ヒットマンとHBK part2



アンダーテイカー、 オーエン・ハート、 ディーゼル(ケビン・ナッシュ)、 シッド・ビシャス、 スティーブ・オースチン、ブリティッシュ・ブルドッグ(デイビーボウイ・スミス)、 ミスターパーフェクト(カート・ヘニング)、 レザー・ラモン(スコット・ホール)、……。
アメリカンプロレスにおいて、いわゆる一流と言われている選手達ですが、彼らのレスラーとしてのベストバウトを挙げると、一般的にはヒットマンもしくはHBKがらみのカードとなります。
オーエン、ストーンコールド、ブルドッグ、ヘニングはヒットマンとのシングルが選ばれますし、アンダーテイカー、ディーゼル、シッド、ラモンはHBKとのシングルが選ばれます。


ヒットマンはどちらかというと、自分と同じくらいの中量級の選手とのレスリングテクニックを比べあうような試合を得意としていて、それは上に挙げたレスラーの顔ぶれから明らかでしょう。
もちろん、アンダーテイカー、ヨコズナ、ビガロあたりとも十分好勝負を残していますけども…。

HBKは、2m級の選手の周りを激しく動き、豪快なバンプを連発するような試合を得意としています。上には挙げませんでしたが、ベイダーとも好勝負を残しています。
ヒットマンとの直接対決になると、グランドテクニックなども披露してくれますが、さすがにヒットマンと比べると少々見劣りがしました。



「ヒットマンとHBK、どちらがスゴイか?」

これはかなり究極の質問なのですが、私としては、HBKを推したいところです。まあ、99対100くらいの僅差ですけども。

その理由としては、HBKのファイトスタイルの独創性にあります。

ヒットマンのファイトスタイルを一言で表すと「TV解説者に指摘されること無い選手」とでもなるでしょうか。
一般的にTV解説者は「ここで休んじゃダメだ」「アピールに気を取られ過ぎている」「もっと一点に攻撃を集中させないと」「技を失敗しちゃいけない」というようなことを繰り返し言うものです。
ヒットマンの試合では、こういう指摘を受けてしまうようなファイトは絶対にしません。そのくらい精密機械のような試合を展開していくのです。驚くというよりは、唸らされるような試合展開をするレスラーです。

それに対しHBKは、天性の試合コントロールとリングを一杯に使ったバンプを駆使して戦います。このスタイルで最も本領を発揮できる相手というのが、HBKよりも大きくてパワーのある選手であるわけですが、このようなスタイルと同じようなタイプの選手は、現在も過去にもいないと思います。
また、彼ほど華麗さを感じさせながらハードコアな動きをする選手はいません。


もちろん、どちらも素晴らしいのですが、私がHBKの試合を理解し始めた頃、
「こういうスタイルの選手がいたのかぁ!」
と新種発見とでもいうべき衝撃を受けたのを覚えています。



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ヒットマンとHBK part1



ブレット・ハート(以下、ヒットマン)とショーン・マイケルズ(以下、HBK)、90年代のWWFで全盛期を迎えた2人のレスラーです。
この「ヒットマンとHBK」シリーズは、この二人のキャリアやレスラーのあり方を何回かに分けて紹介し、そこから見えるプロレスのあるべき姿を見ていこうという、というものです(大袈裟に言えばですけどね)。


私の考えとして、「レスラーというのは、試合開始のゴングが鳴ってから、試合終了のゴングが鳴るまでの間で、観客を魅了し納得させなければならない」 と思っています。
つまり、派手な入場シーンやマイクパフォーマンス、その試合に至るまでのサイドストーリーはあくまで付加価値であって、純粋な試合内容のみで魅せれなければならないということです。

この考えに最も近いのが、四天王時代の全日本プロレス(鶴龍対決や鶴田対三沢も素晴らしいですが)とニュージェネレーション時代のWWFです。
そのWWFニュージェネレーションを最も象徴するのがHBKであり、そのニュージェネレーションを呼び込んだのが、ヒットマンなのです。



ヒットマンはカナダ・カルガリーのスタンピートレスリング(プロモーターが父親のスチュ・ハート)で、ミスター・ヒトとケンドー・ナガサキのコーチを受けてデビューし、レスラーとしての基礎はここで学んだ。新日本への来日を経て、WWFに入団したのが84年7月。

HBKはホセ・ロザリオのレスリングスクールでトレーニングし、南部レスリング(主にテキサス)を巡って、そこからAWA、WWFと着実に立身出世していった。
余談ですが、HBKは日本との接触は極端に少ないレスラーという印象がありますが、テキサスオールスターレスリングに参戦している頃に、冬木弘道や川田利明と戦ったことがあるそうです。


二人のWWF入団までのキャリア注目していただきたいのは、ちゃんと下積みを経ている、ということです。
基礎を学んだ後に、各地を転々としながら前座の試合をこなしていくことにより、レスラーとしての厚みが出てくるはずです。

派手なスタンドの攻防ばかりが求められるプロレス、あるいはテレビ主導のプロレスを行っていると、「大味な攻防だけになる」「お互いに手の内を知り尽くしていないと試合を作れなくなる」「危険技を出すのと技の進化がイコールで結ばれてしまう」などの弊害が生じます。

よって、この二人がトップを張っていた時代と、今の観客を乗せることだけを考えているWWFプロレスとはかなり異質であり、(極論すれば)今のWWFはレスリング技術の低さを派手な技と演出と壮大なサイドストーリーで誤魔化している、と言えます。

