美術館が遠足するということ
―――「美術館の遠足 3/10」を観る(1999.12.12)
西宮市大谷記念美術館の「美術館の遠足 3/10」へ行ってきました。
美術館が「サウンドアーティスト」の藤本由紀夫と協力して、
美術館という場所を舞台に1日だけの展覧会を10年にわたって続けるというものです。
基本的には藤本がこれまで作成してきたサウンドオブジェを、美術館のいろんな場所に展示するという形をとっています。
たとえば、幅30cm高さ180cmほどの箱の中に斜めに板が貼られ (反響も考えているのだろう)、
数個のオルゴールが取り付けられているオブジェがあります。
オルゴールはあらかじめいくつかの音が出ないように細工してあり、
何らかの「音楽」を発したはずのオルゴールは、不規則にいくつかの音を発する単なる自動発音器に過ぎなくなっています。
3回目ともなると、もはやなじみとなっているこのサウンドオブジェが、今回は玄関ホールに10数個林立しています。
「自動」とはいうものの、観客がネジをまわさない限りこのオブジェはただのいくつかのネジのついた箱でしかありません。
しかし、観客たちが自由にそのネジを回す時、ホールは常にいくつかの音が響きつづける不思議な空間となります。
あるいは、展示台の上にパンチカード式のオルゴールといくつかの穴が空けられたトランプカードがセットになって置いてあります。
カードをオルゴールに差し込みハンドルを回すと、穴の数だけオルゴールがチリンチリンというような音をたてます。
よく見ると、ランダムに開けられているように見えた穴の数は、 トランプに描かれた数字と同じになっています。
Aのカードをセットして、チンという音を確かめる。10のカードをセットして、チンタタタタタ、チャラリンという音を楽しむ。
同じ数字のカードでも、穴が集中していれば音も集中し、穴が分散していれば、音も分散します。
そんな小さな発見を、自分でハンドルを 回しながら確かめるのです。
こんな作品もあります。
音がでないように細工されたネジ式のオルゴールのネジがひとにぎりの小石の山の中につっこんであります。
ネジが戻る時にまわりの小石が時おりコトリと音をたてます。
あるいは、同じようなオルゴールが水を張った水盤に置かれてあり、ネジは静かに水面をゆらします。
それらは、観客の側が参加しなければ成立しない作品といえます。
しかも、単に観客の側が参加しなければ楽しめない仕掛けというだけではなく、
観客の側で楽しみ方を見つけなければならないような、 ちょっとした空間のゆれのような作品なのです。
たとえば、美術館の庭で、いくつかの音がポツンポツンとオルゴールの音がします。
(いつまでも鳴っているところからすると、モーターを使っているようです。)
そこで音のありかを見つけようと耳をそばだてることで初めて、
実はさっきから手水鉢に水が落ちる音がしていたことに気づく、という楽しみ方。
たとえば、床一面が落ち葉で埋めつくされている部屋があって、歩くとガサガサと言う音をたてます。
その時、足の感触もなかなか心地よいし、何より部屋の中は踏みつけられた葉の香りがなかなか強烈です。
そんな部屋で、若い女性が放心状態で座り込んでいたり、葉の中に埋もれている男性さえいる。そんな彼らの作品への関わり方。
たとえば、椅子が置かれ、両側に直径20cmほどのパイプが左右5mほど伸びています。
椅子に座るとパイプを耳に当てることができ、風の音にまじって思わぬ遠くの音が聞こえてきます。
味わったことのない音の距離感をどう楽しむのか。あえて、音の万華鏡とまで言ってしまいましょうか。
たとえば、魚眼レンズが目の高さに設置しているだけと言う作品。
のぞきこんで、魚眼レンズを通して「見る」ということ自体を楽しんでみせること。
そんな作品たちが美術館のあちらこちらにまさしく転がっているのです。
倉庫に作品が隠れているのは当たり前、作品の効果を上げるためには展示ケースの中も歩かせるし、
響きのいい空間として可動パネルの収納庫が選ばれたりもします。
前回、トイレや学芸員室まで作品が並べてられていたこともあって、
「この中には作品はありません」という貼り紙まで、いくつかの倉庫には貼ってありました。
と書くと、「美術館の遠足」とは、観客が美術館の中で作品を捜し求めて遠足することと誤解されてしまいそうです。
しかし、あくまで遠足するのは「美術館」であり、窮屈な言い方をすれば「美術館という制度」なのです。
普通、美術館は、学芸員が一定のねらいを持って作品を選び、並べ、見せることによって成り立っています。
観客は動線に従って動きながら、学芸員のねらいどおりに鑑賞し/させられ、一つの美術展というものを楽しむこととなります。
むろん、特に記載のない限り、作品に触ったり写真撮影などは御法度です。
そんなかたくるしい美術館のワクを年に1回取り払って何か面白いことをやりましょうというところに、
この「遠足」の意味はあるのです。(と、私は解釈しています。)
と言っても、学芸員と作家との間で
「さまざまな提案と逆提案が飛びかうなかで、 少しずつ現実の「遠足」のかたちが生まれている」 (1)そうなので、
学芸員が何もしていないわけではありません。
そのあたりのさじ加減が、授業ではないが学校教育の一部である「遠足」という位置づけになるのかもしれません。
(そういえば、隣の「芦屋市立美術博物館」では毎年「美術館の夏休み」という企画をやってますが、
これも別に学芸員が「お休み」しているわけではありません。)
いずれにしても、ネジを回さないと「楽しめない」藤本の作品は、
そのありよう自体が「展示された作品をただ鑑賞する」という良識的な美術館の制度と対抗しています。
企画・運営する立場で言うと、好き放題さわらせる作品は、
破損はもとより観客に作品の意図を超えた予想外のことをされることを恐れます。
現に、今回でも、ネジをまかれたオルゴールを正しい位置に戻さなかったために、
ねらいから外れた形で展示されていた作品もありました。
ただ、そんなことも含めて、美術館と言う空間を利用していることに「遠足」らしさがあるわけです。
もっと本質的なところでいうと、この藤本の諸作品のねらいには、
音を発見すること、音にふさわしい空間を発見することがあります。
つまり、この企画には、作家が自分の作品にふさわしい空間として美術館のどこを発見したのか、というものがあるわけです。
