ベイダー、ノートン、Drデス



題名の三人の共通点は何でしょう?
色々挙げられると思いますが、ここでは、下の点について見ていきます。

1、日本で頂点を極めた外人選手
2、90年代のアメリカでは、ブレイクし切れなかった選手


まずは1、について。
ベイダーはIWGPと三冠ヘビーに就いていますし、ノートンはIWGP、ウィリアムスは三冠ヘビーに就いています。
それぞれが、日本メジャー団体の看板タイトルを獲得していますので、“日本で頂点を極めた”という表現にも異論は無いのではないかと思います。

次に2、について。
ベイダーはWCWヘビー級に就くなど、WCWではそれなりに活躍しましたが、WWFでは無冠のまま終わり、全日本へと戦場を移しました。ノートンはWCWではタイトル歴はなく、今年になって解雇されてしまったそうです。ウィリアムスは去年にWWFに移籍しましたが、殆ど活躍の機会も与えられないままに解雇(?)、現在はWCWに参戦中ですが、層の厚いWCWでは苦戦必至です。


日本で大活躍し、その実績を引っさげる形でアメリカに参戦したのに、ブレイク出来なかった原因は何なのでしょうか?

一般的に言われそうなことは、
「お喋り(インタビュー)が下手だった」
日本のスタイルに馴染みすぎて、アメリカのスタイルに順応できなかった」
「キャラクター的に抜け出るものがなかった」
等でしょうか。


しかし、私がここで原因の一つに挙げたいのは、
「身長の低さ」
です。

ベイダーとノートンは身長190cm、ウィリアムスは188cmです。まあ、身長は鯖読みが普通ですので(特に、190とかだと、実際は187〜189くらいのことが多い)、大雑把に言うと“小橋くらい”の身長なわけです。
今の日本だと、これでも大きい方ですし、三人ともパワーもあるので、どうしても力や体の大きさに頼ったファイトになってしまいます。
しかし、アメリカでは2mの選手もたくさんいますし、190台の身長でも動ける人、もたくさんいます。

つまり、アメリカではそれほど大きな選手ではないので、いくらパワー重視のスタイルをしても、迫力がイマイチでなかったというわけです。
もう少し小さい選手であれば、ヒットマンやHBKのように、テクニック重視の選手としての成功例がいます。
彼らの身長は、「日本では十分大きいが、アメリカでは十分ではない」という中途半端なものだったのです。

これが、ベイダーやノートンやウィリアムスが、実力がありながらアメリカで成功しなかった、最大(言い過ぎかな?)の理由だと、私は思います。



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ジャーマンスープレックス



ジャーマンスープレックスの元祖と言えば、言わずと知れた「カール・ゴッチ」です。

そのゴッチが日本で初めて公開したのが1961年4月の日本プロレスでの対吉村道明戦です。力道山もこの試合を花道の奥から見ていて、試合終了後に「最高だね…」と一言呟いた、という伝説があるほど、名勝負として語り継がれている試合です。


カール・ゴッチの初公開後、日本人の中でも使い手が続々と現れるようになっていきます。日本人の使い手第一号の使い手はヒロ・マツダ(先日、お亡くなりになられました。ご冥福をお祈りします)ですが、猪木、藤波、谷津、前田、山崎、高田、ヒロ斎藤、保永、鶴田、三沢、川田など、数多くの選手がこの技をモノにしていきました。
しかし、数多くの使い手が現れ、また、改良型も相次いで開発されたことからジャーマンは徐々に必殺技としての説得力を失っていきます。

ジャーマン失墜の流れを防いだのが、90年代に開発された“投げっ放し”です。当時Uインターに所属していたG・オブライト、 新日本で星野貫太郎を病院送りにしたR・スタイナー、 全日本の3冠戦で川田に驚異の3連発を見せた三沢光晴。
こういった選手が“投げっ放し”を用いたことにより(Uインターでは3カウントがなかったので、誰でも投げっ放しでしたが…)、ジャーマンの新しい形が作られることになります。


しかし、こういった“投げっ放し”ブームには、当初から賛否両論がありました。つまり、
「ブリッジできないのを誤魔化してるだけじゃないか?」
「フォールを取る形になって、初めてジャーマンが完成するんだ」
「投げ捨てても、上体が伸び切ったままでは大して威力は増さない。技の形が派手になってるだけだ」
などという意見があるわけです。

具体的に言うと、本田多聞のような投げ捨てジャーマン(相手を持ち上げてから貯めることによって受け身を取りづらくさせ、尚且つ角度をつける)ならまだしも、獣神サンダーライガーが一時期使っていたような投げ捨ては、実に低級な物だということです。
元々、カール・ゴッチのジャーマンの目的は、相手にダメージを与えることよりも、相手をキッチリとホールドすることに重点が置かれていたそうで、こういった意見もあながち的外れではないと思います。


そんな中、現在でも実に見事なジャーマンを使う選手がいます。それは、今年大ブレイクした選手の一人「高山善廣」です。高山のジャーマンスープレックスホールドは高さ・角度・ホールドと3拍子そろったもので、ジャンボ鶴田がデビュー戦で見せたジャーマンを彷彿とさせます。
高山は変テコな(失礼!)関節技をフィニッシュに用いたりしますが、フィニッシュにはひざ蹴り(これも実に迫力がある)とジャーマンの2本に絞った方が良いのではないかと思います。



