リーーン、リーーン。
ひっそりと静まり返った夜の闇に、涼やかな鐘の音が鳴り響く。
はっとして顔を上げる。けれども、目の前にある風景は変わりようがなくて。
静かな闇に、はらはらと舞い散る白い雪。
―――瞬間、世界から私だけが切り離されたようで。
あまりの静けさ。言いようのない不安感が私の胸を満たし始める。
―――本当に私だけが切り離されたのでは?
微かな光の下、私以外の存在が感じられない、今この瞬間。
まるで、世界の終焉をただ私だけが眺めているようで。
暗闇に感じない他の存在。そして、身に染み入る寒さ。
今、この瞬間は
結局は
行き着く先なのではないのだろうか。
「―――ふ、ふふふ」
なんてくだらない空想なんだろうか。
自分でも可笑しくて笑いがこみ上げた。
なんだって、自分はこんなに悲観的になってるんだろう。
「・・・バカみたい」
そんな事。考えなくてもわかってる。
―――でも、認めるわけにもいかない。
ただ見捨てられたと勝手に感じて勝手に落ち込んでいるだけだからだなんて。
そう、ただ自分でそう思ってるだけ。ただそれだけ。
見捨てられたと決まったわけじゃないのに。
―――本当に、そう思ってるの?
思ってるに決まってる。私は見捨てられてなんかいない。
―――じゃあ、何故待ち人は来ないの?
それは・・・何かがあって少し遅れているだけ。
―――何かって何?その何かって、人を連絡もなしに待たせるほど大事なもの?
・・・・・・それは・・・・・・。
―――見捨てられていないなら、何故寒空の下待たされているの?
・・・何故・・・・・・?
何故か、なんて・・・・・・私にだって・・・・・・
・・・・・・分かる訳・・・ない。
コートのポケットからかじかんでうまく動かない手で携帯電話を取り出した。
普段は電源を入れていない携帯電話も今日はちゃんと入れていた。
なのに・・・
「全く連絡もないなんて・・・」
言葉にしてみて、じわりと目頭が熱くなった。
それが涙だと認識してしまったのがいけなかったようで、ぽろぽろと目から涙が零れ落ちてしまった。
「え・・・?ちょっと、やだ・・・」
急いで携帯電話をポケットにしまうと、止まらない涙を冷たい指先で拭った。
「あ・・・私・・・手袋、忘れてたんだ・・・。はは・・・なんでかなぁ、こんなに寒いのに・・・」
自分がいかに浮かれていたのかを表しているようで、惨めに思える。
これ以上泣くのを堪えていられそうになかったから手で顔を覆った。
「・・・ユキ・・・?」
どれくらいの時間が経ったのかわからなかったけど、私の名前を呟く声が聞こえた。
はっとして顔を上げたそこには、目を見開いて驚いた顔をしている友人がいた。
「・・・・・・三奈ちゃん・・・・・・」
私の顔を見て、表情を硬くする彼女は目の前に立って私の手を握った。
「・・・冷たい。冷えきってるじゃないの」
彼女は少し怒ったような顔をして、握った私の手をぐいっと引っ張って歩き出した。
「どこに行くの・・・?」
「私の家。ここから近いし、今のユキを一人になんて出来ない」
三奈ちゃんに掴まれた手首が少し痛かった。
「とりあえずどっかに座って。今お茶入れるから」
ゆっくりと頷いてベッドに腰掛ける。
脱いだ上着をかさばらないように畳む手つきがどこかぎこちない。
とりあえず自分も上着を脱いでハンガーにかけてクローゼットの中へ。
後は妙に静かな空間を紛らわせるためにテレビの電源を入れる。
映し出される映像はやっぱりと言っても良いぐらいクリスマスムード満点のものだった。
それがやけに寂しく感じられた。
「はい、おまたせ」
手に持ったココア入りのコップの片方をユキの前に置く。ユキの対面にクッションを敷いて座る。
お茶と言っておきながらココアを入れたのはなるべく甘い飲み物の方がいいと思ったからだ。
「ありがと・・・」
置かれたココアを両手で持って、一口飲む。
おいしいと言って笑うけれども、表情が硬いように見える。
バカみたいに騒ぐ娘じゃないんだけれど、今は凄く大人しい。
いや、力がないと言えば良いのだろうか。
・・・彼女に何があったのか気にならない、なんて言ったら嘘になる。
でも・・・大体の想像はついてしまう。
もうじき終わってしまうけれども今日はクリスマス・イヴ。
それにユキには彼氏が居る。私から見るといけ好かない奴だけど、ユキにはそうではないみたいだった。
どこをユキが気に入ったのか、私にはわからない。・・・と、そんなことはどうでもいい事だった。
そいつとケンカした、とかきっとそんな話だろう。
恋人持ちには待ち遠しい日だったはずだ。そんな日に恋人と何かあれば・・・
そりゃあへこむってもんでしょう。
「・・・聞かなくていいの?」
