ゼミの初日、遅刻してきた発表者を「上野教授」が矢継ぎばやの詰問で泣かせてしまうところから、この本は始まります。
この場面を遙洋子はこう表現します。

 違うと思った時の介入の速さ、展開の多様さ、言葉の的確さは、
 日常のまったりと時が進むなかで突然起きる、数秒間の格闘技のようだった。(p10)

もちろん、こうした「上野教授」の正確さを求める態度は、ゼミ発表の内容や議論に対してはさらに厳しくなります。
著者を迎えてその著作をとりあげる(いわばプロのゼミである)ジェンダーコロキアムでの学者同士の議論、
学会発表した学生が議論にすらならずに受けてしまったダメージ、こうしたプロの議論の厳しさに接するうちに、
遥洋子は上野千鶴子という学者がまさに議論という格闘技で勝ち抜いてきた勝利者であることを実感していきます。

スランプに陥った遙洋子が能力の差を痛感すると訴えたときに上野が言った
「社会学は枠組みを疑う訓練(を積む学問)」(p204)という言葉は、
上野千鶴子の「勝利者」としての自信を示してくれるとともに、
まさに社会学が遙洋子の言う「ケンカ」の学問であることを示しているといってよいでしょう。

そして、少しでも社会学をかじっておられる方なら気がつくかと思われますが、
この「社会学は枠組みを疑う訓練」という言葉は、短いながらも社会学の本質をついた言葉です。
上野千鶴子なら本質もつくだろうというむきもあるでしょうが、
「体系のないつかみどころのない学問」という印象が(少なくとも私には)強かった社会学を、
これだけ短い言葉で見事に表現できる上野千鶴子はさすがです。
そして、それ以上に、上野千鶴子とのやりとりから、この言葉を拾い出してきた遙洋子の力にうならざるをえません。

トークバラエティに出演することの多い遙洋子は、自らを「大雑把な理解のプロ」(p185)と言っています。
あいまいで訳の分からない言葉が飛びかうトークバラエティを時間どおりに進行させるには、
短時間で相手の言葉を大雑把に理解することが「必須条件」だというわけです。

確かに、いわゆる客分扱いの遙洋子は、けっこう上野教授と話す機会を持っています。
最初のうちは、なにかと相談する必要もあったし、その後も昼食は研究室でいっしょにとっているようです。
また、それ以外にも社会人としてのプライベートなつきあいをしている場面も紹介されています。
そんな授業を離れた会話の中から、大雑把な理解のプロ・遙洋子は、さまざまな姿の上野千鶴子を発見していきます。
そして、短く、的確な上野の言葉を組み立て直した遙洋子の上野千鶴子像は、
上野教授の言葉に負けず劣らず、的確でわかりやすいものになっているのです。

しかも、遙洋子はよく学んでいます。
大学に行くのは、おそらく週に一回。しかし、朝から学部ゼミ、大学院ゼミ、学部講義と続いて、夜にはコロキアム。
丸一日、「上野千鶴子漬け」になるという密度の濃さです。

そもそも、ゼミに参加するということは文献を読んでいることですから、準備も大変です。
どうやら遙洋子は隠れた努力をするタイプらしく、まわりの学生にせめて「知識だけでも追いつこう」(p46)と、
最初の一年で過去二年分の文献もあわせて読んでしまいました。
ただでさえ理解しにくい文献を、それも一年で約百本、三年でダンボール三箱分という量を
「頭から煙を出しながら」でも読み切ったというのですから、あの上野教授でさえ「エエッ !」と驚くのも無理ありません。

 「でも、困ったことに、もっとわからなくなりました。(中略)あえて言うならわかったことはただひとつ、
 あれだけ色々あると、物事は一概に言えない、ということくらい」
 「それがわかればしめたものよ ! 」
 教授のリアクションは予想外だった。(p47-48)

予想外じゃないよ、私も大学での数年間かかって、なんとか社会学的な視点から身につけることができたのが
「物事は一概に言えないことだったよ」と、観客席から声をかけたくなる嬉しいやりとりです。

