萩尾望都による大人漫画の開幕

                          ――――萩尾望都「王妃マルゴ」1巻を読む(2013.2.16)


王妃マルゴ本人のことは、全然知らなかった。
兄たちがヴァロア朝の最後の王で、夫がブルボン朝を開いたアンリ4世で、
母がカトリーヌ・ド・メディシス、義姉がメアリ・スチュアートとなれば、
大河ドラマでも大物満載となりそうな豪華メンバーである。(映画化されてるけど。)

誰が呼んだか「ちびマルゴちゃん」、1巻はマルゴの6歳から11歳を描く。
ところが、この5年間に人が死にまくる。

巻頭に30人ほどの登場人物の家系図のページがあるのだが(便利)、
この家系図に載っている人物のうち、父「アンリ2世」、兄の「フランソワ2世」に始まり、
フランソワの妻メアリ・スチュアートの母である「マリ・ド・ギース」と、その弟「ギース公」、
アンリ2世のいとこであるジャンヌ・ダブレの夫「ヴァントーム公アントワーヌ」に、
その妹にして、マルゴの侍女の母にあたる「マルゴール」と、その夫「ヌヴェール公」。
そして、その二人の子ということは、マルゴの侍女の兄弟にあたる「フラン」と「ジャック」に至るまで、
なんと9人もが亡くなっているのだ。(メディチ家のカトリーヌは、このうち何人を毒殺していたのだろう。)
さらには、何千人ものユグノー(プロテスタント)たち。

また、その後のマルゴの運命を象徴するかのように、
なんともあからさまに、あるいは不必要なまでに、ベッドの中の事を描く。
政治利権を取引するために、ヌヴェール公アントワーヌを引き寄せる カトリーヌ・ド・メディシスはまだわかる。
しかし、コンデ公がプロテスタントの迫害について憤るのに、
妻のスカートの奥深くに頭を突っ込みながら語らせる必要は何もない。

意外と、萩尾望都は男女の性的な表現についてあけすけだ。
あえていえば、「純粋な愛」と言い訳しながら少年愛だけを描くことで 「男と女の愛」を忌避するようなことはしない。
この物語でも、男と女の間の面倒くささも、わずらわしさも、 いくぶんかのうっとおしさも含めて描こうとしている。

一方、いつまでもマルゴと仲の良い、シャルル、アンリの二人の兄に、
幼馴染のギーズ公の息子・アンリ、ナヴァルの王子・アンリなど子どもたちの世界も描かれる。
奔放でワガママだが純粋な子どもたちの描き方は「恐るべき子どもたち」以来とも見えるし、
「バルバラ異界」の幸せな夢の世界も思い出させる。

そんなマルゴに、ノストラダムスは三人のアンリがマルゴを取り巻くと予言する。
「三人のアンリ」とは「アドルフに告ぐ」を思い出させる展開だが、
もう一人のアンリであるコンデ公の息子も含めて、4人のアンリ(のうち3人)が、どうマルゴにかかわってくるのか、
そして、マルゴは、いつどんな風に「フランスの宝」に変貌するのか、萩尾望都の大人のマンガの開幕である。


   いろんな意味で落差のあるフランスとマルゴの激動の時代

                              ――――萩尾望都「王妃マルゴ」2巻を読む(2014.1.11)


フランス国内のカトリックとプロテスタントの対立はますます深刻となり、
王母・カトリーヌ・ド・メディチは内乱を防ごうと奔走する中、マルゴは色気づく。

自分の寝室でよからぬことをする侍女がいたりするので、頭の中はしっかり大人だ。
しかし、愛しい人を思う心はあくまでも純粋な乙女であり、
奔放で活発な行動ぶりは変わらないが、母親の言いつけどおり身体は「清らか」だ。

愛しのアンリ・ド・ギースは、父を殺された恨みを晴らすことばかり考えている。
学園ドラマにありがちな、いささか暴走気味のツッパリ系に育った。
田舎の坊っちゃんタイプのナヴァルの王子・アンリはマルゴに思いを寄せるが、
マルゴの方は、幼いころから一緒にすごした兄弟の一人としか思っていない。
兄・アンジュー公アンリはマルゴに執心で、心が不安定な兄王を冷ややかに見つつ、
わざと道化役を買って出たり、最高権力者の母にとりいったり、意外と策士だ。