WWFが今のスタイルになったのは、ストーンコールドの登場が大きな要因なのですが、ストーンコールドは下積みを経ている選手(元々はグランドテクニックが売り物の選手だった)ですので、ストーンコールドそのものが原因というわけではなく、ファンが今のスタイルを求めていた、と言えるかもしれませんね。



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レスラーの前歴



プロレスは、学校の体育の時間に習ったり、スポーツ大会の種目になったりという事がありません。よって、レスラーは何か他の種目で実績のある選手であることが多いです。
アマレス・相撲・柔道・重量挙げ・フットボール・ラグビー・野球など、実に様々な分野で実績のある人が、プロレスに転向しています。前歴を生かした攻撃をすると(安田の張り手や鈴木健三のスピア)、純粋なプロレスとはひと味違う技を出すことができます。

このように書くと、プロレス以前に何か他のスポーツで実績を残しておいたいいように聞こえますが、実際はそうでもありません。
というのも、アントニオ猪木曰く「俺はスポーツといっても、プロレス以外では砲丸投げくらいしかしてなかったから、プロレスの受身というのを素直に収得することができた」。
また、三沢光晴曰く「例えば柔道やってる人だと、投げられた時点で勝負がつくと思ってる。でも、プロレスはそうじゃないんだから。(入団審査の時には)実績とかよりも、本人のやる気を判断材料にする」とのことです。
つまり、レスラーになる以前にそれなりに体を鍛えておくことは必要ですが(そうじゃないと入団もできません)、それ以後は本人のやる気・練習量、そして転向時の年齢次第である、ということです。




昔は各界出身者というのがものすごく多かったのですが、今ではそれほどでもないです。
力士といっても色々な体型があり、いわゆるアンコ型の体型は、持久力を必要とするプロレスには向いていません。ノアの力皇は「チェンジ ザ ボディ!」に励んでもらいたいものです。


各界出身に代わって最近多いのは、アマレス経験者とアニマル浜口ジム出身者でしょう。

アマレスには2つのスタイルがあります。
足への攻撃及び足を使った防御が禁止されているグレコローマンスタイルと、全身を使っていいフリースタイルです。
基本的にやることは同じですから、両方のスタイル対応できるように練習するのですが、あのアレキサンダー・カレリンですらフリースタイルでは優勝できない、というくらい別種目であるともいえます。
グレコローマンの方が(ルールの)制約が多いわけで、グレコローマン出身者がいざプロレスに転向したときには、スープレックス以外では特に、アマレス経験を生かす攻撃というのはありません。逆にフリースタイル出身ですと、足へのタックルや流れるようなグランドでの攻防など、プロレスに生かせる要素がたくさんあります。


アニマル浜口さんといえば、国際・全日・SWS・新日・WARを渡り歩いた名レスラーであり、女子レスリング世界チャンピオンの浜口京子さんの父親でもあります。
浜口さんは現在ジムを経営しており、ここの出身者であると、それが推薦状のような形となって、メジャー団体への入団が容易になるようです。これを頼りに、特にスポーツで実績を上げていないレスラー志願者が多く浜口ジムを訪れており、出身者第一号の小原道由以下、続々とプロレスラーを輩出しています。
ちなみに小原という選手、ランニングエルボーとランニングネックブリーカーを師匠から引き継いでいるのはいいのですが、どうも体の鍛え方が師匠のようではない(浜口さんというのはすごく練習熱心で、鋼のような体をしていた)のが残念です。



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全日本分裂、その4



全日本が分裂してから、4ヶ月近くが経ちました。さすがに選手層が薄くなった影響が出ていますが、
「天龍の復帰」
「外国人選手のフル稼働」
「インディー選手の積極的登用」
「新日本との対抗戦」
などを打ち出して、何とか老舗の看板を守っている状態です。

このような姿勢は、“なりふり構わぬ再建策”といえるでしょう。


この姿勢には、批判の声も多いです。
つまり、馬場さんの作った全日本プロレスを存続させる、という旗をかかげておきながら、馬場さんが絶対にしなかった(特に天龍の復帰)ことをしてるのは筋違いじゃないか、という意見です。

しかし一方で、
「川田と天龍の絡みが見れる」
ハンセンやキマラといった、来日ペースが落ちていた外国人が、毎シリーズ来るようになった」
バトラーツや闘龍門の選手にとっては、名前を売るいい機会になっている」
「やはり全日vs新日には夢がある」
などは、全盛期の選手層や、馬場政権下では考えられなかったことですので、馬場さんの遺志に反していると一概に責めるのは早計だと思います。



が、どうにも納得できないことが起こりました。
大仁田厚の参戦です。

これは一体どういう解釈をすればいいのでしょうか?
ファンが望んでいるとは思えませんし、何より一枚看板である川田が強い拒絶反応を起こしていたというのに、参戦が決定してしまったのです。

天龍の参戦、新日本との対抗戦は、それなりに納得できる背景があります。
でも、大仁田参戦ってのは理解できない。話題さえ作れば武道館が埋まると考えているんでしょうか? “なりふり構わず”にも程があります。
それと、話題を寝かせたり、適度に分散させたりということを全く考えていないようなので、一年後くらいに(話題の)弾切れを起こしてしまうような気がしてなりません。



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