略歴 |
足利工大付属高校時代、アマレスで80年の栃木国体優勝。翌81年3月、全日本プロレス入り。ルー・テーズ杯準優勝、メキシコ遠征を経て84年8月に田園コロシアムにてタイガーマスクとして再デビュー。人気レスラーとなるが、90年5月14日東京体育館にて自らマスクを脱ぎ、タイガーマスクと決別。素顔の三沢に戻ると共に、ヘビー級転向を果たす。
90年の大量離脱後は、ジャンボ鶴田を打倒すべく超世代軍を結成。90年6月8日、日本武道館大会にてジャンボ鶴田をシングルマッチで破り、新世代の旗手として力強くアピール。92年8月22日にはスタン・ハンセンを破り、第10代の三冠ヘビー級王者となる。その後の「93世界最強タッグ決定リーグ戦」を制した時点で、通算4人目の五冠王となる。94年3月5日、日本武道館において、タッグマッチながらジャイアント馬場からピンフォールを奪い、名実ともに全日本の頂点に立つ。
三冠奪取回数は5回。総防衛回数20回、連続防衛回数8回という数は群を抜いている。また、世界最強タッグ決定リーグ戦にて個人4連覇という記録はまだ破られていない。
ジャイアント馬場の欠場・逝去後は、現場監督となって“三沢革命”を推進。99年5月3日、全日本プロレスの社長に就任。しかし、2000年6月に全日本を退団、8月に新団体NOAH(ノア)を旗揚げする。 |
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