みんな、それなりに成長した。
もう、いつまでも幸せな子ども時代ではない。

アンジュー公アンリが国王総代理官に就任したのを機に、
ついにコンデ公がプロテスタントへの弾圧に抗議して挙兵した。
なんとか和解したものの、一時はパリがプロテスタントの軍に包囲されたほどだ。
プロテスタントを憎むアンリ・ド・ギースが陰で画策しているようでもある。

そして、マルゴにも大きな転機が訪れる。
ナヴァルの王子・アンリがしたお別れのキスが、ずいぶんと上手かったのだ。
そんな、いろんな意味で落差のあるフランスとマルゴの激動の時代である。




       フランス国家の政治的資産としてのマルゴの肉体

                      ――――萩尾望都「王妃マルゴ」3巻を読む(2015.3.29)


2巻のレビューでは、フランスの行く末とは無関係にマルゴは色気づくと書いたが、
この巻では、一気にマルゴの人生とフランスの情勢がシンクロするようになる。

ますます、カトリックとプロテスタントの対立が深まり、
アンリ・ド・ギースをはじめ、国王総代理官の兄・アンジュー公アンリまでもが戦場に向かう。
心が弱いシャルル国王は、弟の晴れ姿におろおろするばかりだ。

マルゴは言う。
 みんな服なんか脱いで、裸でくらせばいいんだわ。
 裸になれば、プロテスタントもカトリックも同じよ。

それでもまだ「清らか」だったマルゴだが、
その身体を強引に奪うのは、なんと戦場に向かう直前の兄・アンジュー公アンリだ。
同じように、密かに不道徳な思いを寄せていたシャルル国王は、
動揺するマルゴのことを事情が分からぬまま心配するくらいしかできない。

「清らか」でなくなったマルゴは、今度は自分の意志のままにアンリ・ド・ギースを誘う。
しかし、カトリック陣営の過激派であるギースに、王女マルゴを嫁がせるわけにはいかない。
マルゴの肉体はフランスの大事な政治的資産なのであり、
もともと名門のギース家が王家の外戚となれば、ギースが強くなりすぎてしまう。

そして、プロテスタントが奪い返したポーの地で、カトリックの占領軍が虐殺されたと聞いたマルゴは、
かつてアンボワーズでプロテスタントが虐殺された時のことを思い出す。
マルゴの中では、カトリックもプロテスタントも等価だ。
カトリックのギースも、プロテスタントのナヴァルの王子も、死んでほしくない。
兄のアンジュー公はどうなってもいいけど。

そして、国の「財産」であるがゆえに、マルゴの身辺にはつらい出来事が起こるのだが、
そんなこととはうらはらに、3人のアンリが健在なまま何度目かの和平が成立し、
マルゴには新しい結婚相手候補が浮かび上がる。
プロテスタントの代表格に祭り上げられたナヴァルの王子アンリである。

はたして、裸になったマルゴは、カトリックとプロテスタントを融和させることができるのだろうか。




    カトリーヌ母后が演出する名ばかりの平和、もしくは萩尾先生のおたわむれ

                                           ――――萩尾望都「王妃マルゴ」4巻を読む(2016.2.7)


ついに、マルゴがフランスの歴史の表舞台に登場する。
カトリックとプロテスタントの平和の象徴として、
王女・マルゴと、プロテスタントを率いるナヴァル王子・アンリが結婚することとなったのだ。

マルゴは、異教徒との結婚なんて信じられないというが、
彼女があからさまにベッドに招き入れているラ・モルはプロテスタントだし、
国王シャルルが結婚後も密かに通うマリ・トゥシェもプロテスタントだ。

「すべては平和のため。」
カトリーヌ母后は口癖のように言うが、マルゴの心は今もギーズのもとにあって、
フランスがどうなろうとお構いなしに、なんとか結婚式をつぶせないかと画策している。
平和の名の下で、プロテスタントはわがもの顔でパリの街を歩くようになったのだが、
そのこと自体がカトリックたちは気に入らず、むしろいらだっている。
そもそも、カトリーヌ母后の言う「平和」は、
戦争をしないためなら、毒殺も暗殺もためらわないというものではないのか。

それにしても、だ。
自分の行った罪にも、女心の本当のところにも、まったく無頓着な男子は、
ほんの少し愛想よくしただけで、当たり前のように女子のことを信用してしまうのだな。
それと、いきなりの「おたわむれ」は、「少し痛うございます」から注意しなくちゃいけない。
と描く萩尾さんの「おたわむれ」も、この作品に関してはなかなかのものだ。