私がそんな事を考えていたら、ユキが不意に呟いた。
「・・・え?」
「私が一人で立ち尽くしてた理由」
「・・・そりゃ聞きたいけど・・・良いの?」
「・・・うん」
ふっ、と少し自虐的に笑う。けれどすぐにその笑みは消えて、苦笑いになった。
「―――結局、待ちぼうけになっちゃっただけなの」
そう言って肩をすくめるユキ。私の予想通り・・・ってことか・・・。
「でね、1時間ぐらいで帰ればいいのに、私ったら3時間ぐらいずっとあの場所にいたのよ」
「・・・そんなに居たの・・・」
「そう。なんだか帰る決心がつかなくって。だから三奈ちゃんが通りかかってくれて助かったよ。
あのままだったら、私ずーーっと立ってそうだったんだもん」
「そう・・・。まったく、少しは自分の身体のことも考えなさいよね。
風邪でも引いたらシャレにならないでしょ?」
「そだね、次からは気をつけるよ」
少し気分が持ち直したのか、いつもと同じトーンでユキが話す。
しかし、ユキの彼氏は何を考えてるんだ?ユキが待ってる間電話一本も寄越さないなんて。
「で、この後どうするの?」
「そう・・・だね・・・う〜ん・・・」
なんだかキョロキョロと視線を彷徨わせて、何かと言い出し辛そうにしている。
そんな仕草が可愛らしくてクスッと笑ってしまう。
「もう遅いから泊まってく?」
ピタッと視線が止まって、申し訳なさそうに、でも嬉しさを滲ませて私を見る。
「え・・・良いの?迷惑じゃない?」
ユキの問いに手をヒラヒラと振って答える。
「大丈夫大丈夫、全然迷惑じゃない。逆に大歓迎。独り寝の夜は寂しくってねぇ」
私の冗談に笑っているところを見ると、だいぶ復活したみたいだった。
「それじゃ、まぁお風呂に入って暖まって来るといいよ」
さっき飲み物を作った時に、お風呂を入れていた。
夜も遅いし、私も外に出て暖かいお風呂に入りたかったから、
ユキが帰るにしても泊まるにしてもすぐに入れるように。
「え?私が先に入るなんて悪いよ。三奈ちゃんが先に入ったら?」
「な〜にを言うかね、この娘は。ユキはずっと寒空の下に居たんだから、身体が冷え切ってるでしょうが」
「でも・・・」
まったく・・・まだ渋りますか、この娘は。
「はいはい、良いからさっさと入った入った」
ユキの手を掴んで立たせて、背中を押して脱衣所に押し込む。
「はい、ごゆっくりどうぞ〜。着替えは私ので悪いけど用意しておくから」
そのまま脱衣所の扉を閉める。
―――もう、強引なんだから―――
なんて声が聞こえた。少し経った後、シャワーの音が聞こえてきた。
「―――ふぅ、いいお湯でした」
脱衣所の扉が開いて、ユキが出てきた。
湯上りで少しピンクに上気した頬に、髪を上げた所為でのぞくうなじ。
洗い立ての髪に、ピンク色のパジャマ。
―――うわ、可愛いじゃないのよ・・・。
似合うかなーと思って買ってみて、着てみたら見事に似合わなかったパジャマがよく似合ってる。
その上、ユキは私より小柄だから私の服だと少し大きい。
だから・・・まぁ・・・可愛らしさが増す、というかなんというか・・・。
「三奈ちゃん、どうかした?」
「あ、いや、なんでもないよ。じゃ、私も入りますか」
そそくさと立ち上がって必要な物を持って脱衣所へ。
「何か飲みたい物とかあったら勝手に飲んでたらいいからね」
バタン。
「・・・おいおい、な〜に焦ってんだ?私は」
扉を閉め切って一人ごちる。
「いや・・・まぁ・・・可愛いし・・・ねぇ?」
もう自分でも何を口走ってるのかさっぱりだ。
「あ、そういえば、布団の用意してなかったなぁ。
一応ベッドに二人は寝れない事もないけど・・・もう一組用意しようか」
私は別にベッドに二人で寝ても一向に構わないけどね。
まっ、別々の方がゆったりと出来るだろうし。
「・・・・・・しっかし、なんで私はユキにこうまでするのかね〜」
そろそろと服を脱ぎながらそう呟いた。
「さて、髪も乾いた事だし、次は布団を敷きますか」
思わず上機嫌で鼻歌なんてものを口ずさみながら、脱衣所の扉のドアに手をかけて開く。
「お待たせー、布団敷くからそこの・・・ユキ?」
見ればユキは頭を抱えて床に座り込んで居た。心なしか肩が震えているように見える。
「ちょっとっ?どうしたの、ユキ。何があったのっ?」
ユキの正面で膝立ちになって肩を揺する。
ふと、ユキの傍らに無造作に置かれている携帯電話に目がいった。
「・・・う・・・みな・・・・・・ちゃ・・・ぅ・・・うぁぁぁああああああっ!!」
「うわっ!?」
顔を上げたユキの瞳に涙が溢れ、私の胸に勢い良く飛び込んできた。
その勢いを受け止めきれず、私は背中から床にドンと倒れた。
―――いったぁ・・・けどまぁお互い怪我はしてないからいいか。
