フジマルというのは、全日本プロレスの丸藤正道(まるふじ なおみち)のニックネームで、なぜか三沢が「フジマル」と呼んでいるのが、その語源です。 入門から約半年でデビュー(早い!)し、その跳躍力と動きのキレで、前座戦線を沸かせています。 目標とするレスラーは三沢で、三沢本人にも期待されており、よく三沢のセコンドについています。
一番嫌いなところは、「大技の前のモーションが大き過ぎる」という点です。
彼は色々とトリッキーな空中技を持っているのですが、大技であればあるほどその前のタメの時間が長いのです。これでは、
あと、金丸でないと受けれない技というのが多すぎます。金丸と丸藤は体格的にもスタイル的にも似ているので、シングル・タッグを問わずよく対戦しているのですが、あの二人の攻防を見ていると、闘龍門のプロレスを連想してしまいます。
しかし、基本的なムーブだけでお客を納得させる選手と、派手な技でお客を納得させる選手とでは、前者のほうが優れたプロレスラーであることは間違いないでしょう。
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ライガーvsサスケのシングルマッチといえば、言うまでもなく日本のジュニア界の頂上対決であり、名勝負・好勝負を繰り広げています。 ここではその対決、全7回を見てみましょう。
試合は中盤から、ライガーの執拗な腕攻め、サスケの空中殺法、ライガーの大技ラッシュ、と怒涛の展開をみせ、技が尽きてしまったライガーをサスケが一瞬のフランケンシュタイナーで丸め込んで、サスケが決勝に進出します。 ライガーの雪崩式フランケンを、サスケがさらにエビ固めで返したときの両国国技館の沸きようは尋常ではありませんでした。 まさにジュニアの新時代を切り開いた、歴史的な勝負といえるでしょう。
前回は一瞬の隙を突かれて敗れたライガーでしたが、今回は同じ轍は踏みませんでした。逆にサスケの決め技不足がクローズアップされる形となり、ライガーの完勝という形になりました。
内容は東京ドームのタイトルマッチにふさわしい試合になり、最後はサスケのタイガースープレックス(サスケの裏18番技)でサスケの勝利。この時点で新日本のIWGPのベルトが2本流出したことになった。
アメリカでも日本と同じような攻防を展開しましたが、サスケがアメリカでの試合は始めてだったためか、やや動きが硬く、少しアッサリとした形で試合は終了しました(ライガーの勝ち)。
試合は期待に違わぬ好勝負となり、最後は雪崩式垂直落下ブレーンバスターでライガーの勝ち。が、サスケもフェニックススプラッシュを出すなど、意地を見せました。
試合はライガーが終始ペースをつかんで一方的に攻めまくるが、最期は一瞬のスキをついたウラカン・ラナでサスケの勝ち。 試合後、ライガーは「あんな体調で出てくるな」とサスケを非難し、サスケも「勝ちは勝ち。負けた人に言われる筋合いはない」とライガーに噛みつきました。試合よりも、試合後の舌戦の方がマスコミを賑わせました。
サスケはこの時点からヒールとなっていましたが、以前と違うのはマスクの色と急所蹴りを使うようになっているだけで、内容的にはこれまでのライガーvsサスケとそれほど変わりませんでした(逆に言うと、それほど印象に残るような攻防はなかった)。 結局はライガーが勝ち、試合後にセコンドについていたみちプロの選手達にマイクアピールをしました。試合そのものよりも、マイクアピールの方が大きく紹介されてましたね。
では、なぜ6回目と7回目はイマイチな内容になってしまったのでしょうか。
というように、新日本とみちプロは、独自の路線を組むようになり、好勝負を連発するようになるのです。
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「フロントヘッドロックから相手の首を垂直に落す」 これがDDTという技です。 考え様によってはひどく単純で、技術の入りこむ余地など無いようにも感じます。しかし、そこはプロレスの技、しっかりと奥が深いのです。
しかしロバーツは、いわゆる“職人肌レスラー”の典型的なスタイルなのです。のらりくらりとしたスタイルにも基本技がキラリと光り、カウント2.9は必要とせず、大技も必要とせず(あえて挙げるなら時間差ラリアットくらい)、試合開始から山のような盛り上がりを作っていき、フィニッシングムーブだけは誰にも真似ができない。レスラーとして完全に一つの型を持っています。
やはりロバーツのDDTは絶品で、入るタイミングしかり、落下するスピードしかり、落す高さ(ロバーツは割と長身)しかり、未だにこの選手を超える使い手は現れていないと思います。
レイヴェンはDDTにはかなり強いこだわりを持っているようで、豪快な一発を見せています。
ヒットマンは昔からあるような技を多く使う選手なので、DDTという80年代以降の技を使うのは少し意外という気もします。
ロックと小川は形がソックリで、勢いをつけて後ろに一気に倒れるDDTはかなり豪快です。
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天龍が全日本プロレスを離脱して、SWSへと移籍した理由は何だったのか? これの答えって一体何だったのでしょうか。
ということから、「メガネスーパーが出したお金だけが原因じゃないのでは」と考えられます。
2、について。元子夫人は基本的には表に出ない人なので、一ファンの目からは詳しいことは分かりません。よってこれは省略。
3、はある本で読んだのですが、天龍曰く「俺が全日を辞めたのはお金とか待遇とか言われているけど、そんなもんじゃないよ。体を張って名勝負を創ってきた鶴田戦を“コレをやりゃ客が入るだろ”って営業的に組んだからだよ。その時“あーっ、この会社はレスラーの気持ちなんて全く分かってくれないんだな”って思ったんだよ」とのことです。
4、天龍と言うのは、レスラーとしては遅咲きの部類に入る選手です。プロレス界を代表するような存在になったのは平成になってからです。角界出身ですが、プロレス界でもしっかりと下積みを積んでいる選手なのです。
5、天龍の盟友である阿修羅・原は88年世界最強タッグ決定リーグ戦の開幕当日に唐突に解雇を発表され、全日本を去ることになります。理由はハッキリとはされていませんが、原本人の借金が原因だと言われています。
まあ、一つ言えることとしては、他の移籍選手(折原とか北原)はともかく、天龍は全日本を離脱してからも十分に輝いている。ということでしょうかね。
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今の日本人プロレスラーの中で、「日米を股にかけて」という表現が最も当てはまるのは、FMWに所属(? / 今は違うかも)している田中将斗選手でしょう。 FMWだけでなく、ECWでも活躍しているのですから、その実力はもっと高く評価されてもいいと思います。
ここまでのプロフィールを見ると、ある選手が思い浮かんできませんか? 主な要素を挙げると、
………そう、全日本の小橋健太ですね。
こうしてこれまでのキャリアを振り返ってみると、十分に一流のレスラーとしての資格を持っていると言えます。が、何か一つ壁を突き破れてない(超一流とは呼べない)ような印象があります。
田中のファイトを見ていると、全日本プロレスを研究していることは明らかですし、スタイル的にも十分に適合しているでしょう。FMWと全日本(あるいはECWと全日本)が現在どういう関係にあるのかはよく分かりませんが、是非とも田中に全日本参戦の機会が与えられることを望みます。
96年8月1日、W★ING金村戦
97年9月28日、グラジエーター戦
98年3月13日、ハヤブサ戦
98年5月19日、ハヤブサ戦
99年11月23日、冬木戦
ハヤブサは欠場中、田中のパートナーはリッキーや吾作、ハッキリ言って先は真っ暗な状況でした。その中で完全に大仁田が乗り移ったようなマイクアピール……。いや〜、しびれましたね。
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