いいかえれば、会場の西宮市大谷記念美術館は美術館としてあるのではなく、
藤本の作品を並べられる空間として、たまたま通常は美術館という機能をもった場所であったということでしかないのです。
しかし、皮肉なことに、この 3回目の試みはずいぶん多くの人に知られるようになってきています。
午後にもなるといかにも芸術系な学生であふれかえり、
携帯電話で「最後の30分でもいいから見にこんと」とアルバイト先にいるらしい友達に電話していたりします。
しかも、一部の作品には行列まででき始めます。
エレベーターの奥にある作品を鑑賞(体験)するために始まった行列が、そのままエレベーターの外まで続いていたりするのです。
2階ロビーでエレベーターが開きっぱなしになっていて、
乗るでもなく降りるでもなく続いている行列が静かに順番を待っているという風景は、何とも奇妙です。
せっかくの美術館という制度から離れた「エレベーターにまで作品がある」という試みだというのに、
(世界的名画を特別に借り出すことができた貴重な機会というような)
日本で最も権威的な美術展と同様の「鑑賞するための行列」で迎えられてしまっているのが、なんだかなぁ、と思ってしまうわけです。
「アートする行列」のおかしさとでもいいましょうか。
さて、来年はどうなることやら。
(1)
篠雅廣「美術館の遠足」(「美術館の遠足 3/10」カタログ・西宮市大谷記念美術館・1999)
そして 4/10---なごみたい人々の群れ(2000.7.21)
そして、「美術館の遠足 4/10」は2000年7月21日の午後3時から午後10時という時間帯に行われました。
諸事情で午後3時すぎから午後6時の間に会場にいたのですが、
まず客筋の問題として今年気がついたのは、子ども連れが多かったこと。
「夏休み初日に家族で楽しむ不思議な音世界」というイメージなのでしょうか。
昨年の「美術系学生と自称アーチストの卵の社交場」というイメージとは少し違います。
(「夜の部」はそんな感じになっているのかもしれません。)
顧問だか担任だかに連れてこられた高校生の一団もいました。
妙に客が一般化した親しみやすい展覧会というあり方は、
ひょっとすると「美術館」という制度とともに「現代美術」という制度をも打ち破っているかもしれません。
それでも、ときおり行列ができている作品があるのは前回と同じ。
めぐりあわせというべきなのか行列ができる作品が決まっていないというところもおもしろい。素直に並ぶ日本人は根がまじめです。
さて展示ですが、基本的には個々の作品が大きく変化するものではありません。
そんな中で気になったのが、今回会場のあちこちに設置されている眼の高さの魚眼レンズです。
もともと音の作家である藤本由紀夫が「のぞきこむ」という行為に注目しているのは、
それが「耳をそばだてる」という行為に近いからではないかと感じました。
つまり、ノイズの中からサウンドを発見するということが藤本の世界であるとするなら、
ただ「見えていた」だけの景色を魚眼レンズで「見つめ直す」という行為は、
視覚の次元で行われたサウンドの発見そのものであるからです。
まあ、それは「遠足」としては蛇足の部類。
一番「遠足」らしさを感じさせられたのは、真っ暗な展示室の中心にスポットライトを浴びた作品が展示されていた部屋でした。
作品は「角砂糖が詰められた回転する瓶」で、
ゆっくりとした回転にあわせてコトリと音をたてながら角砂糖がこすれていくので、「いずれは粉砂糖になるはず」という仕掛けです。
作者の藤本によれば「角が取れて丸くなると後はほとんど削れなくなっ て」 「21世紀中でも完結しないかも」(1)というものです。
別にその作品が「遠足」しているわけではなくて、
巨大な展示室の中で、その作品にあてられた一個のスポットライトの光以外はまったくの闇の世界となった壁面に、
はりつくようにすわりこむ人の姿が見えたことでした。
「見えた」といっても、闇の中でなにか物音がするので眼をこらしているところに、
たまたま部屋に入ってくる人がいて外の光が入った瞬間うっすら影だけがうつったという程度です。
両側の壁面に四、五人ずつはいたでしょうか。とにかく、展示室の隅でうずくまっている彼らの姿は、
その場所で強烈になごんでいるらしいことは感じさせてくれました。
「なぜこの場所で」という感覚の問題は置くとしても、
少なくとも「なごみたい」という強烈な意志がなければあの場所は発見できないと言ってよいでしょう。
「なごみ」や「いやし」が最近のキーワードの一つであるようですが、「なごみ」の要素を持ったものが評価されるというよりは、
とにかく「なごみたがっている」人々が「なごむことのできるもの」をなんとか発見しようとしているんじゃないか、
そんな印象をうけた盛夏の昼下がりでした。
(1)
藤本由紀夫・今野裕一対談での藤本の発言(「美術館の遠足 4/10」カタログ・西宮市大谷記念美術館・2000)
さらに 5/10 ---国際作家・藤本由紀夫と生野ばら (2001.11.23)
「香櫨園倶楽部」という会があります。
「美術館の遠足」を愛好する人たちの集まりであり、「美術館の遠足」の活動を後援することによって、
芸術文化の普及および向上を図るとともに会員相互の親睦を深めることを目的としており、要するに、この展覧会のファンクラブです。
11月23日の「美術館の遠足 5/10」 に先立って、この香櫨園倶楽部の例会が藤本由紀夫自身を講師に開かれました。
小津安二郎の映画が受ける理由が「近景・中景・遠景」を強調する人工的な構図であるからだという「小津3D論」がメインだったのですが、
講演内容をあやふやに要約するのはやめておきましょう。
むろん、そこでは「美術館の遠足 5/10」の予告がありました。
そこで、藤本が語っていたのは、実は10回の展覧会を3回ごとに区切って考えていて、
最初の3回で立ち上げ、次の3回で展開し、次の3回でまとめるということでした。
たとえば、メイン展示室はこれまで一度も「展示室」らしい使い方をしてこなかったが、
今回は会場の西宮市大谷記念美術館の学芸課長にまかせる部屋を作るのだということでした。
もはや、美術館で美術館らしく展示するという事自体が「遠足」になってしまうというくらい、
「美術館の遠足」の「遠足ぶり」は定着しつつあるということなのでしょ う。
もう一つの予告は、今回のゲストが嶽本野ばらだということでした。なんとなつかしい!
