めぐりあってしまうと忘れることができない映像詩

                                 ――――ドラマ「四季・ユートピアノ」を見る (2002.2.3)

伝説のテレビドラマ「四季・ユートピアノ」をインターネット上の友人から借りたビデオで見ました。

「伝説の短編テレビドラマ」という感覚は、理解しがたいかもしれません。
佐々木昭一郎作・演出、中尾幸世・主演「四季・ユートピアノ」は、1980年1月12日NHK総合テレビで放映されました。
単発のたった1回放映された90分のドラマであるにもかかわらず、この作品は特別な作品でした。

海外のコンクールで最高賞をとり、「凱旋再放送」がなされ(たぶん私はその時に見ました。)、続編にあたる作品も3点作られました。
その後も、深夜やBSではありましたが、数回の再放送が繰り返されました。(1)

とはいうものの、それだけではすっかり忘れ去られていても不思議のないようなものです。
にもかかわらず、このドラマは消えませんでした。
見た人々の細い記憶の糸を紡ぎあわせるようにして、静かに語り継がれていったのです。

そんな「伝説」の復活は、この秋のNHKアーカイブスです。
過去に放映されたNHKの名作を再放送するこのシリーズで、
2001年10月21日深夜、「四季・ユートピアノ」は5年ぶりの再放送がなされました。

そして、インターネット上にいくつかある佐々木昭一郎・中尾幸世ファンサイトが、
データベースとして情報を支え、さらにその感動を受けとめる役割を果たしました。
一人だけの思いでしかなかった感動は、電脳社会のシステムによって増幅され、新しい広がりを生みました。

私の手元にビデオテープが届いたこともその末端でおこった現象の一つであろうし、
より目に見える形では、2001年11月25日、第11回TAMA CINEMA FORUMで「RESPECT 佐々木昭一郎」と題された上映会が
開催されたこともあげられるでしょう。(2)
20年の歳月を越えて、今、ふたたび目を醒ましつつある伝説の作品。「四季・ユートピアノ」とは、そんなドラマなのです。
 
冒頭、まだ少女と言ってよいような若い女性の歌声が響きます。
  
  夢は 風の中にきこえる あの音
  虹色の 七つの音よ
  雪の日に消えた あの音
  風よ うたえよ Aの音から

画面いっぱいに声の主らしい少女の顔が広がります。
風にほつれた数本の髪が化粧気のない「りんごほっぺ」になった彼女の顔にかかっています。

彼女が栄子さんです。ピアノの調律師をしています。
音の基本である「A」を受けての「栄子」なのであろうし、どこにでも存在しえるあたりまえの存在としての「A子」なのかもしれません。
 
画面は、雪に埋もれたりんご農園を歩く幼い兄妹の姿に変わります。記憶の中の栄子さんと兄の姿です。
マーラーの交響曲第4番(3)の一節からとったという栄子さ んの歌声と入れ替わるように、彼女自身のナレーションが入ります。

  一歳、母のミシンの音を聞いた
  二歳、父の靴音を聞いた
  三歳、古いレコードを聞いた
  四歳、兄とピアノを見た 大きなピアノだった
  さわるとダイヤのような音が おなかの中にひびいた

それは、栄子さんの最初の記憶であるのでしょうか。
幼少のころの家族の記憶がその一人ひとりをめぐる「音」の記憶であるということが、栄子さんという人物を象徴しています。
それほどまでに彼女の人生と「音」は密接なつながりを持っています。

そんな栄子さんと音とのかかわりを具体的な形にしているのが「音の日記」です。
彼女が暮らしの中で出会った音の記憶の数々が、イラストとともに書き連ねられています。
たとえば、クリスマス飾りに彩られた西洋人の子どもたちの学校のピアノを調律したときの日記です。

  音を出すと、子どもたちが集まってくる
  ピアノは不思議な箱なのかな
  兄と聴いたチクオンキを思い出す
  冬の音は、遠くまでゆく

彼女は、子どもたちと話しながら笑顔でピアノの調律を続けます。
子どもたちが集まってくるのは、ピアノの音の魅力だけではなさそうです。
子どもたちの唄うクリスマス・キャロルに送られ、栄子さんは去ります。
まだ聞こえている歌声からは、彼女がピアノを調律することで生みだしたものが調えられた音だけではなく、
子どもたちの幸せな一時であることを知らせてくれます。