私の胸で泣き続けているユキを抱きしめ、背中をトン、トンと叩きながらそんな事を思った。
10分ぐらい経っただろうか。ユキは落ち着いたのか泣き止んで、
今はしゃくり上げているだけだった。
「・・・・・・・・・ごめんね、三奈ちゃん・・・・・・」
ポツリと微かに聞こえるぐらいの声でつぶやいた。
「何があったって聞いていい?」
少しの間が空いて、こくりと頷いて話し出した。
「・・・さっきね電話があったの。『お前には興味がなくなった』って言って・・・
それで別れて欲しい・・・ううん、別れるって一方的にね・・・。
・・・・・・でね・・・電話が切れる直前にね・・・・・・女の人の声がしたの・・・。
それで頭が真っ白になっちゃって・・・今日、外で待っていたあの時間ってなんだったのかなぁって・・・
私が待ってる時間・・・あの人は違う女性と居たなんて思うと・・・どうしようも・・・なく悲しくって・・・」
不用意な相槌を打つわけにもいかないから、しっかりとユキを抱きしめた。
少しでも早く落ち着いてくれるように。いつものユキに戻ってくれるように。
「・・・ごめんね三奈ちゃん、重かったでしょう?」
しばらくして落ち着いたユキが身体を起こしてそう言った。
「いや全然重くなんてなかったよ」
私も身体を起こしてユキを見る。
「あぁ、やっぱり目、赤く腫れちゃってるね」
立ち上がった私はタンスからハンドタオルを取り出すとそれを濡らした。
「はい、これで目を冷やすといいよ」
「うん、ありがとう」
タオルを受け取るとユキはそれを目に当てた。
その間、つけっぱなしだったテレビを見たり、時折他愛もない話をした。
思いっきり泣いた所為か、他愛もない話で笑えるようになっていた。
「さて、そろそろ寝ようか?だいぶ遅くなっちゃったし」
気がつけば、既に日付は変わっていた。
「うん・・・」
どうしてか、急に歯切れが悪くなる。少し顔を赤らめてもじもじとしている。
「どうかした?」
私が尋ねると意を決したようにユキが話し出す。
「実はね・・・お願いがあるの」
「お願い?」
「うん・・・今日ね・・・い、一緒に眠って欲しいの」
かーっと赤くなるユキ。そんなところが非常に可愛らしい。
「えっと・・・それは添い寝して欲しい、ってこと?」
ためらいながらもしっかりと頷く。
私がうーん、と唸っていると「ダメかな・・・?」なんて言って不安そうに私を見つめる。
そんな顔をされたら断れるはずもない。
「いいよ、んじゃ一緒に寝よっか」
すると嬉しそうな顔をするユキ。その間にテレビを消してユキをベッドに追いやる。
「それじゃ、電気消すよ」
スイッチを押して電気を消す。そしてユキの横へと滑り込む。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
そのまま瞼を閉じて眠りに落ちた。
・・・なんて言いたいけれど、そういうわけにもいかない。
なんせほとんど隙間がない状態で隣に人が居る。
普段は隣に人が居るなんて事はないので、少し寝付けない。
・・・・・・というのは若干本当であり、嘘である。
本当の理由は・・・ユキが私の腕にしがみついてるから。
下手に動かして起こすわけにもいかない。
で、チラリとユキの顔を見ている。
しかし・・・寝顔っていうのは本当に無防備。
今も可愛い顔してユキは眠ってる。思わず頬を突っつきたくなる。
パチッ。・・・ユキの目が開いた。
「も、もしかして・・・起きてた?」
「うん・・・・・・今日は本当にありがとう」
どうやら、盗み見をしていた事ではないみたいだ。
「どういたしまして・・・って言っても大したことはしてないけどね」
そう言って苦笑する。
「でも・・・あのままだったら私どうしたらいいか分からなかったから・・・ありがとう」
言い終わるとユキは目をつぶった。
その後すぐにすーすーと可愛らしい寝息が聞こえてきたので、本当に眠ったのが分かった。
片腕に人のぬくもりを感じながら、ゆっくりとまどろんでいった。
次の日の朝は、なんだか違和感があって目覚めた。
その違和感の原因は私に圧し掛かるように眠っていたユキだった。
こういう時はどうも上手く出来ているようで、ユキを起こさないように抜け出そうと試みているときに、
ユキが目を覚ましてしまって、お互いに気恥ずかしくなった。
それでも、正直嫌な気分じゃなかった。・・・むしろ嬉しくもあった。
以降ユキは度々私の家へ泊まりに来るようになり、私たちの距離は縮まって行った。
それにつれて、ユキと居ると感じる私の気持ちがなんなのか、はっきりとして来た。
だから私は今日、ユキに会いに行く。
―――あなたの事が好きですと伝えに。