そういうと、「乙女のカリスマ」として売り出し中の野ばらを知る向きはいぶかるかもしれません。
しかし、十数年前から関西の小劇場やギャラリーに出入りしていた方ならば
「花形文化通信」というフリーペーパーを手にした経験があるはずで、
嶽本野ばらの人気コラム「それいぬ−正しい乙女になるために」も目にしていたことでしょう。
そもそも香櫨園倶楽部の会長の塚村真美は、この花形文化通信の編集長だった人であり、
藤本由紀夫も昔(野ばらが雑貨店の店長をしていたころ)から互いに文化の発信人・仕掛け人と して昔なじみであるようでした。
さて、そんな予告とともに、私の「美術館の遠足 5/10」は始まりました。
(という表現をついしてしまうほど、このイベントに対する参加者の意識は独特です。)
学芸課長の部屋は、すべての照明が落し気味の青に彩られていた「青い部屋」でした。(一瞬、「戸川昌子」という言葉が浮かびました。)
それは、「学芸員が企画展示することによって、いかにも美術館らしい展示となってしまう」などという杞憂など思いもよらないほど、
美しいながらも自分勝手な、あるいは個人的なこだわりを結晶させた空間になっておりました。
もとより、この展覧会は、観客が「見せられる」という意識など持とうとも思わない、
それぞれの個人的なこだわりで参加する場所になっています。
たとえ美術館の学芸課長がその特権で個人的な藤本由紀夫へのこだわりを明らかにする空間を制作しても、
観客の側もそのことに対して静かに平気で共存しています。
あるいは、それに対抗する自分自身の視線を返せるところまで、
5年目になる藤本由紀夫と観客との関係は成熟 したということも感じられました。
そして、嶽本野ばらです。
初めて実物を見た感じは、意外と背が低い、次に顔が小さい、そして、要するに全部小さいということでした。
決め手は特製の靴で、小さ目の紳士靴に木靴のような 「かさあげ」部分が接着してありました。
(友人に言わせると、「ヴィヴィアン・ウエストウッドのロッキンホース」ではないかということなのですが、よくわかりません。)
逆に、そのかさあげ部分を逆に見せつけることで、「オシャレ」という記号を取り戻しつつ、空中数cmを浮遊している感じでした。
口の悪い関西アート系少女たちは、あの木の部分から何が飛び出すのかについて無責任な憶測を言い合っていたのですが、
そのことをみても、あの靴は十分彼女らに受け容れられているようでした。
夕刻からの1時間ほどのイベントは、藤本由紀夫との対話でした。
ネタは野ばら氏が最近興味を持っているデュシャンについて。
デュシャンは決して既成の芸術を否定しようとしたのではなく、
まじめに芸術に取り組んだ末に「泉」に代表されるレディメイドに行き着いたのだというような話でした。
(上記の友人は、レディメイドの中に純粋の美を発見しようとする姿勢は、千利休の「見立て」 だと言います。)
藤本由紀夫も、デュシャンの芸術論に共感しており、
今回の展示にもデュシャン自らの(?)声で芸術論が語られる中で英文の原文を見せるという展示がありました。
思えば、デュシャンが小便器の中に「泉」を見出したように、
藤本由紀夫も嶽本野ばらも「音とその空間」や「乙女」というものに独特の美を発見し、増幅している人々です。
彼らのアートセンスというかスタイルがデュシャンという形に焦点化されるのも納得できる気がしました。
藤本由紀夫の「まとめ」は、今後、嶽本野ばらは大ブレークする予定だから、
今日の機会に握手するなり、写真を撮るなり、サインをもらうなりしておくほうがよいだろう、とのことでした。
そして、その言葉が呼び水になったのか、それまで嶽本野ばらが展示室に姿を見せても遠巻きに眺める感じであったアート系の女性たちも
安心してまとわりつき、握手やら写真やらサインやらを もとめていたのでした。
それにしても、みんな「心から少女趣味を認めてくれる人」のことが本当に好きなようです。
今回に限ったことではないのですが、いわゆるロリータ系ファッションの女性を見ることができるのも、
年に一度、この会場でだけだったりします。 (私がふだん非アート的な空間にいるからかもしれませんが。)
そして、そんな他人のブレーク予想をしている場合ではないほど、藤本由紀夫の身辺もこの一年間に大きな変化がありました。
最大のものは、2001年のベネチア・ビエンナーレの日本代表作家3名のうちの1名に選ばれたことでしょう。
それを受けてなのか、同時にいろいろな人が注目をしたからなのかわかりませんが、
さらにドイツとイギリスのグループ展にも招待出品をしています。
ベネチア・ビエンナーレへの出品が、直ちに「国際作家の仲間入り」と手拍子で言ってしまえるのかどうかはよくわかりません。
しかし、藤本由紀夫のような音で訴えかけるような作家はどちらかというと美術の世界では傍流なのではないかと思っていたのですが、
その際だった個性がむしろ最も新しいものとして美術の本流に迎え入れられたということは言っても良いように思います。
この「美術館の遠足」自身も、美術館のワークショップをきっかけに始めたアーチストと美術館の遊び心の試みが、
いつのまにか関西アートファンの社交場になっていました。
そして、まだ残されている5年の長さを思うと、藤本由紀夫と「美術館の遠足」がどんなところまでいってしまうのだろうかなどと、
改めて感慨にひたってしまったのでした。
ついに 6/10 ----学芸員あるいはプロデューサーとしての藤本由紀夫(2002.6.22)
毎回ユニークなゲストが登場する「美術館の遠足」ですが、今回は藤本由紀夫自身による1時間レクチャー4本立て。
テーマは、藤本が新しく気になった順に「モネ」、「小津安二郎」、「村上三郎」(1)、
「キルヒャー」(2)の4人。
小津については上にも書いたとおりで、これまで「香櫨園倶楽部」の例会で話していたことを改めて整理したもののようでした。
モネについての興味も、小津と同じく「立体視」にかかわるもので、
なぜモネは睡蓮という同じ題材を退屈もせず描き続けていたのかというところから出発し、
ある角度から絵を見たときに思いのほか立体感が感じられるようにできていることを発見した、といいます。
立った目線で描かれた作品は見下ろすように見る。すわった目線で描かれた作品はまっすぐに見る。そうすることによって、
近景・中景・遠景が強調され、垂直の平面に描かれたはずの画面に水平の奥行きが出現するのだというわけです。
このことを実践したのが前年の末から大山崎山荘美術館で開催された
