略歴 |
中学一年からレスリングを始め、ネブラスカ大学時代には、オールアメリカン選手権を3度優勝する等、多いに名を馳せた。
90年6月に新日本に初来日。しかし、この時は本来の実力を出すに至らなかった。その後91年にUWFインターに参戦して実力を開花、“スープレックス・モンスター”の異名を得る。ルー・テーズが管理する世界ヘビー級にこそ手が届かなかったものの、高田・山崎・田村・佐野・安生・垣原らをことごとくKOしていった。
95年10月より主戦場を全日本へと移す。同月25日に川田利明と初シングル、試合には敗れたもののGWYSシングルベストバウトを受賞する名勝負をやってのける。95年1月にはハンセンとのコンビで世界タッグ奪取、同年3月には三沢光晴の三冠ヘビー級にも挑戦したが惜しくも敗れる。97年にはウィリアムスとのコンビで世界タッグを再び獲得。全日本でも戦慄のスープレックスを武器に、確固たる地位を得る。
2000年1月7日(現地時間)、義父アファ・サモアンが主催する団体の興行に参加し、試合中に心臓麻痺によって倒れ、そのまま帰らぬ人となった。享年36歳。 |
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