日本とアメリカで名称が異なる技の一つに「トラースキック」があります。
トラースとは英語で書くとthrustで、発音は“スラゥストゥ”となります。これが、発音しやすいようにと“トラース”となったのです。radio(レィディオ)をラジオと発音しているのと似ていますね。
トラースキックはアメリカでは主に「スーパーキック」と呼ばれています。
若手の頃から得意技としていましたが、その頃は“終盤に差し掛かる頃合い”に主にカウンターで出しており、フィニッシュとしては使っていませんでした。 フィニッシュ技を大事にするアメリカのプロレスにおいて、ショーンもトラースキックは「ここ!」という場面でしか使いませんでしたし、出す前には足踏みをしてリズムを取るなど、一工夫も二工夫もして使っていました。
ディーゼル・ビシャス・アンダーテイカーといった2m選手のアゴにも見事な一撃を決めていましたが、ショーンがどれくらい本気で(?)蹴り上げているかは、蹴った後にどの程度体勢が崩れているかでわかりました。
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全日本が分裂してから、最初のシリーズが始まりました。 当然ながら川田の試合・発言には以前よりも注目が集まります。 渕も、「半年に一回くらい、鬼になって本領発揮。それ以外はラッシャーさんと抗争」というスタイルは完全に崩れ、連日若手やトップ選手と戦っています。
彼は97年にジュニアヘビー級王座を奪取、98年にはヘビー級に転向し、試練の七番勝負を行うなど、実に順風満帆に出世街道を上っていきました。
残留し、自分の立場の重さを感じているのか、川田に「ケア(モスマン)が今までと違うんだよ。自分が頑張ろうって気があるから、前に前に出てくるでしょ」と言われるほどの活躍を見せています。ようやく自分にスポットライトが当たる状況がきたわけです。
天龍の電撃参戦が決定したわけですが、馬場さんは
確かに馬場さんの遺志に反することかもしれません。しかし、それを承知のうえでも「天龍vs川田」は見てみたいカードです。
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新日本のジュニアで異彩を放っているケンドー・カシンについて分析してみたいと思います。
新日本プロレスというのにかなり誇りを持っていて、テリー・ボーイ(現・Men'sテイオー)が新日本に参戦した時に「学生プロレスあがりと一緒にするな」と発言したことがありました。
また、ケンドー・カ・シンとして帰国第一戦(97年4月17日、対山崎一夫)では、妙にリズミカルなマウント掌底が観客の失笑を呼んでしまいましたが、その失笑が本人にとっては屈辱だったようで、
とここまでだと、まっすぐに道を進まない、頑固者で近寄り難い(実際入場シーンで不必要に近づくと、突き飛ばされるそうです)といった感があります。
さらに、第3回Jカップ最終戦での10人タッグでは、“ちゃぶ台を使いたがらないキャラ”というのを立派に演じていました。 このように、なかなかプロレス心溢れる選手なわけです。
実際、石沢はアルティメットを観に、アメリカへ行ったことが会ったはず。
何かとPRIDEが勢力を増している昨今、ひょっとしたら藤田以上に大きな飛躍を遂げるかもしれませんね。
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AKIRAこと、野上彰について考えてみたいと思います。
となります。その後は蝶野と行動を共にしていますが、これといった実績は残せずにいます。 そこで、勝手にAKIRAがより話題の中心に立てるような案を、3つほど考えてみました。
2、ジュニアヘビー級の壁となる
3、JJ・JACKS再結成
このままではヒロ斉藤と同じ道を辿ることになってしまいますから、どうかあと一奮起して、越中詩郎くらいまでになって欲しいと思います。
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前回のコラムでは川田に焦点を当てましたが、今回は、全日本プロレス中継の最終回についてお話ししたいと思います。
その後の全日本プロレスの旗揚げ以来27年間、日本テレビは中継番組を持っており、日本テレビは全日本プロレスの独占放送権を持つ代わりに、多額の放映料・肖像見権料を全日本に払っていました。 その27年間続いてきた「全日本プロレス中継」も、この6月一杯で終了してしまいました。
前半部分を見ると、日本テレビは三沢派と川田派に対し、中立の立場を保っていることが分かります。 旗揚げ以来放送してきたというのに、テレビ局ってのは随分とドライですね。
しかしその後、泉田が負傷欠場している間に(しかも秋山との試合中の負傷)秋山は大きく成長し、二人の間に去年以上の差があるのは明らかでした。
この泉田の姿と、今回の志賀がダブって見えたわけです。
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