ブラタモリ風の実用的な街歩きガイド本
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「重ね地図で読み解く京都1000年の歴史」を読む(2018.7.2)
以前から気になっていたことがある。
現在の京都の街並みが、鳴くよ鶯の平安京よりもずいぶん東にズレているらしいのだが、
実際のところ、どんな事情で変遷し、どうズレたか、まるで知らなかったのである。
この新書には、4枚の重ね合わせ地図が載せられている。
一枚目は、平安初期の四条通から北の上京と現在の地図が、二枚目は、戦国時代の四条通から南の下京と現在の地図が、
三枚目は、安土桃山時代の伏見桃山城下の伏見と現在の地図が、四枚目は、明治維新期の岡崎・白川あたりと現在の地図がそれぞれ重ねられている。
平安京の行く末については、
内裏はたびたび火災にあって摂関家の大邸宅に一時的に移ることが多く、鎌倉時代には、正式の内裏が再建されることもなくなった。
その少し前、白河上皇による院政の舞台は、平安京を東に外れた白川沿いにあり、
対して、平家の六波羅は同じ鴨川の東でも、本来、葬地だった五条から南を本拠にした。
足利義満が開いた「花の御所」も、平安京から北に外れた今出川通の北にあり、やはり平安京の外に、自分たちの新しい政治的な拠点を築いていた。
逆に、かつての平安京が崩壊した後に、平安京を再建したのが豊臣秀吉で、
秀吉が築いた土塁「お土居」は、平安京の東側2/3から北に伸ばしたエリアを囲み、
公家たちを現在の京都御所周辺に集め、かつての内裏跡に聚楽第を築いた。
それを継いだ徳川家康の二条城も、かつての大内裏をかすめる位置にある。
なるほど、こんな風に平安京の重心は、東へ北へとずれていったのか。
そんな風に地図を見ているだけでも私的には十分楽しかったのだが、本来の用途は、そうではなさそうだ。
平安・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治と、時代ごとにテーマを選び、テーマに沿った歴史的痕跡を地図を使って紹介する。
地図上では重なる場所があっても、異なるテーマならば同じ場所を紹介しない。
つまり、テーマごとに歴史に思いをはせながら、歩くための本なのだ。
ということで察しの良い人ならば、「ブラタモリ」を思い起こすだろう。
実際のところ、清水・祇園・白川・疎水・宇治・伏見など、ブラタモリで見聞きしたのと同じような記述も多い。
もともと史跡の紹介なので「バクった」などと事を荒立てるのも無粋だし、
むしろ、ブラタモリで世間が注目を始めた歴史散策の楽しみをテーマに、その京都版をコンパクトにまとめてくれた、 と言ってもよいのかもしれない。
そういう点では、実用性の強い一冊だ。
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