そして、今後が気になるのは、小心であるがゆえに逆上してしまったシャルル王の行く末だ。



    ほめられるつもりで、やりすぎてしまったカトリックたち

                                           ――――萩尾望都「王妃マルゴ」5巻を読む(2017.3.5)


フランス王シャルルの妹・マルゴを軸に、 ヴァロア朝末期の「政と性」を描く歴史劇の5巻である。

カトリックとユグノーの名ばかりの和平は、かえってフランスを混乱させる。
反乱軍ではなくなったユグノーは、フランスがユグノーの国になったように喜びよう。
カトリックは、ユグノーが当たり前に街を歩いていることが、そもそも気に入らない。

かくして、調子づいたコリニーらのユグノー貴族を謀殺しようとしたものが、
ギースら過激なカトリックたちの暴走により、ユグノーの大虐殺となってしまう。
教科書でもおなじみの聖バルテルミの虐殺だ。

いつだって、男たちは女にほめられると思って、やりすぎてしまうものらしい。
バランス重視のカトリーヌ母后の目算も、今回は少し誤ったようだ。
ナヴァル王アンリとコンデ公アンリの改宗までは望み通りだったのかもしれないが、
ユグノーに恨みを残す形での収拾は、本意でなかろう。
事実、マルゴは母・カトリーヌではなく、夫・ナヴァルのアンリを選んでいる。

かたや、コンデ公を夫に持つ身ながら王弟アンリから思いを寄せられたマリーは、どうしたものかと姉妹たちに相談する。
ところが、答えは、結婚したら多少のアバンチュールは許されるというもの。
そんなことはおくびにも出さぬ姉妹たちにも恋人たちがいるとは、驚かされる。

と思っていたら、マリーの妹・マントヴァ公を夫に持つアンリエットは、
聖バルテルミで殺しすぎて疲れたココナスを拾い、その心も体も癒している。
(この純情でバンカラなライオン・キャラは、木原敏江に似た人物がいたような。)
マルゴもまた、ナヴァルのアンリを認めつつも、ラ・モルとの密会を続けている。
(内気で静かなラ・モルも、誰かのキャラで見た気がする。山岸涼子か。)

ところで、パリを離れたとはいえ、 シャルル王の愛人だったマリ・トゥシェが男の子を生んだというのは、
今後、何かと問題にならないのだろうか。気になるところだ。



    奔放な生活の中、マルゴが夫への愛に気づくという力技

                                           ――――萩尾望都「王妃マルゴ」6巻を読む(2018.3.18)


もう一度、1巻でなされていた予言を整理しよう。 3人のアンリは、恋人であり、結婚相手であり、敵である。
この巻では、その3人が大きく動いた。

恋人だったアンリ・ド・ギースは、 カトリック強硬派のリーダーとして、フランスの平和にとって危険な存在になっている
マルゴのことも昔の話だし、子どもは死んだと聞かされている。
結婚相手のナヴァル王アンリは、 カトリーヌ母后とのつながりがあるマルゴを残したまま、
狩りの最中に一人で離脱し、故郷ベアルンに帰るとプロテスタントに再改宗する。
敵の兄アンリは、 兄王・シャルルが亡くなるとポーランドを脱出してフランス国王に即位したが、
相変わらずマルゴへの特別な執着心をもっており、密かにマルゴの子を庇護している。

マルゴは、兄・アンリ4世を憎みつづけ、兄のいる宮廷を離れたいと思っている。
ギースについては愛した過去があるゆえに、その強硬さについていけなくなっている。
手当たり次第に男を誘うのは、ナヴァルが自分を残して逃げたことに心を痛めたからだ。

やっとナヴァルのもとへと移り住むことがになったマルゴだが、
都会のパリからやってきたマルゴと、宮廷を警戒するナヴァルとはやることなすことがすれ違ってしまう。
そして、すれ違いの中に、おたがいの気遣いがあることに思い至り、
マルゴは自分がナヴァルを深く愛していたことに改めて気づくのだった。

という展開は、冷え切った仲だったと伝えられる史実と比べると、ずいぶんと力技だ。
マルゴの性的な奔放ぶりに対しても、愛の裏返しというような正統性を持たせている。

故シャルル国王の妻・ドートリッシュがウィーンに帰るときに、
わざわざ「ベッドでのことがイヤで」再婚するつもりはないと言わせるあたりも、
「ベッドでのこと」を大切にする、この作品独特の「世界観」なのだろう。


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