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全日本と大阪府立



今年の、全日本プロレス暮れの名物シリーズ「世界最強タッグ決定リーグ戦」は、小橋&秋山組の2連覇で幕を閉じました。
順当といえばかなり順当な結果でしたが、ハンセン&田上組の大奮闘もあって、最終戦が行われた日本武道館は多いに盛り上がりました。


さて、武道館で行われた優勝決定戦と同じカードのリーグ戦が行われたのは「大阪府立体育会館(以下、府立)」でした。
しかし、ここの観客動員数は3050人だったそうです(満員だと5300)。府立に限って言えば、興行的には成功とは言えなかったようです。


今年、全日本プロレスは年に3回府立で興行を行いました。1月22日の三沢vs川田、 4月8日の小橋vsベイダー、 そして11月30日の小橋&秋山vsハンセン&田上。

このうち、満員のマークがついたのは、1月の三冠戦のみです。と言ってもこれはシリーズ最終戦で三冠戦であることを考えれば、武道館級のカードであり、厳しい言い方をすれば満員になって当然といえるでしょう。
4月はチャンピオンカーニバル中の開催でしたが、1月に横浜文体を超満員にした小橋vsベイダーでも、4100人でした。

他の大阪の会場(大阪府立体育会館第2競技場、大阪市中央体育館、はびきのコロセアム、なみはやドーム)は2階席のないような所ばかりで、さすがに満員と発表してもいいような(約1500〜2000くらい)入りですが。


このように見ると全日本プロレスは、大阪府立体育館に弱いのです(逆に強かったのが札幌中島体育センターでした)。元々府立を一杯にするのは大変なので有名ですが、最大の理由は…、
「武道館を定着させ過ぎた」
ことにあると思います。


ここ数年、全日本は新春ジャイアントシリーズ以外は「最終戦といえば武道館」というのにこだわってきました。その甲斐あって、武道館は年間を通して“超満員”を記録しています。
しかし、そのことが逆に「武道館以外は全て小会場」というような感覚を生んでしまっているのではないでしょうか?

同じようなことは、東京ドームを一杯にすることに力を費やしている新日本プロレスが、日本武道館に苦戦している現状にも当てはまります。


UWFが始めたのは「大都市集中型」ですが、今やメジャーは「フランチャイズ集中型」となっているようです。



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新生・全日本プロレス



ジャイアント馬場さんが亡くなって早くも10ヶ月が経とうとしています。
三沢が社長となり、新たなる全日本プロレスが始動したわけですが、以前の馬場・全日本とどこが変わったのか、改めて見てみましょう。


まず馬場さんが欠場する以前から(98年に三沢が長期欠場から復帰してから)、三沢にもマッチメーク権がある程度与えられ、三沢によるいわゆる「三沢革命」がスタートしました。

三沢の主な考えは以下の通りです。
1、ジュニアヘビーの活性化
2、アジアタッグの格上げ
3、 日本人外国人混成チーム(GETのこと)の解散
4、他団体選手をキチンと評価する
5、過剰にならない程度のアングル作り
6、モスマンの過大評価の修正
7、 新日本との対抗戦については希望的観測を持つ


馬場さんというのは良くも悪くも、自分の考え方をめったに変えない人でした。
そこから信頼感や安定感が生まれていたわけです。しかし一方で、ジュニアヘビーの独立、多団体時代、試合の勝ち負け以外での話題作り、等の近年プロレスの流れには無頓着だったと言えるかもしれません。

そう感じた三沢が「馬場批判」とも受け取れる発言をし、全日本に革命を起こしていったわけです。
馬場さんの逝去を受けてさらに三沢革命は加速し、
ジュニアヘビー選手権がセミファイナルで行われる」
アジアタッグ王者と世界タッグ王者の変則3冠チャンピオンが誕生する」
「GETの解散」
ハヤブサ&人生組のアジアタッグ挑戦、奪取」
武道館のカードがシリーズ中の発言によって(よりファンの期待する方向へと)変わる」
「モスマンの失速」
三沢と武藤のツーショットが全日本の番組で映る。三沢と蝶野の対談本が発売される」


など、1〜7について一定の結果を残しました。
ただし、1と2については形は残しましたが、ファンの意識としてはまだまだジュニアとアジアは過小評価されていると思います。


さらにその後三沢は驚くべきことを実行します。
ファン感謝デーでの全カード抽選決定と武道館5大シングルマッチです。
ファン感では抽選するのはファンの人でしたし、武道館の5大シングルマッチでもファン投票によって試合順を決めました。
こんなことはこれまでの全日本プロレスでは考えられないことでした。

試合内容では全日本らしさを失わずに、これだけ新鮮なことをやってのけた三沢に、正直驚きました。


でも、ここ2シリーズ('99ジャイアントシリーズ と '99世界最強タッグ決定リーグ戦)を見る限りでは、結構大人しくなってしまったような感じです。ノーフィアーくらいですね、頑張ってたのは。

来年から三沢がどのような指揮を取るのか? 東京ドーム大会はあるのか? 新日本との対抗戦は? 等、興味はつきませんが、来年のことを言うと鬼に笑われるので、あまり言いません、が、ファン感での全カード抽選決定や、武道館5大シングルマッチ等の新鮮さを失わないようにしてほしいと思います。


三沢革命の副産物としては、社長が講演会やトークショーで下ネタ話を連発するようになったこと、が挙げられますね(笑)。



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