今年の5・2東京ドーム大会の蝶野vs三沢戦で、三沢が河津落としを決めた瞬間、場内がドッと沸きました。 その直後にさらにランニングネックブリーカーを出したことで三沢の意図はよりハッキリとなったわけですが、やはり河津落としは全日本プロレスの伝統的な技ということになるようです。
馬場は1973年、ドリー・ファンクJrとのシングルマッチで河津落としを初公開しました。この時はこの技で60分3本勝負の一本目を先取したそうですが、ドリーを相手に初公開したという点はランニングネックブリーカーと共通しています。やはりドリーは馬場にとって手の合う選手だったのでしょう(他に手の合う選手としてはジン・キニスキー、ハーリー・レイスを挙げています)。 その後、全日本プロレス所属選手の多くがマスターし、また他にもケン・マンテル、ニキタ・コロフなどの外国人選手も使うようになり、投げ技のひとつとして定着するに至りました。全日本の選手はバックドロップに来た相手にカウンターとして出すことが多く、さすがに正調的(?)な使い方をしていました。
上の紹介は少々個人的感情が入ってしまってますが(笑)、一般に「河津落としの使い手No.1」と呼ばれていたのはブラッド・アームストロングだったと思われます。アームストロングはいわゆる職人肌のレスラーで、フィニッシュは河津落とし一本に絞っていました。
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