なんと萩尾さんらしい言葉であることか

                    ----おりおりのAERA「現代の肖像・萩尾望都」(2006.4.27)

さすがに、屈指の少女漫画感覚ライターの島崎今日子である。

毎月に送られてくる30冊もの漫画雑誌にすべて目を通すという。
「漫画家ですが、漫画ファンなんです」
なんと萩尾さんらしい言葉であることか。

いや、より正確には、「なんと萩尾さんらしい言葉をうまく拾い出してきてくれたことか。」
そこから、持病の腱鞘炎の話に移る。
そして、「描けるうちに思い切り描きたい」という言葉を拾う。

コンパクトにまとめられた天才・萩尾望都については、優秀なライターなら書けるかもしれない。
しかし、仲間たちと暮らした大泉サロンで徹夜の漫画談義をよそに、
「萩尾だけが早々に寝て、喋らず、自分の描きたいものだけを描いていた」 ということの意味、
あるいは、恩義のある大物編集者が無理強いをしたときに、さらっと「絶縁状」を書いたことの意味、
親を立てて社長に据えた会社が混乱したとき、休筆してまで潰したという意味。

これらは萩尾ファンでなければそれほど重要には見えないかもしれないが、
ファンから見ればいかにも萩尾らしいことだし、萩尾作品というのはそういうもので成立しているのだ。

今さら萩尾望都の天才ぶりをとやかく言う気はない。
まずは、島崎今日子の描き出した萩尾望都像に拍手だ。


      朝日新聞社サイト内AERA2006.5.1-8号紹介ページ                 AERA編集長日記2006.5.1
     

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