カシンの冬



2000年8月27日のPRIDE10でハイアン・グレイシーに敗れて以来、ケンドー・カシンが苦しい状況にあります。

2000年9月13日に高岩のIWGPに挑戦して敗れたのはまだしも、2000年12月14日には小原に敗れ(しかも3分7秒で)、2001年1月4日には飯塚にも敗れました(こちらは6分12秒)。小原戦も飯塚戦もあっさりとした敗退で、特に小原に3分少々で負けてしまうというのは、かなり厳しい結果でした。
99年7月1日(IWGPベルト奪取の少し前)にはヒロ斎藤をシングルで破っていることを考えれば、いわゆる“干されている”状況であるのは間違いありません。
そうなってしまった最大の理由が、ハイアン戦での敗北です。

つまり、「ハイアン > カシン」という図式が出来上がってしまい、ここで新日本内で「カシン > ※※」とすると、※※選手の立場がなくなってしまうというわけです。
さらに2000年12月23日には「桜庭 > ハイアン」という図式が追加されましたので、もうしばらくこの苦しい状況が続くのではないでしょうか。


カシンは実力・キャラクター共に確固たるものを持っていますので、このまま終わることはないと思います。今後、カシンの進む道は2つあると思うのですが、それは、
1、 新日本以外のノールール系の大会に再び出場し、勝利を収める。
2、 PRIDE参戦は過去のものとしてキッパリ忘れ、プロレス一本に絞って再びジュニアリーグ優勝・IWGP獲得を目指す。
です。昨年の大晦日に桜庭と一騎打ちを行いましたので、今のところはどちらを選択するのかは分かりませんが、仮に2を選んだとしても、流れの速い今のプロレス界では、意外と早く風化して、逃げたというような印象にはならないと思います。



1と2を同時進行で進めていって達成すれば、それがベストな方法であるのは間違いありません。……が、このコラムのメインテーマは、
「プロレスとバーリトゥードを両立しようとすると失敗する!」
というものです。
カシンがハイアンに敗れた最大の理由は、この両立を狙ったことだと思います。

というのも、馳浩曰く
ファンの人に理解していただきたいのは、『ルールが違えば勝ち方も何もかも違うんだ』ということだね。あるルールに完璧になれるようにトレーニングするには、やっぱり3年から5年はかかるよ」

例えば、藤田和之はPRIDEでもプロレスっぽい戦い方で強さを発揮していますが、それでも何ヶ月もプロレスを休んでからPRIDEに初参戦しました。現在では長期間に渡りプロレスの試合はしていないので、現在彼が“プロレスラー”なのか“元プロレスラー”なのかは議論のある所です(本人はプロレスラーを名乗るのでしょうが)。

同じことは桜庭にも言えると思います。本人はプロレスラーを名乗っていますが、カシン戦を見る限りは、プロレスラーとしては一流ではありませんでした。

プロレスとバーリトゥードを両立させていた選手としてアレクサンダー大塚が挙げられます。しかし、彼はマルコ・ファス戦以降、バーリトゥードで特に実績を挙げていません。(厳しい言い方になりますが)マルコ・ファス戦が出来過ぎだったのではないでしょうか。また、今年の1月にノアと全日本のそれぞれのビッグマッチに出場したのですが、どちらも期待はずれでした。私の中では、アレクの株は暴落しています。


というわけで、私の考えではプロレスとバーリ・トゥードは別の競技であり、プロレスの片手間にできるほどバーリ・トゥードは簡単ではないし、その逆もしかりです(2000年大晦日の猪木祭りで、1流格闘家が2流レスラーになってたのがいい例だと思います)。

前出の馳浩の発言の続きです。
責任は猪木さんにある。
ゴッチャにして、曖昧にして、面白そうにお客を煽って、営業に結びつけてきたのが猪木さんなんだから。その尻拭いを今の若い衆がしてるわけだな」




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長州力 2



長州の肩書きというと、近頃は“現場監督”というのが定着しつつあります。
プロレス界でこういう呼ばれ方をしているのは、先にも後にも長州だけだと思いますが、ここでは現場監督・長州力について考えてみたいと思います。


長州の役目の一つとして、マッチメイクがあります。
長州のプロデューサーとしての一面がクローズアップされたのは、一応は高田との電話対談後に即決でドーム大会開催を決定したことになっている、95年10月9日の東京ドーム大会でしょう。
日本人選手のみ・全カード対抗戦・ほとんどがシングルマッチ・大会当日までの準備期間の短さ、と多くの点に置いて前代未聞であったこの大会が大成功をおさめたことにより、新日本で年に複数回のドーム開催が定着したわけですから、この大会が与えた影響というのは極めて大です。
まあ、私個人的としては、ドーム中心プロレスというのは好きじゃないのですが。