最初はゼミの議論どころか「東大」という場所に怖じ気づいていた遙洋子ですが、
上野教授のある意味で容赦のない指導もあって、ぐんぐん成長していきます。
「ひらがなの極端に少ない文章は、私にとっては中国語か、漢文だった」(p28)と言っていた遙洋子が、
三年目にはこんなことを言ってのけるのです。

 「私の隣の子なんか、構造主義ってなんですか? って聞くのよ !」
  (中略)
 「で、なんて返事したの ?  構造主義を」 
 「これ読めば、って言ってやったわよ。」
 学生が自慢げに差し出したのは「はじめての構造主義」という本だった。それもあかんやろ、と思った。
 その本は過去にもうとっくに消化して、卒業してなきゃならない本だった。(p193)

カッコイイ。
さらに感動のエピソードを。

 文献をわからないままでも、読み続けていくと、私はある発見をした。
 時々ではあるが、身体に異状を覚える。「ドーン」と音のようなものが鳴り、横隔膜あたりが熱くなり、細胞がざわめく。
 この体感が「感動」という症状であることに気づくまで、時間がかかった。
  (中略)
 勉強に「感動」を確認できたとき、そのことに「感動」する自分がいた。(p175-176)

正直に言って、私はこんなに「勉強に感動」したことはありません。きっと、努力が足りなかったのでしょう。
でも、その感動は確かに伝わってきます。そして、そんな感動をふまえて、遙洋子はこう言います。

 東大は学問の宝庫だ。そこで、いったい、どれほどの学問が「使われて」いるのだろうか ? (p207)
 交換されることのない「知」に価値はあるのか ? (p208)
 個人の生き方は自由だが、そこに知の責任ってないのだろうか? (p210)  
 東大と一般にはズレではなく、溝がある。(p210)

「あえて東大を批判すれば・・・」と題されたこの章は、社会学徒・遥洋子の成長の記録という意味を超えて、
「知の特権化」(p210)のサイクルの中にいる大学人からはなかなか出てこないであろう大学論にまでなっています。
彼女は、ここまでやってきたのです。

では、タレント遙洋子はどうなったのでしょうか。

 「よーこちゃん、最近、男性と喧嘩せえへんようになったな。」
   (中略)
 「答えが、わかったからと違う ? 」
 そうかもしれない。
 正確にいうと、まだ答えはわからないけれど、なぜ人がそういう言動をするかは膨大な文献が教えてくれる。
 私は文献のもたらす問いと解のぶんだけ、人と喧嘩してたことになる。(p172)

冒頭の「ケンカ」の場面は、この文章のあとに続くものです。確かにケンカの技量も上がったにちがいありません。
おそらく、やしきたかじんの番組での桂ざこばと思われる人物も
「おまえ、いつもと言いようが違う。さてはバックに大きいコレがついたな !」(p128)と親指を立ててくれます。

ちなみに、この、「バックに・・・」の部分で腹を立ててはいけません。
この、わかりやすい負け惜しみを平気でするところが桂ざこばの芸でもあります。
ある意味で、ここで「そんなバックがなくても私はきちんと・・」とむきになって自己主張しなくなったところが、
本当の遙洋子の成長といえるかもしれません。

この本は、一人の人間が知ること、学ぶことの喜びと意味を生き生きと表わしてくれたと同時に、
おそらく東京大学上野千鶴子ゼミに1997年以降に参加した受講生の著述のなかで最初に出版されたフェミニズム社会学の入門書であり、
希有な角度から分析することのできた出色の上野千鶴子論であるといえるでしょう。

その証拠に、上野千鶴子はこの著書に、「これは、私の知らない私です。」という社会学者として最大級の讃辞をよせているのです。


   * 引用は、いずれも「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」(遙洋子・筑摩書房・2000)からである。


       筑摩書房サイト内「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」紹介ページ    
       遙洋子Wikipediaページ

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