HHHとロック



ストーンコールドが欠場中の現在、WWFの二本柱として活躍しているのがHHHとロックです。
レッスルマニア2000のメインで最後に二人が残ったのをはじめ、次のバックラッシュ2000、その次のジャッジメント・デイと、3大会連続PPVのメインを飾りました。

ロウ・イズ・ウォーで毎週のように前哨戦をしている甲斐もあって、バックラッシュも好勝負でしたし、ジャッジメント・デイでのアイアンマッチ(60分マラソンマッチ)は、二人を再評価さざるを得ないだけの内容でした。


60分の試合を見て、ロックはやはり短期決戦型のスタンディングでの攻防がメインの選手だと思いました。特に、足4の字固めが下手だったのは幻滅でした。

この試合を作っていたのはHHHでした。
私のHHHへの評価はかなり低かったのですが、この試合でかなり見直しました。

3年ほど前、HHHとサージャント・スローターが抗争したことがありました。
あまり高く評価してないHHHと、一度WWFをリタイアしたスローターの試合ですから、全然期待をせずに見ました。ところが! この試合はパウダーやセコンドまで入り乱れて、(品はないけど)なかなかの盛り上がりを見せることとなったのです。特にスローターに関しては、レッスルマニアのメインを張ったときよりもいい試合をしていたと思います。
この何カ月か前のデュード・ラブとの金網マッチや、レッスルマニア14でのオーエン・ハート戦、同年のサマースラムでのロックとのラダーマッチなど、会場を沸かす好試合を連発する選手でした。明かに動きの思いきりのよさや、技のダイナミックさに関しては見劣りしていたというのに、です。


この頃のHHHと今のHHHはさほど変わっていません。この“いい試合を作る力”こそがHHHの魅力だと思います。
チャンピオンになってしばらく経って(ステファニーと結婚した頃)からは、一つ一つの動きも大きくなりましたし、歴代のWWFチャンピオンと比べても遜色無くなっていると思います。



何よりWWFの選手を評価できる点として、休まない、というのがあります。
PPVは日曜日であり、ここでいくら激しい試合をやっても、次の日のロウではいつも通りの動きを見せてくれます。これを年間を通してやるのは、ハタで見るより相当ハードな筈です。

日本のプロレスが無くしてる毎週生放送というのを今も持っている、アメリカのプロレス……、日本が見習う点も数多くあるのではないでしょうか。



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名前について



全日本プロレスのマウナケア・モスマン選手が改名しました。一般公募の結果、「太陽ケア」となったのです。
応募した方と選考した人のセンスは、私の脳とは相当掛け離れたものだったようですね……。モスマンのためにも、早目にもう一度改名してくれればな、と切に願っています。

レスラーの改名というと、FMWの田中正人が田中将斗に変わったのは、いい改名の例だと思います。何となく、気のいい若手選手というイメージの正人が、強そうなメインイベンターの将斗へと、脱皮していきましたから。
また、SATOとテリー・ボーイがそれぞれディック東郷とMen'sテイオーに改名したのには賛否両論ありましたが、その後の海援隊の大活躍をみれば、失敗ではなかったと思います。
逆に、佐野直樹から佐野友飛へ、冬木弘道(ひろみち)から冬木弘道(こうどう)へ、飯塚孝之から飯塚高史へ、マサ斎藤からマサ・サイトーへ、小橋健太から小橋建太へ、などはよく分からない改名でした。
またJWPの選手が一気に改名したのも、混乱を招いただけだったと思います。

しかし、大事なのは、改名後の活躍です。
新リングネームが定着するかどうかは、その後の活躍にかかっているのです。だって、名前がカッコいいという理由だけで応援したりはしませんから、普通は。それよりも、TVやマスコミへの露出が増えれば、自然と定着するはずです。
だから、モスマンもこれからより一層の活躍(早い話が大物食い)をすれば、新リングネームの太陽ケアも、案外定着してくれるのではないでしょうか。



リングネームの他に軍団の名前についても考えてみます。
最近に日本結成されたチームの名前は、TEAM2000、G−EGGS、バーニング、アンタッチャブル、ノーフィアーなどなど、とにかく日本語を使いたがらない傾向があるようです。昔は維新軍とか天龍同盟とかあったは、今の時代にはマッチしないようですね。

私が気に入っていた名前に川田と田上の“聖鬼軍”がありました。もちろんこの名前は“正規軍”とかけているわけで、一ひねりしてあって好きでした。

さて、私が一番気に入っている軍団名は、ショーン・マイケルズが結成した“D-generation X”(略すとDX)です。
D-generationの部分はdegenerationという単語表していて、ここでは堕落という意味です。
generation Xとは、アメリカが不景気だった80年代に、アメリカで育った世代を指す言葉で、バンドの名前がその語源だったはずです(確証なしですが)。
この二つのキーワードを、共通のgenerationの部分を重複させて合体させたのがDXというわけです。DXはいわゆるヒール軍団ですから、意味の面でもピッタリだと思います。
誰が考えたのかは知りませんが(ひょっとしたら、ショーン本人かも)、何ともセンスのあるネーミングですよね。太陽ケアとは次元が違います(しつこいか?)。