試合会場に緊張感を走らせているのも、長州によるものです。
新日本プロレスの給料は年間保証制です。一人当たりの金額も日本ではダントツでトップですし、たとえケガをしていても給料は保証されているわけですから、レスラー側から見れば理想的な制度なわけです。
しかし保証制というのは、場合によっては手抜き試合を招いてしまうかもしれません。それを防ぐために大活躍してるのが長州なわけです。
つまり、気の入ってない試合をすると、試合後長州に呼び出され、ガガーンと雷を落とされるわけです。これは他団体の選手にも遠慮なくやるそうで、新日本の試合が一定のレベルを保てているのも、長州の功績ということになります。

ところで、第三世代のファイトスタイルについて、辛口な評価がしばしばなされます。これは「当時コーチをしていた馳が、練習をロープワーク中心にしたこと」が原因の一つと考えられますが、それと並ぶもう一つの理由として、この長州の指導があると思います。
長州好みの試合というのは、会場をバンバン沸かす試合です(長州自身、「グランドの攻防は道場でやればいい」と言っています)。もちろん、会場を沸かすのにはそれ相応の技術が必要ですが、これを第三世代の選手が心掛けた結果、4人ともが“元気に声を出しながらよく動く”というスタイルにおさまってしまい、没個性化・非ストロングスタイル化になったと思います。


また、長州現場監督のスタンスの一つとして、マスコミへの対応の厳しさがあります。これは
素人(プロレスをしたことのない、の意)にプロレスの何が分かる
俺達レスラーは凄いことをやってるんだから、観る方はレスラーの凄さに素直に驚けばいい
という考え方に基づくもので、プロレスラーとしてのプライドに溢れる考え方と言えばそうなりますが、例えばこのコラムのように素人が偉そうに長州を批評するなど、許されないことなわけです(笑)。

その反動として、新日本について悪く言わないマスコミに対しては態度が軟化し、「マスコミは東スポだけでいい」という有名なセリフを生んだり、最近の週刊ゴングでのインタビュー(俗に言う、「おい金沢」インタビュー)で言いたい放題となるわけです。

ファン全体に占めるライト層とヘビー層では、ライト層の方が圧倒的に人数が多いわけで、このようなスタンスででも今日の繁栄を築いているのでしょうが、試合を見て喜ぶだけ、というプロレスの見方は底が浅い物のように思うのですが……。



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長州力 1



全日本との対抗戦が終了後、新日本で話題の主軸となりそうなのが、現役復帰した長州力です。
あれだけ何度も「ファイナル・パワーホール」という大会を開催しておきながら当たり前のように復帰したのは、テリー・ファンクや大仁田厚と並ぶ引退撤回振りですが、声援の多さは相変わらずです。


長州が日本のプロレスに与えた影響として一般的に言われているのは、
1、日本人抗争
2、ハイスパート・レスリング
の二つです。それぞれ説明するまでもないかもしれませんが、「噛ませ犬発言」を発端とする藤波との抗争、これは当時としては画期的な日本人同士の抗争でした。その抗争及びタイガーマスクの登場などによって、新日本で確立されたのがハイスパート・レスリングです。

ここでもう一つ、長州の影響として強調したいのが、“タッグマッチの連係プレー”です。
ハイジャックパイルドライバーは維新軍が元祖ですし、バックドロップとネックブリーカーの合体も長州&谷津組が元祖です。さらには6メンタッグでしばしば見られる、相手の背中に太鼓打ち、も維新軍が元祖だそうです。これらの登場により、日本でもコンビ特有の連携技というのが定着しました。
元・週刊ゴング編集長の清水勉氏によると、「長州はメキシコ遠征で、タッグやトリオの連携を学んだのではないだろうか」とのことです(さすがはドクトル・ルチャ)。


長州力のファイトスタイルというと、“攻めのレスリングの典型”という表現がよく使われます。
このスタイルの最も極端なのがロード・ウォリアーズなのですが、要は自分のペースで攻め続けることによって、自分の強さを相手と観客に見せつけるスタイルであるということです。
日本人で、尚かつノーギミックでこのスタイルを完成させたのは長州が最初にして唯一でありますが、賛否両論であるのは確かです。

否の意見の代表者が故・ジャイアント馬場です。
馬場が好きなレスラーというのは「1,体が大きい 2,受身が巧い 3,プロレスの型を大事にする」という選手でした。プロレスの型とは、試合のペースや大技の使い方や相手の攻撃を受けたらダウンするとか、そういう伝統的な試合の作り方のことを指します。
1〜3を満たすイメージとしては「身長があと10cm高いリック・フレアー」とでもなるでしょうかね。

この1〜3にことごとく当てはまらないのが長州力なわけです。さらにジャパンプロレス時代の契約違反による確執もありますから、馬場の長州への評価はもうボロクソでありまして、
長州の体ぐらいの大きさなら、世間でいくらでもいる」
なぜ、長州が外国人レスラーとやると面白くないのか? 体が小さいから、どうしてもセオリーを無視したプロレスに走る。これが新日本の特徴だよ。セオリーがないから面白くない。でも、本人はそれで良いと思っているのだから、自分ではわからないんだ」
この連中(ジャパンプロレス軍団)体作りだけはやって来たが、プロレスの基礎は教わってこなかったんじゃないのか」
と、かなり辛口なコメントを残しています。