「空間のコンポジション 〜クレー、カンディンスキーそしてモネ〜」展でした。
もともとは、それぞれの作家の作品と藤本由紀夫の音のコラポレーションという展覧会のはずが、
藤本の申し出によって絵画作品の展示についても藤本にまかされ、
ある作品は高く、ある作品は足元に、と思う存分モネの「立体視」を感じさせる高さに展示することができた、とのことでした。
その経験に味をしめたのか、藤本は今回の「美術館の遠足」でもちょっとした試みをしました。
美術館のある阪神間は、北に六甲山系、南に大阪湾という海と山に挟まれています。
そこで南北に壁面のある常設展示室に、美術館が所蔵する山をテーマにした作品、海をテーマにした作品を並べ、
それぞれ山の稜線の端や水平線をそろえるように展示したのです。
日本・西洋の近代絵画をはじめ、水墨による山水画などジャンルを問わない絵画作品が、
海または山が描かれているという共通点によって並べられました。
海の作品の中には、津高和一の抽象作品もこっそり混ぜられています。
作品ごとに表情がずいぶん変わる山の作品もさることながら、
10数メートルにわたってまっすぐに連なる水平線には力強いものがありました。
さて、この「作品の中心を眼の高さにそろえる」という展示の常識を打ち破った藤本由紀夫の仕事をどう評価するべきなのでしょうか。
他の作家の作品を題材にした「アーチストによるインスタレーション」なのか、「ユニークな学芸員による新しい展示方法の展覧会」なのか。
それまでも、藤本はさまざまなインスタレーション(空間作り)を試みてきました。
音を取り扱う藤本の作品は、もともと空間をどう取り扱うのかということとは不可分だったといえるでしょう。
そして、「美術館の遠足」という美術館の空間全体を藤本が演出しつづけることによって、
ますます美術的な空間を演出するという技量に磨きがかかっていると言ってよいのかもしれません。
また、「美術館の遠足」の演出ということでは、「村上三郎」のレクチャーでも改めて気づかされたことがありました。
離れの和室の床の間には、いつも村上三郎の「投球絵画」の掛け軸がかけてあるのですが、
この作品が実は「美術館の遠足」のためだけに村上三郎夫人にお願いして、借り出していたものだったのです。
10回の展覧会の中で変化する部分とまったく変わらない部分を両方持つべきだと考えて、
変わらないものの代表としてこの作品を選んだといいます。
ふだん美術館を訪れても行かない場所に展示された作品だけに、
毎回同じ場所に同じ作品がかかっていることに、なんの違和感も感じずにおりました。
他にも、10年間の「美術館の遠足」を前期・中期・後期の3回ずつにわけて最後はフィナーレとするとか、
前期は展示室を展示室として使わないことにこだわり、
中期の3回は展示室をいかに使うかにこだわったというような構想を聞かされると、
やはり、この10年間のプロジェクトというか展覧会は、全体で一つの大きな藤本由紀夫の作品であるのだということを強く感じさせます。
(むろん、美術館の全面的協力はあるにせよ。)
そして、このような「展覧会を美術的空間として演出すること」という学芸員のあたりまえの仕事を
「自分のアート」として提示してみることも含めて、
藤本由紀夫はここ数年、ずいぶん仕事の幅を広げてきたようです。
それは、もはや50代になる藤本には似つかわしくないかもしれませんが、
「美術館の遠足」の10年が藤本由紀夫という作家の成長の10年になるのかもしれないと思ってしまいました。
しかも、その藤本の「成長」というものが単に藤本だけの問題ではなくて、
現代美術のあり方に対する問題提起の10年になりえるというか、もうすでになってしまってるんじゃないかということを、
本人の種明かし話を聞きながら考えさせられたのでした。
(1) 村上三郎は、「紙破り」のパフォーマンスで知られた具体の中心メンバーの一人。
レクチャーは、藤本由紀夫が編集することになった村上三郎の「紙破り」パフォーマンスについてのビデオ(夫人が撮り続けていた)が中心。
この「入口」というパフォーマンスが、「イベント」として語られたことはあっても、「作品」として語られたことはなかった、
という村上三郎生前のインタビューから始まる。
確かに、あの強烈な音とともに突然観客の前に出現する村上の姿は、驚きやこっけいさという文脈で理解されるのもわかる。
しかし、計算された紙の強さと枚数、観客に見える側に塗られた金の絵の具によるマチエール作りという制作工程を見ると、
一つの絵画作品として考えていいのではないか、と藤本は言う。そして、その完成のために「紙を破る」という行為があったのだ、と。
なにより、思いのほかの紙の張力の強さは、強い身体の感覚を意識させる。
村上三郎自身が、このパフォーマンスをデュシャンの「階段を降りる裸体」を受け継ぐものとして位置づけているということに、藤本は注目する。
「階段を降りる」という行為の連続写真を画面上に残そうとしたデュシャンの試みに対して、肉体による時間の経過を空間に残すという意味では、
村上はその正当な後継者であるというわけである。
そんな村上の「作品」は、ポンピドーセンターの一点を除いて全て解体されている。ビデオで残せたことがせめてもの幸運であったと藤本は語る。
ちなみに、この「紙破り」の原点が「仕事場に入ろうと子どもがふすまを突き破ったこと」だということなので、
であるならば、村上三郎の実子でまんが評論家の村上知彦も子ども時代に美術史的な「大きな仕事」をしていたというべきなんだろう。
(2)
「キルヒャー」は17世紀のイエズス会の重鎮にして、そうなればこその「トンでも学者」。全ての結論が「神の絶対性」と決まっていることと、
理論で夢を語るわりに実証が弱く、学問的には評価をされていないらしい。当時の学者の基本的教養として音楽についても
さまざまな「トンでも学術書」を書いており、そのアイデアのいくつかが藤本のネタ元にもなっているという。
そもそも、渋沢龍彦が「キルヒャーはいろんな不思議な装置を作ってきた」という言葉から、藤本は「作品として不思議な装置を作ること」を意識したと
いう。
ちなみに、この「装置」の英語訳は「インスタレーション」で、美術の世界がインスタレーションという言葉を使う前に、
藤本は「装置」という意味での「インスタレーション」に活路を見出そうとしていたともいっている。
やがて 7/10 ――店じまいの始まり(2003.4.30)
今回の「美術館の遠足7/10」は、「6/10」でも書いた区分で言うと「後半の始まり」になります。
