コンピュータ将棋の歴史から語りおこす人間対コンピュータの記録

                      --- 松本博文「ルポ電王戦 人間vsコンピュータの真実」を読む(2014.6.29)

2013年と2014年、プロ棋士とコンピュータが真剣勝負を挑む電王戦5番勝負が開催された。
結果は、プロ棋士側から見て1勝3敗1分け、1勝4敗とコンピュータ側の勝利に終わった。
この本は、将棋ネット中継の草分け的存在である松本博文による観戦記である、 と思ったら大間違いだった。

プロローグに登場するのは、ponnanzaの開発者・山本一成だ。
ponnanzaは2年連続で世界コンピュータ将棋選手権5位以内に入り電王戦出場を決めると、
電王戦5番勝負では2年連続してプロ棋士相手に勝利を収めた優秀な将棋ソフトである。

開発者の山本は優秀なプログラマであるとともに、東大将棋部で松本の十数年後輩でもある。
大学将棋界にも人脈を持つ松本は、コンピュータソフトの進化について語るのと同じ情熱で、
その開発者の人となりや生き方を描き出すことに紙数を費やしている。

次に登場するのは、黄色く古びた一枚の紙だ。
1967年に日立製作所の大型コンピュータが世界で初めて詰将棋を解いた際の記録である。
左側に穴が開き、数字と英字が細かく列記された古い型のプリンタ用紙からは、
「将棋を覚えたての子供のように、ごく素朴な考え方で」「悪戦苦闘している様がわかる」という。

そんなところから出発したコンピュータソフトがプロ棋士を倒すまでの力をつけていく様子は、
次々と現れる新しい英雄が、それまで君臨していた英雄を倒していく列伝さながらだ。

松本は、こうしたコンピュータ側の歴史とともに、プロ棋士の歴史を語ることも忘れない。
江戸時代までさかのぼる名人の系譜に、13世名人関根金次郎による将棋界の近代化、
将棋史上最大の大勝負とされる坂田三吉対木村義雄の「南禅寺の決戦」にも触れられている。

目の前の一局の背景には、数年に及ぶ開発者の努力があり、50年近いコンピュータ将棋の歴史があり、
また、対局する棋士の側にも400年に及ぶ歴史がある。
そんなものを踏まえたうえで、松本は電王戦の舞台に向き合っている。

もちろん、ページの多くを占めるのは、2012年の故米長邦雄対ボンクラーズによる第1回電王戦(ボンクラーズ勝ち)をはじめ、
第2回、第3回の5番勝負での棋士とコンピュータによる真剣勝負の記録である。
しかし、観戦記につきものの盤面や棋譜は一切つけられていない。
将棋のルールを知らない読者にも理解できるような本にしたかったのだろう。
そのかわりに、指し手の意図や形勢の揺れ動き、それを見た対局者や関係者の反応などを、丁寧かつ臨床感あふれる言葉で伝えている。

このようなことは、なかなか簡単ではない。
将棋が強いだけの者では、将棋を知る者にしか伝わらない閉じた文章になりかねない。
将棋を知らない者が書けば、どんな名文であっても何か違うものを表現していたりする。

松本は、プロ棋士とプロと対等以上の力を見せたコンピュータの指し手の持つ意味を専門的な立場から見ても正確にくみ取るだけの棋力を持ちつつ、
それを意図を曲げないようにしながら噛み砕いて伝える文章力を持ち合わせている。
しかも、読んでいて楽しい。感動もある。
この仕事ができるのは、松本博文ならではなのだろう。

小さな名著だ。
 

     NHK出版サイト内「ルポ電王戦」紹介ページ
     Wikipedia将棋電王戦ページ

トップ       書評