そんな小さな出会いの場所は、調律先へ向かう道すがらであったり、
オペラ歌手の夫婦の家であったり、盲学校であったりします。
そして、こうした音をめぐるさまざまな人との出会いの積み重ね、
あるいはさまざまな人との出会いの中から発見する音の積み重ねによって、
ピアノの調律師として暮らしている栄子さんの現在があるのです。

しかし、そんな現在とはうらはらに、栄子さんの生い立ちはけっして幸福とはいいがたいものでした。
幼いころの兄の死に始まり、続いて母、さらに父と、彼女が高校生になるころには、
あの最初の記憶とともにあった家族は、誰一人いなくなってしまいました。
(「冬の音は遠くまで行く」の「遠く」とは、どこをさしているのでしょうか。) 

彼女は、かけがえのないはずの家族が亡くなったことをこう表現します。

  またひとつ 音が消えた

このことを、栄子さんが人の命を単なる音としてしか感じていないと解釈すべきではありません。
むしろ、栄子さんにとって音はそれほどまでに生命と近い場所にあるということであり、
音が失われたときの喪失感が死のもたらす喪失感にきわめて近いものとして感じられているのだということを示しています。

そして、この記憶の中の故郷や家族を象徴しているのが、マーラーの交響曲第四番第一楽章の一節です。
その堂々とした弦の響きは、時に美しい思い出として、時に深い喪失感とともに、時に希望をあたえつつ、
大いなる存在感を持って栄子さんの記憶を彩ってくれます。
栄子さんが家族や故郷の記憶をたどるとき、このマーラーの一節はわきおこります。
それは、失われた家族という「音」のない状態を表現するためのもう一つの「音」となっているのです。

そうした「音」へのこだわりを裏返して考えるならば、
失われた「音」に象徴される栄子さんの悲しみは、同じ「音」によって取り戻すことができるはずのものだ、ということになります。
彼女が「音の日記」をとおして、「音」を見つけ、感じ、記憶にとどめるということを続けている背景には、
新しい「音」を見つけることによって、「音」を失った悲しみを昇華させているようにも感じられるのです。

だからでしょうか。栄子さんの暮らしぶりからは彼女の運命の影をみじんも感じさせません。
むしろ、彼女が「音」を見つけようとする姿からは、幸せのかけらを集めて自分の人生を彩っているようにさえ見えてきます。
そして、そんな調律師としての現在の生活を象徴しているのが、ベートーベンのピアノ・ソナタ(OP49・No.1 第二楽章)です。
その軽快なフレーズは、新しい「音」をみつけた喜び、仕事をする楽しさ、未来への希望などを、
はずむ心の動きそのままに表現してくれます。

思えば、音楽というものは、私たちに無条件な喜びを与えてくれます。
もともと音楽に携わる仕事は、そのままに人の幸せに携わる仕事であるのかもしれません。
栄子さんは、ピアノの調律師という仕事を通していろいろな人と出会います。
その出会いから栄子さんは「音」を見つけ、拾い上げ、紡ぎだし、幸せのかけらとして形にしていきます。
栄子さんと出会った人々は、栄子さんとともに「音」を共有し、幸せさえもわかちあうことができるのです。

そんなおとぎ話のような「栄子さん」という存在を、脚本・演出の佐々木昭一郎が、奇跡的に実現してしまいます。

リンゴをイメージする「赤」を栄子さんのシンボルカラーにしたり、音叉をイメージする形を何度となく登場させます。
次の場面の音が少しだけ先行して鳴っていたり、音だけを残して次の場面に移ったりする手法、
連想ゲームのようにキーワードでいくつかの場面をつなぐという手法も、
細かい断章が続くこのドラマに連続性を与えているようです。(4)

また、とても現実にはなさそうに見えていても、ぎりぎり現実に踏みとどまっているいくつかのシーンもそうです。
いきなり田舎道を歩いている象は、実はサーカス団の一員でした。
海の中を波をけたてて走る荷馬車の登場も、栄子さんを迎えに来た祖父のものであるとわかると
新しい暮らしへの旅立ちを象徴するように見えてきます。
帰国するインドの女性がプレゼントしてくれたから、栄子さんは鮮やかな空色のサリーを身にまとって住宅街を歩いています。
これらの不思議な、しかし美しいシーンをなんとか現実に着地させてしまうことによって、
このドラマは、最も不思議で美しく奇跡的な存在である「栄子さん」を現実の世界につなぎとめていることに成功しているのです。