そこで原点にかえったということでしょうか、他の展覧会の会期中の休館日に
(つまり、展示室は本来の展覧会の作品があるため締め切られたままの状態で)
通路やら倉庫やらとにかく展示室ではない場所に作品が並べられました。
受付ですっと渡された一枚の紙が実は曲者で、後で見ればいいさと館の中ほどまで行くと壁がありました。
透明な板にいくつものオルゴールが仕込んである作品が、館の増設部分の継ぎ目をふさいでし
まっているのです。
藤本版「入口」という感じもありましたが、改めて先ほど渡された紙を見ると館内の案内図になっており、
どこにあるのかわからないような裏口や通路・階段を通らないと、
あちこちふさがれている館内のすべてのスペースを周りきれないようになっていたのでした。
いつもなら簡単にいける隣の部屋がいったん外へ出ないとたどり着けなくなっているという仕掛けは、
「まだ、こんなやり方があったのか」という新鮮さを付け加えてくれました。
そんな中で、いかにも「遠足」らしかった出来事は、
小さな倉庫の中にたくさんのオルゴールが無造作に台の上におかれていた空間でした。
私とまったく見知らぬ若い女性は、その部屋に入るなりおもむろに同じことを始めました。
とにかくオルゴールのねじを巻き始めると、巻ききったものとそうでないものとを分け、
全部のオルゴールを巻ききってそこで沸き起こる音を体験しようとしたのです。
そこで出現
した音はウワーンとした中にピチンピチンとはじける音がしてとりわけ美しいというほどではなかったけれど
(後から入ってきた人もネジを巻きたがるし)、
こうなっているからにはこうしなきゃならないだろうと阿吽の呼吸でネジを巻き続けて巻ききった音を聞けたことに変な満足感がありました。
また、今回の一番の収穫は、今回の記念グッズである「memo to work」と題された一冊の本でした。
B6版一色刷りとはいえ150ページもあり、巻頭に他館の学芸員によるコメント(と、その英訳)があるなど堂々とした図録の体裁です。
その後は、30点ほどの藤本の作品についてスケッチブックをそのままやぶったような構想メモ、作品写真に藤本自身の解説文がつきます。
<この作品はこんなところから発想/発見した。ここはうまくいったが、ここはうまくいかなかった。
こんなところが思いもよらぬ効果をもたらした。>
そんな作者でなければ書けないような裏話が短いエッセイにまとめられています。
最後に年譜までついて500円というのは、ファンにとってはなんとも嬉しい一冊です。
普通の美術作品ならば、可能な限り作品の色と形を再現した大きな画面が要求されるでしょう。
しかし、藤本の作品は図版によって再現できるわけではありません。
音であれ空間であれ、体験しなければわからない藤本の作品の手ざわりを再現するには、
製作するまでに至る藤本の思いを記した文章や設計図のような「memo」の方が適していると言えるでしょう。
もともとコンセプチュアル(考え落ち的)な傾向が強いせいか、レクチャーなどでは気安く自作について語っていた藤本ですが、
これだけまとまった自作にコメントをつけてしまうと、むしろ種明かしをしてくれたという感じさえします。
それは、一人のアーチストが「美術館という空間をどう見せるか」ということだけではなく、
そこで作品を展示する「藤本由紀夫とはどのようなアーチストだったのか」を検証する方向へ向かい始めたということなのでしょうか。
そろそろ、この10年間がかりのこの展覧会がどこに行き着くことになるのかが、だんだんと気になる段階になってきたように思います。
されど 8/10―あえて展示室に並べる(2004.10.2)
「さて今回の特色は」と思いつつ歩き回っていて、「特段、驚かせるものがないな」といぶかしがっていて気づいたのは、
作品が展示室に普通に展示してあるという事実でした。
例の3個のオルゴールをつけられた箱は、展示室の中央に10数個が内向きの輪になるように並べられ、一つの空間を作っていました。
両側にはちゃんと壁面が作られていて、壁面の向こう側には、展示台に載せられた小品がならべられています。
一つの展示室が三つの小さなギャラリーになったような印象です。
2階の大きな展示室は二つに区切られ、ベネチアビエンナーレにも出品されたのと同じシリーズの作品がありました。
モーターで回しつづけるビンの中に角砂糖を入れてあるシリーズには、ガラスビンではなく
金属製の容器が使われていました。
回転とともに角砂糖が発する「コト、カタリ」という音を聞かせたいのであれば、角砂糖が「見えている」ことは必要ないというわけです。
(1)
隣は、キーボード4台を天井からつるされ、ヒモで押さえられたキーの音が鳴り続けることで、
ウォーンという響きに充たされている音のインスタレーションです。
今までは庭に設置され虫の声のように鳴らされていましたが、きちんと展示室内に設置されたのは今回が初めてです。(2)
和室には、2m平方ほどの大きさの透明なアクリル板の表裏に、たくさんのオルゴールがつけられた
作品がありました。
前回、観客の行く手を阻んだあの作品です。今回は、部屋の中央に吊り下げられていたので、
巻きさえすれば全てのオルゴールを一度に鳴らせることができます。試みにやってみると、部屋全体が良い感じで響いてくれました。
(3)
そこまで見て歩いて、作品が「展示室にある」どころか「展示室以外のところにほとんどない」ということに気づきました。
これは、当たり前のように見えて「美術館の遠足」としてはかなり異例のことです。
もちろん、遊びの部屋はあります。
毎年解体されていく和室の蔵には、つないだ樋(とい)にメガホンがつけられた伝声管がありま
した。
「聞こえますかあ」と呼びかけると「聞こえまあす」と返ってきます。「そこはどこですかあ」と尋ねると「庭です」とのこと。
かすかに庭に置かれたキーボードの音が聞こえます。
あわてて、庭に出ると、蔵の底から池を
通って
庭の木に伝声管のもう一つの口は
ありました。
今回の枯れ葉の部屋は、彫刻台の置かれた倉庫でした。
本来は敷き詰められた枯れ葉の上を歩くときの音による作品と言うことですが、強烈な香りが近くを通る者に強く訴えかけてきます。
様々な大きさの彫刻台は、枯葉が乗せられたり、ひっくり返されて中に枯葉が詰められたりし
て、 けっこういい遊び道具になっています。
とはいうものの、全体としては展示室に作品が展示されるという美術館の文法がきちんと踏襲されており、
もし西宮市大谷記念美術館が「藤本由紀夫展」をやったならば、きっと こんな感じになるんじゃないかという展示になっていました。
