題名の三人の共通点は何でしょう? 色々挙げられると思いますが、ここでは、下の点について見ていきます。
1、日本で頂点を極めた外人選手
次に2、について。
一般的に言われそうなことは、
等でしょうか。
ベイダーとノートンは身長190cm、ウィリアムスは188cmです。まあ、身長は鯖読みが普通ですので(特に、190とかだと、実際は187〜189くらいのことが多い)、大雑把に言うと“小橋くらい”の身長なわけです。
つまり、アメリカではそれほど大きな選手ではないので、いくらパワー重視のスタイルをしても、迫力がイマイチでなかったというわけです。
これが、ベイダーやノートンやウィリアムスが、実力がありながらアメリカで成功しなかった、最大(言い過ぎかな?)の理由だと、私は思います。
|
ジャーマンスープレックスの元祖と言えば、言わずと知れた「カール・ゴッチ」です。 そのゴッチが日本で初めて公開したのが1961年4月の日本プロレスでの対吉村道明戦です。力道山もこの試合を花道の奥から見ていて、試合終了後に「最高だね…」と一言呟いた、という伝説があるほど、名勝負として語り継がれている試合です。
ジャーマン失墜の流れを防いだのが、90年代に開発された“投げっ放し”です。当時Uインターに所属していたG・オブライト、 新日本で星野貫太郎を病院送りにしたR・スタイナー、 全日本の3冠戦で川田に驚異の3連発を見せた三沢光晴。
具体的に言うと、本田多聞のような投げ捨てジャーマン(相手を持ち上げてから貯めることによって受け身を取りづらくさせ、尚且つ角度をつける)ならまだしも、獣神サンダーライガーが一時期使っていたような投げ捨ては、実に低級な物だということです。
|
今年の、全日本プロレス暮れの名物シリーズ「世界最強タッグ決定リーグ戦」は、小橋&秋山組の2連覇で幕を閉じました。 順当といえばかなり順当な結果でしたが、ハンセン&田上組の大奮闘もあって、最終戦が行われた日本武道館は多いに盛り上がりました。
このうち、満員のマークがついたのは、1月の三冠戦のみです。と言ってもこれはシリーズ最終戦で三冠戦であることを考えれば、武道館級のカードであり、厳しい言い方をすれば満員になって当然といえるでしょう。 他の大阪の会場(大阪府立体育会館第2競技場、大阪市中央体育館、はびきのコロセアム、なみはやドーム)は2階席のないような所ばかりで、さすがに満員と発表してもいいような(約1500〜2000くらい)入りですが。
同じようなことは、東京ドームを一杯にすることに力を費やしている新日本プロレスが、日本武道館に苦戦している現状にも当てはまります。
|
ジャイアント馬場さんが亡くなって早くも10ヶ月が経とうとしています。 三沢が社長となり、新たなる全日本プロレスが始動したわけですが、以前の馬場・全日本とどこが変わったのか、改めて見てみましょう。
三沢の主な考えは以下の通りです。
5、過剰にならない程度のアングル作り 6、モスマンの過大評価の修正
馬場さんというのは良くも悪くも、自分の考え方をめったに変えない人でした。 そこから信頼感や安定感が生まれていたわけです。しかし一方で、ジュニアヘビーの独立、多団体時代、試合の勝ち負け以外での話題作り、等の近年プロレスの流れには無頓着だったと言えるかもしれません。
そう感じた三沢が「馬場批判」とも受け取れる発言をし、全日本に革命を起こしていったわけです。
など、1〜7について一定の結果を残しました。 ただし、1と2については形は残しましたが、ファンの意識としてはまだまだジュニアとアジアは過小評価されていると思います。
試合内容では全日本らしさを失わずに、これだけ新鮮なことをやってのけた三沢に、正直驚きました。
来年から三沢がどのような指揮を取るのか? 東京ドーム大会はあるのか? 新日本との対抗戦は? 等、興味はつきませんが、来年のことを言うと鬼に笑われるので、あまり言いません、が、ファン感での全カード抽選決定や、武道館5大シングルマッチ等の新鮮さを失わないようにしてほしいと思います。
|