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桜庭vsホイス



なぜか今頃、2000年5月1日に行われた、桜庭和志vsホイス・グレイシーの一戦について考えてみたいと思います。


ホイス側が要求した「ラウンド無制限」という条件を桜庭が受けて実現したこの試合。
序盤(2ラウンドまで)はホイスが積極的に攻めて、桜庭が受け流すという展開。が、1ラウンド終了間際の左膝へのヒザ十字固めが決まったのと、ホイスが攻めすぎてスタミナ切れをしていたので、これ以後は桜庭が勝負の主導権を握るようになります。
グラウンドでも桜庭が主導権を握り、左膝へのローキックの度にホイスの顔が歪むようになり、7ラウンド開始直前にセコンドがタオルを投入し、ついに歴史的な打倒グレイシーが達成されました。


さて、この試合は90分もかかったわけですが、現在のプロレスの試合では90分の試合というのはめったにお目にかかれません(昔は90分3本勝負とかもあったらしいですが)。
60分時間切れであれば、いろいろと実現しています。力道山vsルー・テーズにはじまり、馬場vsジン・キニスキー、 猪木vsロビンソン、 猪木vs藤波、 鶴田vs長州、 といった歴史的勝負がありますし、平成になってからも、川田vs小橋で2回あったを筆頭に、全日本・WWF・インディー・女子プロで実現しています。

60分の試合というのを、私もいくつか見てきましたが、それらと比べて、この桜庭vsホイスというのは、最も“眠くならない”試合でした。
たとえ全日本四天王対決であってもヒットマンvsHBKであっても、60分の試合となると、盛り上がりの谷間があったり、レストホールドを使う時間帯があったりしました。


ところがこの試合は、不思議と中だるみがありませんでした。
桜庭が色々と奇天烈な行動をとった(ホイスの柔道着を脱がせにかかる、モンゴリアンチョップを出す、ホイスを逆さ吊りにする、などなど)ことも原因でしょうが、一番の原因は、ノールール系ならではの緊張感ではないでしょうか。
つまり、いつ勝負が決するか分からない、というプロレスではなかなか出すことができない空気が、我々見る側の集中力を持続させていたわけです。
プロレスでもこの種の緊張感はあるべきなのでしょうが、どうしてもセオリーというものがあるだけに、難しいのでしょうね。



全体を張りつめた緊迫感に支配されつつも、笑いあり、激しさありで、そして最高のエンディング。
やはりこの試合は、歴史に残る一戦でしょうね。



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レスリング ウィズ シャドウズ



「wrestling with shadows」、これは映画のタイトルです。
ジャンルで言うと、プロレスドキュメンタリーとなり、ヒットマンことブレット・ハートのプロレス観やプライベートショット・家族とのふれあいを描いた作品です。

が、諸事情によりそれだけでは終わらず、プロレスの裏側・劇的なシーンを映画におさめることとなり、大いに話題を集めました。



その諸事情その1は、ヒットマンが随分と撮影許可を広く認めたこと。これにより、「今日の試合の終わり方はどうする?」とレスラーと役員達が相談しているシーンが映画に収録されることになりました。
日本で同じことがあれば、「ケーフェイ」以上に話題を集めることでしょう。

諸事情その2は、撮影時期にヒットマンがWCWから移籍の誘いを受けていたこと。
最終的にはWCWに移籍するのですが、そのために、WWFでの最後の試合についてビンス・マクマホンと対立し、「史上最大の裏切り」が待っていることとなるわけです。

その1とその2を足すと、観客不在で行われたヒットマンのWWFでのラストマッチを、表も裏も克明に映像として収録したことになります。
後に「ヒットマンが移籍したのは、この映画を劇的にするためだ」という噂が立ったのも、納得ができるほどの内容です。


色々と考えさせられる作品ですが、私なりにヒットマンが離脱を決意した理由を考えてみます。

まず、WWFはヒットマンをあまり大事にしようとは考えていなかった、と思われます。
というのも、ストーンコールドの大ブレイクにより、新たな路線に突入しようとしていたWWFにとって、古典派であり、ギャラの高いヒットマンはお荷物になりかねないからです。
ヒットマンも、その辺のことは敏感に感じ取っていたと思われます。

しかし、それよりも大きな理由だと私が考えているのは、ショーンに負けた、というものです。
負けたといっても、最後の試合のことではなくて、No.1ヒールの座を巡っての政治的な争いです。
ストーンコールドがNo.1ベビーフェースになったことにより、ヒットマンとショーンがNo.1ヒールの座を奪い合うことになりました。犬猿の仲で共にプライド高い二人が、争ったわけですから、これは戦争です。
最終的にビンス・マクマホンがショーンを選択したことが、ヒットマンがWWFを離脱する最終的な要因であったと考えます。


他にも、ハート家の地下道場が少しだけ再現されたり、ヒットマンが故ディノ・ブラボーを嫌いだったり(笑)、アメリカのプロレスファンの生の声が聞けたり、ヒットマンがすでに離婚していたことがわかるなど、アメプロファンであれば、大いに楽しめる作品だと思います。



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