(4)
あるいは、それだけきちんと展示室を音のある空間に仕上げているとも言えるでしょうか。
そして、来館者の方は見慣れた作品を前に、自分なりの楽しみ方をわかった上で、それぞれ勝手に楽しんでいるという様相です。
回転する角砂糖のビンの前で、胡坐をかいて瞑想する若い女性がいます。キーボードの部屋では男性が放心状態のまま動きません。
髪に枯れ葉をつけて歩いている若い兄ちゃんがいても誰も驚かないし、
幼い姉弟はひっくり返した彫刻台に枯れ葉をギュウギュウ詰め続けています。
しゃがみこんで周りの枯れ葉を集めるメガネっ娘は、「巣作り」にはげんでいるように見えます。
(5)
それでいいのでしょう。年に一度、西宮市大谷記念美術館で藤本由紀夫の作品と出会えることが当たり前になっていて、
当たり前のようにやってきて、当たり前のように楽しみ、当たり前のように去っていく。
いつのまにか、そんな習慣を身につけてしまった人たちが、少なからずいるのです。
されど、8/10。この祭りも、あと2回です。
(1)
実は、角砂糖を「見せない」ことによって「見えてしまった」金属瓶とフタの接着部分の細工が気になってしまったのだが。
(2)
藤本自身は、この二つの作品を比較して、最初はキーボードの響きが強いように聞こえるが、やがて角砂糖の生の音の迫力が勝るようになってくる、
という。こうした生の音の力に気づいたことが、電子音楽からオルゴールに転換したきっかけだともいう。
(3)
妙に勢いのある「ブンブンブン」の曲を聞いていると、大量のオルゴールが窓に張り付いたハチのように見えてきたのだった。
(4) 今回のゲストは「ホール・オブ・ホールズ六甲」というオルゴール館の手
回しオルゴールとストリート・オルガン。
館外に持ち出すだけあって新しい機械だが、往年のものと同じシステムを使っていおり小さ
な
パイプオルガンという音色で楽しませてくれる。
ただ、貴重なオルゴールを借り出したのだろうが、展覧会全体が標準的な仕様だったせいか、普通のミュージアム・コンサートに見えてしまったキライはあ
る。
(5)だが、枯れ葉で雪合戦まがいのことに興じていた白髪まじりのオジサンには・・・
そんな 9/10 ―信頼されている鑑賞者たち(2005.12.23)
今回の「遠足」直前の「香枦園倶楽部」の例会の最後に、藤本由紀夫は「今回は普通にやります」と語っていました。
理由の一つは、1/10の「遠足」に来たきり7年ぶりに8/10に来た藤本の知人が、
目を丸くしながら「あの展覧会が、こんな風になってしまうのですねえ」と感動していたこと。
もう一つは、奈良のとある祭りが平安のころから毎年続いていて、
ごくごく普通に「第八百何十何回**祭りを始めます」とアナウンスが流れて、
居合わせた藤本由紀夫はその当たり前ぶりにすごみを感じたこと。
つまり、一年ごとで比べるならばそれほど変わっていない気がする「遠足」でも、初回と比べるならばずいぶん変化しているし、
無理に何か特別なことをしなくても、ただ続けていくことだけでも十分訴えかけるものがあるものなのだと感じたということでした。
阪神間の12月としては大変珍しく積もった雪とともに行われた「遠足」9/10
は、確かに「普通」でした。
前回、展示室に普通に展示してあることに、つい感動してしまった手前もあるのかもしれません。
展示室も倉庫も荷捌き場も地下室も、と思い切り展示したことで最大の展示面積になったということでしたが、
直前の企画展の内装をそのまま活用した展示室(1)に
しっかりと作品を展示することで、
結果的に「普通の展覧会」度も高まってしまうのでした。(2)
などと言ってしまうのも単に目が慣れているだけで、初めて参加した人にとってはずいぶん不思議な空間だったのかもしれません。
あるいは、普通に「参加」という言葉を使ってしまうこと自体が、実はずいぶん不思議なことであるともいえましょう。
メインテーマは、「HERE-THERE」。チラシの方もトレーシングペーパー製で、
表に「HERE」、裏に「T」と印刷されていて、「HERE」をすかしてみれば「THERE」となるという仕掛けになっています。(3)
「HERE」には「ここ」にあるけど、「むこう」を意識すると「THERE」となるという藤本好みの言葉遊びです。(4)
それは、藤本が今まで興味を持ってきた「立体視」や「近景−遠景」にも通じます。
この日は、美術館のアトリエで入り口に予定表を貼ってあるだけの「シークレットレクチャー」(?)があって、
そのテーマの一つが「HERE-THERE」でした。藤本は、そこに「聴覚」と「視覚」を重ね合わせていきます。
まずは、ある体験から。
ホテルの部屋から外の風景を撮った映像が流れます。何かもの足りないのは無音のせいです。
そこで窓を開けると、良い雰囲気でザーっと波の音がします。と思ったのは実は空調の室外機の音で、
その場所は美しい海の光景が見えるけれど、波の音がするような場所ではなかったのでした。
そして、今度は同じ風景にシャレたBGMがはいる映像があって、妙に居心地のよい映像に仕上がったそのBGMの音源は、
実は藤本が部屋の有線放送のスイッチを入れたにすぎないのでした。
このことから、遠くまで見つめることができる視覚は「THERE」であり、
否応なく身近にあるものを拾い出す聴覚は「HERE」であるという真理に藤本は思い至ります。
同時に、視覚によって伝えられているはずのものが、聴覚によってずいぶん印象が変化するものであることも指摘します。
続いて、生音が録音された映像と「心地よいBGM」のついた映像をいくつか比較することで、
生音であれば伝わっていたはずのものを「心地よいBGM」が覆い隠してしまうことを明らかにします。
もちろん、音の作家・藤本由紀夫は、音の大小やその聴き心地の良さとは無関係に、
生音の方が実は力強いではないか、と説きます。(5)
最後に、イラク戦争のCNNの映像に、わざとイマジンを重ねたり、激しいビートの音楽を重ねたものが流れました。
やはりイマジンが流れると反戦的な気分になるし、軽快なロックではついアメリカ軍を応援したくなったりするものです。
(その映像が写されている現実の場面では人が亡くなっているというのに。)
9.11事件のあとアメリカはイマジンを放送禁止にしたそうで、それほどまでに音楽というのはまだ力を持っていることを実感したという、
けっこう真面目な話で締めくくられました。(6)
その後、余談として、「美術館の遠足」のような企画が成立するのは「西宮ならでは」ではないか、という話がありました。