そして、ドラマは冒頭の故郷のシーンに戻ります。
再び、栄子さんのアップ。遠くを見つめる目には、うっすらと涙も見えます。そして、歌声。

  夢は 風の中にきこえる あの音
  虹色の 七つの音よ
  雪の日に消えた あの音
  風よ うたえよ Aの音から
 
一度めぐりあってしまうと絶対に忘れることができない90分の映像詩。

エンドクレジットの中を、静かに低くピアノのAの音が鳴ります。


 (1)  このあたりの記録は、すべて中尾幸世ファンサイト「微音空間」による。
 (2) 私もその場にいた。「夢の島少女」「四季・ユートピアノ」という今回のアーカイブスで放映されたメニューに、
   中尾幸世さんに是枝裕和さんが聞き、さらに佐々木昭一郎さんを加えての鼎談というものだった。午後1時から午後7時までという長丁場なのに、
  大画面での濃密なドラマに引き込まれてあっという間。驚いたのは、質問コーナーに立ったファンたちが「私は京都から」「いや広島」と
  全国からファンが集まっていたこと(あまり人のことは言えないが)。最初は表情の固かった(いまさら20年前の「栄子さん」でもあるまいし)中尾さん も、
  イベントの終わるころには「解凍」されて「栄子さん」に戻っていた。会場が階段教室式で舞台が通路を兼ねており、ほぼ至近距離で撮影できた。
  翌日、神保町の古本屋で、下記の「月刊ドラマ」3冊を購入。シナリオに強い店とはいえ、出来すぎの出会いに気持ちは小さな「栄子さん」状態だった。
 (3) この曲を含めて、曲名についての記述は、すべて「月刊 ドラマ」に掲載された「四季・ユートピアノ」の脚本による。
  なお、「マーラー・交響曲第4番」は、エンドクレジットにも「テーマ音楽」としてあげられている。また、クレジットには「ピアノ 中尾幸世」となって おり、
  ドラマの中のピアノは彼女自身が弾いているらしい。当時、中尾は美術大学の学生で、音の日記の中のイラストも中尾の作品である。
 (4) たとえば、「ガンジス川に陽は上りぬ」-「インドの夫人とサリー」-「カレーライス」、「サーカス」-「ピエロの姿での太陽たたきの祭」など。
  「マキ割り」-「ラムネの栓をあける」も直接的だがあげてよいだろう。よく聞かないとわからないが、「愛子」が登場する直前のオウムは脚本では
  「アイコ」と言っている。 

     すぺしゃるさんくす・・・あるぷさん

     参考資料・・・「月刊ドラマ 1980年12月号」・「同 1984年12月号」・「同1986年5月号」(映人社)


       そして、「音」は残る

                     ――――ドラマ「川の流れはヴァイオリンの音」を見る (2002.5.26)

「四季・ユートピアノ」が再放送されたNHKアーカイブスで、
その続編ともいえる「川の流れはヴァイオリンの音 〜ポー川〜」が再放送されたのを見ました。

第一印象は良くありませんでした。
ちょうど上の文章を書き上げた直後だったので、「四季」を解析しながら見ていたのと同じような視点で見てしまい、
むやみと「四季」と見比べてしまったのです。

裸電球にかざして紙幣を数えるシーン、落し物を拾った善意の男性に追われて逃げるシーン、涙を流す顔のアップなど、
「四季」での印象が強かっただけに、なぜ同じようなシーンを見なければならないのだろうと思わせたのです。
居酒屋、馬車などの小道具、つきまとう死のイメージなど、似すぎているといえば似すぎている道具立てです。
要するに、枝葉末節にこだわり過ぎて、作品そのものを見ていなかったわけです。
そこで、もう一度「川の流れはヴァイオリンの音」というドラマを純粋に見つめると、やはりいろいろ感じるところがありました。

まず、気づくことは、「四季」がマイナスを克服する旅だとすれば、「川」はプラスを発見する旅だということです。
ピアノ調律師のA子は、調律中にうっかり落としてしまったヴァイオリンを修理するために、
イタリアはポー川のほとりクレモナの街を訪れます。
「音」をめぐってさまざまな人と出会い、さまざまな発見をするA子は健在です。
しかし、「四季」のように執拗につきまとってくる不幸はなく、「川」でのA子はあくまで旅人です。
(1)