さて、最近の長州のファイトスタイルは、前述した“攻めのレスリング”がより特化してきていると思います。
それが顕著に現れるようになったのは、95年10月9日の安生洋二との一戦以降ではないかと思います。この試合では長州は相手の技を受けようともせず、セルもせず、さらには安生に受身まで取らせて(笑)、圧勝しました。
これは長州イズムが大爆発した試合で、個人的には90年代の長州のベストバウトではないかと思っています。これ以降も大きい試合はしていますが、大体は負けてますので、長州が負けてやったというようなイメージにしかならないわけです。

ただ、00年代になってからは、大仁田戦・橋本戦と大凡戦を連発したので、今後の長州に過剰な期待をするのはどうかなぁ、とは思います。



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今時の海外遠征



一昔前、日本プロレスの時代に海外遠征というと「出世街道の最終通過点」といった趣がありました。
つまり、日本で基礎を身につけて、付き人も経験する。その後、プロレスの本場であるアメリカに渡って実力をつける。そして満を持して凱旋帰国し、帰国第一戦で成長した姿を見せつけ、一気にメインイベンターへ。というのが、典型的な海外遠征でした。


しかし、このパターンはいつしか崩れていきます。
海外遠征を経験した選手が増えすぎて、過剰状態になったのがその原因の一つではないかと思いますが、谷津がハンセン・ブッチャー組に血ダルマにされた試合などがその典型でしょう。

そういう点で、伝統的な海外遠征を見せてくれた(今のところ)最後の日本人は武藤敬司ではないかと思います。
デビュー(84年10月)してから一年で海外遠征に旅立ち、瞬く間に出世してリック・フレアーのNWAタイトルに挑戦するまでに至り、そしてスペース・ローン・ウルフとして鮮烈な凱旋帰国、というのは、天才・武藤ならではではないでしょうか。


さて、現在(90年代以降)では海外遠征を常時行っている団体は新日本プロレスだけです。
全日本もその前は行っていたのですが、SWSによる大量離脱後は、海外遠征は誰も行っていません(大森のWWF単発出場は例外)。田上が最後で、小橋は遠征を計画中に大量離脱が起こったとのことです。
大量離脱直後は選手不足が深刻だったというのが、この方針の理由でしょうが、それ以降の比較的選手数が安定してきてからも、一切行っていません。その理由として馬場は「アメリカのプロレスの質が落ちた」と言っていました。

確かにアメリカマットの各テリトリーが衰退していき、テレビ局に支配されるようになれば、海外遠征のメリットが減ったというのは言えると思います。
しかしその結果、全日本の選手には「なんとなくオールラウンダー」という選手が増え過ぎてしまいました。つまり、どんな動きも無難にこなすが突出した点はあまりなく、また団体内の全員が同じ様な動きをする、ということです。同じことはパンクラスについても当てはまると思います。
これは、海外遠征が行われなくなったことの弊害だと思います。

健介、橋本、蝶野、馳らは、海外のローカルプロモーションを回り、非常に厳しい環境で修行をしました。その中で人間的な強さ、さらに観客やプロモーターを引きつける術を身につけたわけです。
そんなわけで、たとえ昔のように凱旋帰国後即メインイベンターとはならなくても、海外遠征というのは続けるべきであるというのが私の考えです。


さて、ようやく第三世代以降のレスラーの海外遠征についてみていきましょう。
中西、永田はWCW遠征で、実際に全米のTV中継大会にも出場しました。
天山、小島、西村、石沢、吉江、健三、はカルガリーの大剛鉄之助氏(鬼コーチをして知られる)の下でトレーニングを行い、その後世界各地に旅立っていきました。
今後のWCWと新日本の関係は未定ですが、WCWルートとカルガリールートの2種類があると考えて良いのではないでしょうか。

WCWは資本があるだけに、練習に集中できる環境にあるそうですが、今は日本に逐一情報が入ってきますので、凱旋帰国試合での玉手箱的インパクトがどうしても不足してしまうでしょうね。
獣神サンダーライガーも1年と少し前にメヒコとWCWに遠征しました。しかしこの遠征は評価できる点があまりなくて、特にIWGPベルトの価値が下がった(フゥーベント・ゲレラが奪取した後、負傷のためシコシスに譲渡された。こんなことは日本では考えられない)のはいただけなかったです。要はブラックライガーになるための布石にしたかっただけなのでしょうね。

大剛氏のトレーニングを受けると、天山・小島のような体型に肉体改造されます。動ける筋肉とレスラー脂肪が混ざった、ヘビー級レスラーとしては理想的な肉体になります。
今何かと話題の大谷も大剛氏の指導の下、肉体改造に励みました。ところで、この大谷ですが、海外遠征に出たのが昨年のG1クライマックス出場後、凱旋帰国が今年の1・4ドーム、ということは実質4ヶ月弱の遠征だったことになります。たった4ヶ月であれだけ強くなれるのであれば、若手は次々と遠征に行った方が、新日本の実力底上げになるのではないかと思いますが…。



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