技の話8「河津落とし」



今年の5・2東京ドーム大会の蝶野vs三沢戦で、三沢が河津落としを決めた瞬間、場内がドッと沸きました。
その直後にさらにランニングネックブリーカーを出したことで三沢の意図はよりハッキリとなったわけですが、やはり河津落としは全日本プロレスの伝統的な技ということになるようです。


河津落としの原型は相撲の“河津掛け”で、それをプロレスに持ち込んだのは、日本のプロレスの祖・力道山です。
1957年10月7日の後楽園球場にて行われたルー・テーズとのNWA世界選手権試合において、テーズのバックドロップを防ぐため、相撲時代に身につけた河津掛けを見せたのが最初でした。
この時はまだディフェンスのために足を掛けるだけの技でしたが、それを相手の後頭部にダメージを与える技へと進化させたのがジャイアント馬場です。

馬場は1973年、ドリー・ファンクJrとのシングルマッチで河津落としを初公開しました。この時はこの技で60分3本勝負の一本目を先取したそうですが、ドリーを相手に初公開したという点はランニングネックブリーカーと共通しています。やはりドリーは馬場にとって手の合う選手だったのでしょう(他に手の合う選手としてはジン・キニスキー、ハーリー・レイスを挙げています)。

その後、全日本プロレス所属選手の多くがマスターし、また他にもケン・マンテル、ニキタ・コロフなどの外国人選手も使うようになり、投げ技のひとつとして定着するに至りました。全日本の選手はバックドロップに来た相手にカウンターとして出すことが多く、さすがに正調的(?)な使い方をしていました。


ブレット・ハートも得意技の一つとして頻繁に使っていました。特に見事な決まり具合だったのが、サバイバーシリーズ'92でのショーン・マイケルズ戦でみせた一撃です。カウンターのストマックパンチ(これも渋い)を決めた後、サッと組みついてグンッと後ろに倒れ、倒れる勢いを利用してそのまま後転し素早くフォールに繋げた一撃は、芸術的な完成度をほこっていました。

上の紹介は少々個人的感情が入ってしまってますが(笑)、一般に「河津落としの使い手No.1」と呼ばれていたのはブラッド・アームストロングだったと思われます。アームストロングはいわゆる職人肌のレスラーで、フィニッシュは河津落とし一本に絞っていました。
アームストロングの河津落としの大きな特徴として、右足のフックをはずすことなくそのまま片エビ固めに移行する動作が挙げられます。倒れるスピードもさることながら、フォールに移行する動きのスムーズさも目を見張るものがありました。



コラムのトップにかえる





Michael's Spaceのトップにかえる