くわしい理由は話してくれませんでしたが、もっと田舎では受け入れられずに閑散とするであろう、
もっと都会では悪意の来館者のせいで混乱してしまうであろう、現代美術にも寛容な文化風土を持ち、
質の良い客がほどよく集まってくれるのがこの西宮市大谷記念美術館であるということのようでした。
確かに、さわり放題の作品が盗られも壊れもせず、うっかり置き方が変えられても誰かが元に戻してくれる、そんな良いお客ばかりです。
ただし、観客の多くは関西一円の美術ファンですから、必ずしも「西宮」であることとは無関係なのですが、
ふだん現代美術など見に来ないであろう親子連れが当たり前に楽しんでいる光景が、やはり西宮ならではなのかもしれません。
実は、9回の「遠足」の歴史の中で、積極的に広報することで観客が増えすぎてしまい、会場が混乱しかけたことがあったそうで、
その後は、意図的に広報を控え、愛好者の間で口コミで広がることだけを心がけている、とのこと。
「遠足」の楽しみ方を心得た良き鑑賞者が、新しい心得た鑑賞者を連れてくることで「遠足」の現在があるのだ、というのです。
「そんなわけで、」と最後に藤本は言いました。
やりたい放題やっているように見えて、今までずいぶん観客に楽しんでもらえるように気を使ってきたんですよ、と。
そして、「最後は、自分だけのためにやります。」と宣言しました。
いくぶんかのリップサービスも含めて、観客があっけにとられるような藤本自身のための「遠足」というものが、
実際のところいったいどんなものなのか、これはやはり楽しみにして待つしかないな、
と典型的な良い鑑賞者になって「遠足」のフィナーレを待つことに決めたのでした。
(1) 直前の「今竹七郎展」で使われた赤い壁面は、藤本の手でたくさんのオルゴールが仕込まれた上で、表面の赤色の紙をはがし、
ちょっとした現代美術の風情になっていた。
が、午後になると、めくりかけの赤がさんざんはがされ、念のために書かれていた藤本のサインも、
原型をとどめなくなってしまったのだった。
(2) 今回のゲストは、食事。藤本のアトリエの近く店からの出張である。昼は野菜の味噌田楽、夜はパエリア。
味噌田楽だけ食べたのだが、かなり上品な味で旨かったのだがそれだけを昼食にするには量が足りなかった。
もちろん、「ゲスト」として捉えるならば、「量」を問題にするのは無粋だし、間違っている。
(3) 香枦園倶楽部の例会の「おみやげ」の一つが、「HERE-THERE」をテーマにした藤本の個展のダイレクトメールだった。
ハガキの前面に「HERE」の文字がプレスされ、浮かび上がっている。 その左側に「T」の文字が逆にプレスされ、掘り込まれている。
浮かび上がる文字を見れば「HERE」であるし、掘り込まれた「T」も含めれば「THERE」になる。
玄人筋の間では、これをどうやって作ったのか(1度刷りか2度刷りかなどと)話題になったらしい。藤本本人は、画廊任せなのでと言う立場。
(4) 同じような藤本好みの言葉遊びに、「REFLECTION-REFRACTION=REAL」がある。これは数式であり、
引き算で両者に共通するものを除けば「REAL」が残る、とのこと。日本語訳すれば「反射-屈折=真理」となる。
「真理は反射と屈折の間にある」と言うわけだ。
(5) そして、いくぶんかの諦念をこめつつ、車に乗ってカーステレオを聞きながら見る風景は、「心地よいBGM」をとおしたものだし、
ある意味、私たちの身近な風景の姿であると言う。
(6) 藤本はゴダールの「ヒア&ゼア こことよそ」も取り上げる。編集するゴダールがいる「ここ」と撮影されたパレスチナという「そこ」の乖離ととも
に、
視覚と聴覚の乖離をテーマにしている。ゴダールは、現実を写し取る映像を「ここ」と捉え、それを意図的に飾る音を「よそ」と捉えていたらしい。
いつか 10/10―美術館を鑑賞させるという謝辞(2006.5.27)
10年目にして最終回の「美術館の遠足」です。
土曜日にもかかわらず午後4時から午後9時までという比較的短時間ということもあって、
完全滞在をしなければと午後4時をめざして美術館に向かいました。
ところが、美術館の前で知人にいきなり「遅かった」と声をかけられました。
実は、今回は来場者自身が音が出る発信機を持った「作品」になるという趣向だったのですが、
玄関で配られていた100個ほどの発信機がちょうど出払ってしまったというのです。
まだ、開館から5分しかたっていないというのに。(1)
確かに、玄関には発信機がぶら下げてあったらしい痕跡と、
「美術館の様々な場所での音の響き、出会う人との音のミックスをご体験ください」というあいさつ文が残されておりました。
中に入ると、あちこちに
発信機を首からぶら下げた人たちでいっぱい。
横を通るだけでは音が鳴っているというほどではありませんが、
ふと気がつくと、どこからともなく「ピー」という音が聞こえてくるような感じではありました。
そして、玄関のあいさつ文にも「展示作品を最小にいたしました」とあったのですが、
仰せの通り、本当に作品はほんの少ししかありませんでした。
既成の藤本作品はせいぜい10点程度(2)
に、「床のカーペットの下に幾層にもエアマットを敷いた部屋」とか
「ある部屋の天井からマイクが
吊るされ、そこで拾った音が隣の部屋のスピーカーから聞こえる」というインスタレーション的なものが
数点があるのみでした。
あいさつ文には、それに続いて、
「最後の「美術館の遠足」、西宮市大谷記念美術館の空間の隅々まで、ゆったりとお過ごしください。」とありました。
美術館そのものを鑑賞させることが「美術館の遠足」のフィナーレであり、
会場を提供してくれた上に相当な無茶を許してくれた西宮市大谷記念美術館に対する藤本の謝辞であるようにも感じました。
そう思って見ていると、単に展示されている作品が少ないというだけではありませんでした。
倉庫、荷解き場、通路、非常階段と
いうような美術館の裏方の場所に続く扉が、
作品が置かれていないにもかかわらず開放されていて、出入りは自由になっていました。(3)
それは、それまでの「遠足」で美術館のそこここに作品を「発見」した体験があるものにとっては、懐かしいような新鮮さがありました。
つまり、とんでもないところにまで作品があることにいつのまにか慣れてしまっている身には、
そこに作品がないということが「発見」だったのです。
厳密には、何もない空間ではありませんでした。
これまでの「遠足」では庭に置かれていたキーボードが、