だからでしょうか。この作品に登場するA子は、厳密には「四季」のA子ではありません。
ピアノの調律師であることには変わりはないのですが、「四季」では天涯孤独の身であるはずのA子は、
この作品では「妹」に手紙を書いています。

つまり、同じ「ピアノ調律師A子=中尾幸代」が主演しているにもかかわらず、「川」は「四季」の「続編」ではなかったのです。
(2)
思えば、「四季」は、家族、師、友人の死という喪失体験を、音を通して回復する物語でした。
マイナスを克服する物語の後に始まるのは、プラスを発見する旅です。
「四季」の持つマイナスの影と訣別する意味を込めて、あえて「川」では別の「A子」を登場させたのでしょう。
手紙を書き送る先の妹は、そうして発見していった新しい音の物語の預け先のような役割を果たしています。

だから、「川」でのA子の旅は、希望の物語です。
たとえ、(「四季」と同じように)A子が音をとおして出会った人たちが亡くなっていったとしても、「四季」ほどの喪失感はありません。
それは、「四季」の登場人物たちがまさに「音が消えた」としか表現しようがないような唐突さで「消えて」いったことと比べれば、
「川」の人々はあまりに雄弁であり、また、素晴らしい唄い手であったからです。
(ピアノの調律に訪れたホールの掃除夫まで、モップの手を休めることなく唄っているのです。)

たとえば、A子が最初に訪れた老バイオリン職人アントニオは言います。
「私は死ぬが、バイオリンはけっして死なない」。そこでは、死は突然やってくる悲しみではなく、
近い将来に待っている宿命として描かれています。

そんな彼は、A子に「おやすみ」を言った後に「ソニ・ドーロ(黄金の夢を)」という言葉を添えました。
この言葉は、もう一度、隠居するアントニオが工房をA子に貸し与えた時、彼女に託した手紙の結びの言葉でも使われます。
「ソニ・ドーロ(黄金の夢を)」に続くのが、「見つづけなさい」なのか、「見られることを願っている」なのか、
いずれにせよ老職人が若いA子に伝えるのにふさわしい言葉と言えましょう。

その手紙には、この言葉もありました。「CHI VA PIANO VA LONTANO(静かに行く人は、遠くへ行く)」。
「四季」にも似た言葉が登場する(3)と ころをみると
イタリア語の慣用句なのでしょう。
この言葉もまた、老職人の持つ気概を表しているといえます。

こうした言葉が残されることで、アントニオの死は、失われた悲しみだけに取り込まれてしまうことがなくなりました。
それ以上の想いを、A子はアントニオから受け継ぐことができたのです。
それは、「祖父と同い年」だったという農夫ルイジでも同じです。
もはや誰もいなくなった彼の家の中庭に立つ時、A子の頭の中には彼の歌っていた陽気な歌声がいつまでも響いているのです。

限りある命とその想いを継ぐもの。たとえば一つのバイオリンに、あるいは一つの唄であっても、
音にのせられた想いは、いつまでも引き継がれていくのでしょう。
人が死んだ後にその想いを継ぐものとして「音」があるとすれば、
音はその想いと同じだけの深さを持っていることになります。

そして、A子は、調律に行ったクレモナのオペラハウスで、この物語のきっかけとなったのと同じ場面に遭遇します。
調律するピアノの上に置かれていたバイオリンケースには、このようなメモが添えられています。

 「NON TOCCARE(さわらないでください)」

A子も、さすがに今度は失敗しなかったようです。
しかし、そのメッセージは、うっかりミスでこわしてはならないという意味をこえて、
一個のバイオリンが持っている簡単には触れてはならない高みのようなものを主張しているように見えてきます。

同じ言葉は、クレモナの街にそびえる教会の塔、500年前に作られた大時計の中にもありました。
きしむ歯車と正確に刻まれる振り子の音。
A子の前には、500年もの長い間、時を刻み続けた「音」の歴史がありました。
そして、「NON TOCCARE」のメモは、その歴史の長さの中にもまた
人が立ち入ることでのできない「音」の世界があることを教えてくれます。

