| サ イ レ ン ス ス ズ カ |
| 馬名 サイレンススズカ 父 サンデーサイレンス 母 ワキア(Miswaki) 戦績 16戦9勝 橋田満厩舎所属(栗東) 稲原牧場産 1994年5月1日生 主な勝ち鞍 宝塚記念(GT)毎日王冠(GU)金鯱賞(GU)中山記念(GU) |
この馬に称号を与えるとしたらこんな名前がぴったりではないだろうか?私が今まで見た中では最もスピードのある馬だった。 サイレンススズカは父にサンデーサイレンス、母にワキアを持つ良血のお坊ちゃんである。もちろんデビュー前よりかなり期待もされたし期待されるだけの実力もあった。いや、期待以上の実力だったと言うべきなんだろうか並の騎手ではサイレンススズカの実力を引き出すことはできなかった。 デビュー戦の新馬戦、鞍上の騎手は上村洋行である。結果は手綱を持ったままでの圧勝。今年のダービはこいつで決まったとの声も出始めた。橋田陣営が次ぎに選んだレースは皐月賞トライアルに指定されている弥生賞だった。前年の朝日杯3着馬エアガッツや、武豊騎乗のランニングゲイル、ジュニアCを制したサニーブライアンなどの実力場が出揃う中、新馬戦を圧勝した期待から2番人気押されていた。 ここで事件が起こったのである。ゲート入り完了後、スタート直前になって1頭の馬が暴れだしたのである。なんとサイレンススズカだった。ゲート内で立ち上がり上村騎手を振り落としてしまうとなんと今度はゲートの下を潜り抜けてしまった。なんとか取り押さえられ馬体検査をされ異常なしという判断が出て大外枠からのスタートという事でレースが再開されることとなったがまたしても場内が騒然する事が起こった。出遅れたのである。サイレンススズカがスタートした頃には他の馬は約10馬身ほど前に行っていた。この事が響き結局レースは8着に破れる。 私がこの時に思ったのは、すごい能力を兼ね備えた馬だということとすごく幼い馬であるということだった。繊細な心の持ち主ではないのかとすごく感じた。要するにこの馬の実力を引き出すには繊細な性格を操れる騎手が必要だと言う事。そして本格化するのは古馬になってからだなと言うことだった。 その後上村騎手から河内騎手へと乗り変わるが戦績の方はぱっとしないままだった。 明けて5歳ついにサイレンススズカが本格化する時がやってきた。サイレンススズカの能力を最大限に引き出せる騎手と巡り合えたのである。誰もが認める天才ジョッキー武 豊との出会いだった。バレンタインSを皮ぎりに中山記念、小倉大賞典、金鯱賞と連勝を続け宝塚記念ではついに念願のG1勝利を挙げ、次走の毎日王冠ではなんと後の凱旋門賞2着エルコンドルパサー、有馬記念2連覇のグラスワンダーを相手に2馬身半差の圧勝をしている。この快進撃の力はやはり武 豊による所が大きい。サイレンススズカの繊細な気性をつかむやいな、光速の逃げ馬へ変身させたのである。 そしてついに天皇賞(秋)を迎える。もちろん断然の1番人気、サイレンススズカの勝利を疑う人は誰もいなかった。レースは当然のようにサイレンススズカが先頭に立ちまるで後続の馬達をあざ笑うかのように差を広げて行く。5馬身、7馬身、10馬身。向こう正面に立ったときにはもう何馬身離れていただろうか?3コーナーを過ぎ最期の直線へと4コーナーヘ向かい誰もがサイレンススズカが先頭で直線に現れるのを待ったその時だった。 悲劇は起こった。サイレンススズカの動きが止まった、後続馬がどんどん交わしていく。信じられない出来事だった。私はこのレースを友人と3人で見ており一瞬の出来事に何が起こったかわからず「うそやろ?・・・」と悲鳴に近い叫びをあげた。 「左手根骨粉砕骨折、予後不良」これがサイレンススズカに下された診断の結果だった。光速の貴公子はゴール板ではなく天国の門をくぐり抜けてしまった・・・ 近年の競馬ファンの記憶に刻まれたあの速さは忘れられる事はないだろう。 |