今回は各展示室をはじめとして、倉庫の天井裏や階段の物陰といった場所に隠されておりました。
その意味では、キーボードの和音が静かに流れ続けているという点で、そこには藤本作品が存在しておりました。
何もないように見えるが、どこからか音がしている。
それが天井のようでもあり、足元のようでもある。あるいは、横を行き過ぎる人のようでもある。
いわゆる「作品」らしきものが存在していないにもかかわらず、そうしたかすかな音のつながりが空間と空間をつなげ、
いつのまにか美術館全体が一つの作品であるという気分にしてくれました。
とはいうものの、作品の少なさは思わぬ効果を生み出しました。観客たちが時間をもてあましてしまったのです。
最後の「美術館の遠足」ということもあってか、みんな帰るに帰れない気分になっているようでした。
和室は何かの待合であるかのように談話する人たちであふれ、
過去の藤本が参加した作品の図録を並べた講堂も所在なげにページを繰る人が群れをなしていました。
ひょっとすると、こんな状態が藤本のねらいどおりだったのかもしれません。
本来の展覧会の鑑賞者としてなすべきことのない観客たちは、自分勝手に美術館という場所で遊び始めました。(4)
何もない展示室のガラスケースの中を歩かせるという試みは、
いつのまにか観客たちがポーズをとる「見る/見られる場所」となってしまいました。
アトリエのホワイトボードは落書きスペースに変わり、その器用に棲み分けをしながらの密集ぶり
は見事なものとなりました。
そして、ふすまを外し荷物が取り払われた和室の押入れはいつのまにか人が入り込み、
2階建ての引きこもりスペースとして多くの観客の羊水願望を
充たしてくれたのでした。
一方、そんなこととはおかまいなしに、今年も庭の池には「ECHO」があり、和室には村上三郎の「投球絵画」がありました。
それらは、ふだんは西宮市大谷記念美術館には存在しないのに、「美術館の遠足」では、10年間常にそこにあり続けている作品です。
「美術館の遠足」ではそこにあることが当たり前になっていただけに、これが最後かと思うと、急に感傷的になってしまいました。
「今回の<遠足>」にこだわっている限り気にもとめなかったで
あろうことが、やはり「最後の<遠足>」だと気になるものなのです。
結局、公式のイベントは何もおこらないまま、一人一人が勝手に盛り上がるような冷たい興奮の中で「美術館の遠足」は終わりました。
藤本はといえば、サインを求めるファンの列をさばきつつ(5)、結局、市の広報の人のインタビューを受けながら午後9時をむかえました。
ひょっとしたら、こんな感じで終わってしまうんじゃないかとか、それはそれで「遠足」らしいとも思っていたのですが、
本当に本当に何もなく終わってしまったことに、しみじみと祭りの終わりを感じたのでした。
ある意味、そういう沈静のための最終回であったのかもしれません。
はたして、この10年間の「美術館の遠足」が何であったのか。
それは、藤本由紀夫なり、西宮市大谷記念美術館なりの10年間振り返ることで、それなりに検証ができることなのでしょうが、
反対に「美術館の遠足」を楽しんだ私たちの10年間を検証することで、
私たちなりの「美術館の遠足」の持っていた意味を検証していくべきなのかもしれません。
来年は、「美術館の遠足」ではなく西宮市大谷記念美術館の企画展として「藤本由紀夫展」が開催されるようです。
そのときに、はたして感動するのか、がっかりするのか、
少なくとも「美術館の遠足」ではない藤本由紀夫展をとおして、改めて私たちにとっての「美術館の遠足」を考える機会となるのかもしれません。
(1) 実は、午後6時を過ぎていったん帰りかけたときに、戻された発信機を発見。改めて全館を周遊することとなった。
周囲の人はわからないが、発信機を付けた本人には常時自分の音(ストラップの色で数種類あったらしい)が聞こえていた。
当然、響いていたキーボードの和音は、自分の音と重なることで新しいハーモニーを生んでくれた。
(2) いわゆる「作品」が展示されていたのは、1階大展示室に「REFRACTION
REFLECTION」「タイプライター即興音楽の楽譜」ほか3点、
2階大展示室に「ブンブンブンの壁」1点、2階中展示室に「回転する角砂糖」1点、2階荷解き場の展示ケースの中に数点、
1階荷解き場横の小部屋にオルゴール1点、蔵の2階に「ECHO」1点、庭の池に「ECHO」1点、地下室に「オルゴールの箱」の列1点。
蔵の2階は、床を切り取ってしまった穴の中に「ECHO」が仕込まれていた。危ないので中が透けている針金で編んだ椅子でガードしていたが、
その椅子越しに中を覗き込まないとそこに作品があることがわからなかったため、椅子に座ってだけで帰ってしまった人も多そうだ。
(実は、私も最初はその1人だったが、発信機を手にして再度回ったときに前にいた人がざわざわしていたおかげで
、そこに作品が隠されていることにようやく気づいたのだった。)
(3) それだけではない。講堂や和室から庭に続く窓なども、すべて開放されていた。縁側から庭に出る感覚は、かつてここを住居にしていた
大谷家の生活を意識させてくれるし、講堂から庭へ出る開放感は素直に心地よい。庭に転がっている元永定正のオブジェは、
完全に環境造形の一つとして、子どもたちのおもちゃになっていた。こうした家(美術館)と庭とがいけいけになって心地よいという空間を作りだしたのは、
暑くもなく寒くもない、虫も入ってこない5月末とい日程がもたらしたものである。
(4) 遊びというよりも行列のもたらした悲喜劇に近いものであるが、1階荷解き場にはいつのまにか行列が出来ていた。
行き先は、2階へ続く階段下のスペースである。時間があるので一応並んでみたが(行列が伸びる要因である)、
案の定、キーボードがこっそり和音を響かせていただけだった。
(5) サイン会があったというのではない。藤本は夕刻からロビーに現れ、話しかける人に丁寧に応対しつつサインに応じたりしているうちに、
列はいつまでも終わらなくなり、いつのまにか藤本の横には水が置かれていた。
「休憩時間」をとったのでなければ、藤本は3時間近くそこに立ち続けていたはずである。
西宮市大谷記念術館サイト内収蔵品データベース「藤本由紀夫」ページ
osakawebmagazine
logサイト内people vol.78「藤本由紀夫」ページ
FELISSIMO
サイト内神戸学校「藤本由紀夫」ページ
SPICE
サイト内藤本由紀夫「STARS」ページ