塔の頂上からは、クレモナの街を見晴らした向こうに、遠くポー川の流れが見えます。
数百年前のバイオリン職人も、数百年前のただの農夫も、自分たちの音の中にさまざまな想いをのせていったのでありましょう。
「行く川の流れは絶えずして」、そんな古い日本の言葉を思い起こさせます。

そして、そんな音の歴史をつかまえたA子の、そして私たちの現在は、絶えることなく続いていくのです。




 (1) 「四季」では「栄子さん」と呼んでいたものを、この文章では 「A子」になっているが、理由は特にない。ただ、深く意識せず書き出したときに
  「四季」と「川」の間に「栄子さん」と「A子」という違いをつけたくなる何かが、私の中にあったのだろう。
 (2) 「四季」のA子と「川」のA子が異なった人物という設定により、実は奇妙な感覚に襲われてしまった。主演女優が「中尾幸世」なのではなく、
  「四季のA子」が「川のA子」という役を演じているではないかという混乱である。そのことで、いっそう私の中での「川」のイメージが「ドラマ」から離 れ、
  海外取材もののクイズ・バラエティのようなイメージにとらわれてしまうのだった。あのテの番組のレポーターも無垢であるがゆえに
  どこまでも入り込んでいく力を持っているので、なおさらというものだ。
「四季・ユートピアノ」では純朴な田舎娘でやっとピアノを調律師になれたA子が、
  このドラマでは颯爽とヴァイオリンを演奏していたりするのも、素直に見ることができなかった。あるいは、彼女がイタリアにいること自体に違和感もあっ た。
  それは、私にそれほどまでに「四季」へのこだわりがあったという証明だということにしておこう。(4)
 (3) 「四季」の盲学校のシーンで、A子のカバンに「CHI VA PIANO VA SANO」と書かれている。この言葉の意味をA子は「静かに行く人は遠くまで行く」と
  説明している。やはり、A子という存在を考える上で、キーワードとなる一言であったのだろう。
   ところで、この慣用句については、友人の「芝」さんが、いろいろ調べてくれた。ちなみに、もともとのイタリア語のことわざは
  「Chiva piano, va sano /Chi va sano, va lontano」で、直訳は「静かに行く人は健やかに行く。健やかに行く人は遠くまで行く」だそうだ。
  「Chi va piano, va sano e valontano」という書き方もするようだ。つまり、「va sano」を「遠くまで行く」とするのは誤訳らしい。
  ただし、カバンの言葉がイタリア版「急がばまわれ」の前半部を記したと考えれば、その意図を伝えるには「遠くまで行く」まで言わないと伝わらない。
  ここでは、A子はその意味で後の言葉も含めて伝えたことにしておきたい。
 (4) 月刊ドラマ・1984年12月号を改めてみると、「川」のA子の人物設定は、「四季」のA子とはまったく違うものだった。
  「A子の生まれたところは、諏訪湖の近くであった。A子は幼い頃から湖面の光の照り返しを見て育った。A子の家は祖父の代まで独立した寄木細工師だっ た。
  父の代になって湖の近くが工業化して来たので、父は寄木細工師を継がずにオルゴール会社につとめるようになった。(略)
  A子が音楽学校に進むと、まわりのみなが思っていたことだったが、A子は絵の技芸学校をえらんだ。A子はその理由を、誰にも語らなかった。
  A子は、学校に通いながら、夜、ある老人の調律師についてピアノの調律を身につけていた。老人は、祖父の若い頃の徒弟仲間だった。(以下、略)」
  (「川の流れはバイオリンの音」脚本完成まで/「撮影・演出台本より<人物設定>・月刊ドラマ1984年12月号p125-126・映人社)
   しかも、「企画書」には、「佐々木のネライは、映像における報道性とフィクションの接点を見出すことである。」とある。
  「報道性とは、ヴァイオリンの共鳴板を作る松の木は、今やほとんどこの世にない、と伝えること」であり、「ヴァイオリンを作る木は、
  川の水に浸された松の木である」という「情報性」とは慎重に区別してているものの、(このドラマの方が先にあったことを認めつつも)
  「海外取材クイズバラエティ」に近いという私の印象を裏付けたような気もする。(「川 一九八〇年の企画書」・上掲誌p112)
  

    微 音空間(中尾幸世ファンサイトであるととも に、詳細なデータベースでもある)
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